第36話:マジック・オブ・ラブ06


「えと……そりゃあ……辛いね」


 暖房の効いた店内で、コーヒーを飲みつつマリンは僕に同情してくれた。真理が本当は僕をどう思っていて、どうしたいのか。僕をグチャグチャに踏み潰して、それを恋だと言えるのか。もちろん僕がどう言っても真理は納得しないだろう。


「でも嫌いには……ならないんだね……」


「うん。それは。好きだから」


「拙の前でソレを言う……」


「好きだから」


 本当に他に理由も無く。


「拙のことは?」


「大好き」


「墨州さんのことは?」


「大大好き」


「拙のことは?」


「大大大好き」


「これ以上はグダグダだね」


 うん。僕もそう思う。


「ていうかマリンはいいの? そんな過去の約束を大事にして……」


「えと。その。初恋ではあるんですけど……他に無かったんです」


 他に無かった?


「何かを抱いて生きるっていうのが……その……」


 僕だけだったって言うの?


「わからないんです。そもそもこの世には執着すべき対象が少なすぎる。動画サイトのチャンネルとかアイドルとか同人サークル活動とか……そんなことに拘泥する意義を見出せないんです。別の軽視しているつもりはないんですけど……どうにも」


「じゃああの時のコスプレは?」


 真理と勘違いして……口説いたアレは?


「えと。アニメは好きですよ。だから面白いとは思います。本だって映画だって歌だってスポーツだって素敵なことはあるんです。でもあそこに居たのはもっと打算的な感情でした」


「つまり……両牙益……?」


「久しぶりに見ました。あんな過去のことを鮮烈に憶えてくださっている両牙くんに拙もまた魅せられました。あんなにも大切にしてくださったこと。嬉しかったです」


 違う。そうじゃない。アレはマリンに言ったわけじゃ……。


 グラグラと意識が揺れる。血流が不足して酸素が行き届かない。きっと僕の顔は真っ青になっているはずだ。


「ただ僕を好きなことを憶えていて……故に好きなの?」


「前にも言ったじゃないですか。たとえどれだけ両牙くんが墨州さんを好きでも……ソレは即ち拙を好きって言うことです。だったらその愛を疑うことは拙には出来ません」


 エメラルドの瞳が柔和に歪む。本当に彼女は微笑んでいた。


「僕はマリンも真理も好きだよ?」


「えと。二重の恋ドッペルリーベですね。本当にこの共時性は」


「そんな僕をどうとも思わないの?」


「思わないわけじゃないんですけど……。えと。マイダーリン両牙くんに嫌われたくありませんから」


 えへへ、とコーヒーの口を付けつつマリンは笑う。


「多分拙にとって両牙くんって他に代替が効かないんです。それを恋だというのは簡単なんですけど……もうちょっと業の深い感情。依存かもしれません。多分虐待されても拙は両牙くんを好きで居続けます」


「ドM?」


「かもしれませんね。いいじゃないですか。責めるのは墨州さんに任せます」


 それは。ちょっと。


「アレ? 引いてます?」


「引いてるというか……そもそも僕にそんな感情が許されるかというか」


「でもマイダーリンは拙のこと好きですよね?」


「うん。それは。間違いなく」


「だったらいいです。何やら照れますね。えへへ……」


 僕の好きがどちらに比重があるかを知って……なお?


「別に両牙くんを追い詰めるつもりはないんです。都合の良い女って気持ち悪いかもしれませんけど、だからって両牙くんを責める気持ちはありません。拙はもっとマイダーリンに触れて幸せになりたいだけで……」


「そっか」


 僕もコーヒーを飲む。店のオリジナルブレンド。


「マイダーリンはここでこうしていいんですか? 墨州さんと仲睦まじく……」


「一応マリンと放課後デートするって言っておいたから」


「あの子も大変ですね」


 だからマリンがソレを言う。


「でも拙と一緒に居ると迷惑も掛けるかと」


「それこそ僕が言えることじゃないし。ついでにマリンの我が儘は迷惑じゃないよ」


「えへー。だからマイダーリン大好きです」


 かなり最低なことを言っている自覚はあるんだけど……。


「本当に? 本当に僕が好き?」


「うん!」


 穏やかな喫茶店内。彼女は微笑んだ。僕以外に執着の対象が無い。そもそも大切なモノが無い。それを悲しいとも思えないのがマリンの症状だ。だからって生きることには支障ないんだけど、そのことはとても穿ってしまう。


「じゃあ僕を失ったらどうする?」


「どうしましょうか。魔法で全部無くすってのはどうでしょう?」


「星ごと?」


「宇宙ごと」


 ネガボソン。その究極だ。


「笑えないよ」


「笑わせるつもりもありませんし」


 どこまでも穏やかに彼女は言った。本当に僕が死ねばハルマゲドンを実行しかねない。


「じゃあせめて大切なモノを見つけてよ。僕じゃなくて僕に関係ないこと。この世の未練とでも言うべきモノ」


「あればいいんですけどね」


 ホケーッと彼女はコーヒーを飲みつつ天井に視線を向けた。


「多分お手軽なんですよ」


 何が?


「拙が両牙くんを好きでいて、他に何も考えないことが。他のことに執着できないっていうのも、在る意味でマイダーリンに依存している証左かと」


「マリンはそれでいいの?」


「ダメとは言いませんよ。そもそも本当の感情として拙はマイダーリン両牙くんが大好きですから。問題は……それを問題だと思っているマイダーリンの方では?」


「それは……」


 確かに。


「日本には坊主憎けりゃ袈裟まで憎い……って言葉がありますよね?」


「まぁ」


「坊主愛しけりゃ袈裟まで愛しい……って思いません?」


「僕のことを言ってるの?」


「衣は僧を作らず。でも僧があれば衣は衣で」


 それは……。


「秋風一夜百千年?」


 今は冬だけどね。


「色はよけれど深山の紅葉。秋という字が気にかかる?」


 今は冬だけどね。


「だから拙はあなたのことが好きです。それはお呪いかもしれなくても、拙の中にある確かな感情。殊更何をどうのでもない拙の想い」


 じゃあ僕はどうすれば。


「うーん。じゃあ少し荒っぽいけど……」


「何か状況の打開が?」


「そうだね。じゃあクリスマスパーティー。楽しみにしててッ」


「いいのかな。待っていて」


「女は男に欠点があるからこそ愛するのだ。男に欠点が多ければ多いほど女は何もかも許してくれる。我々の知性さえもだ」


「ロイエンタールだね」


「オスカーしか合ってないよ?」


 それは残念無念で。

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