第21話:Hello, Again~昔からある場所~01


「……………………」


 眼が覚めると病院だった。咄嗟のことに思考が上手く纏まらない。清潔で白に統一されている部屋模様の在り方は僕をして其処を病室だと認識させた。


 そんな穢れの見当たらない部屋で、僕は一人ベッドに寝ている。


「えーと」


 自意識がしっかりしてくると、そこから状況を思い出そうとして思考が停迷する。そもそも何故自分は病院に居るのか。怪我か病気か。あるいは何かしらの症状か。さすがに虫歯で入院することはありえないだろう。


「えーと」


 自己状況の深刻さにはこの際案じなくとも前後即因果くらいは思い出してしまいたい。が、まるで現状に説明できる感覚が今あるコレに追いついてこない。


「うーん」


 こめかみに人差し指を当てて知恵熱を発しつつ考えていると、


「嘘……」


 看護師さんが、まるでコッチを妖怪か何かのように見つめていた。


「あ、どうも」


「ちょちょちょ! ちょっと待ってくださいね! 先生ー! 先生ー!」


 どうやら僕がどうのという問題らしい。つまりさっきまで僕は意識を失っていたのだろうか。眠気に伴うような疲労感はあるけれど、意識そのものは明瞭だ。状況を理解していない意味で記憶の前後は飛んでいるけどそれだけだし。


 状況の推移は速やかに行なわれた。


「両牙さん。御加減は如何ですか?」


 柔和で肯定的な笑みを浮かべて女性医師が尋ねてきた。


 こっちに対する困惑を抱かせないためだろう。そういう意味では誠実なお医者さんと言える。しかし御加減といわれても。


「ええ。大丈夫なんですけど」


 身体を切開するわけにもいかず。自己認識だけで良いのなら僕に不調は存在しない。


「そうですか。ええと。これから経過を見て退院までのプロセスを踏んでいきます。少し冗長かもしれませんが、そこはご了承を」


「はあ」


 どうにも思ったより事情は深刻らしい。


「ところでその両牙ってのは……?」


「あ。えーと。あなたの名前です。お聞き覚えは?」


「んー」


 ソレを言われると。


「そもそも自分って誰だっけ?」


 ピシッと空間が引きつる音がした。だが医者も大したもので穏やかに正す。


「おそらく一過性のショックで記憶が混濁されているのでしょう。時間が経てば思い出せますよ。ゆっくりやっていきましょう。焦る必要はありませんので」


「はあ。せめて自分の名前くらいは教えて貰えますか?」


「両牙益さん。ソレが名前です」


 りょうがます……ね。そんなわけで自分でこっちの事情も知らずに意識を失ったことを僕は自覚するのだった。


「記憶の分類には陳述記憶と非陳述記憶があって……陳述記憶はエピソード記憶と意味記憶に分けられる……と」


 病院側の対処は良心的だった。半年ほど意識が無かったらしく、それだけでもかなりアレなのだが、ついで僕には両親が居ないらしい。いや木の股から生まれたとかそういう話ではなく、既に亡くなっているらしい。そもそもその両親の顔も名前も思い出せないので、この際どっちが酷いのかは論じる余地もあるだろう。


 僕はといえば、とかく事情がよく分っていないので、医療系の雑誌を読んで自分の記憶について認識を深めていた。

 記憶喪失……というのは簡単だが、実際に其処に至る過程はどうにも複雑だ。脳もコンピュータなので情報処理の不備は外的刺激からも起こるとは認識も改めるところ。


 ただ自分が誰なのか。そもそも親の顔が。そして何故か大切なことを忘れている気がした。


 そんなわけで自分が何者なのかという思春期特有のテーゼにも似た……けれどより深刻な悩みを抱えて生きる羽目になる。半年の間は意識もあらじ。リハビリはして貰っていたので肉体的な衰退は問題視しなくて良いレベル。


 自己忘却以外の問題は見受けられず、結果病院の敷地内で散歩する程度は許された。


 なので病院をほっつき歩いてちょっと寒い冬を味わう程度は認可されている。


「雪降れば木毎に花ぞ咲きにける。いづれを梅と分きて折らまし……かぁ」


 両牙益という存在について思い出そうにも記憶が欠落していて、そもそも時間経過で回復するのかすら疑問だ。


 数日ほど病院で過ごしていると、


「失礼します」


 どこか忘却を皮肉るような声が室内に響いた。


「――――――――」


 その時の衝撃を……なんと例ふべきだろう。


 花束を抱えた満開の美少女が、僕の忘却を軽やかに裏切った。


「すみす……まり……」


「どうも。墨州真理です。その……両牙さんが意識を取り戻したと聞いて」


 切なげに目を細めて、憂うように墨州は言葉を絞り出す。


「墨州……真理……」


「あの。私が何か?」


「結婚の約束をしたよね?」


「結婚の約束?」


 当惑する彼女に、僕は思いだした記憶をぶつける。


『好きだ! 好き! 君が好き!』


『だから……大きくなったら……僕と結婚してくれ』


「それを墨州は肯定したよね?」


「えーと。記憶にないんだけど……」


「あんな情熱的な一抹を?」


「そもそも関係性があったの?」


「それは……」


 そもそも自己に付随するエピソードを丸ごと忘却しているわけで。両牙益という存在を結論づける記憶に関していえばかなり疎い。ぶっちゃけ墨州と結婚の約束をしていたことを思い出せたのがむしろ例外と言えるだろう。


「じゃああの約束は無し?」


「そもそも――」


「――そもそも?」


「いえ。その。私は。両牙さんを好きになる資格無いから」


「こっちが好きなのに?」


「…………ッ」


 訳ありか。


 奥歯を噛みしめる墨州を思えば突っ込んで聞くことも出来なかった。

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