第18話:うるわしきひと07


 例えば愛されるという事がそれほど幸福なのかと思案すれば、君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな……ともなるわけで。


「愛ねー」


 ちょっと冬の風に吹かれつつ、哲学のような思念に捕らわれる。


 ちょうど都会行きの駅でマリンと待ち合わせだ。僕は待ち合わせ時間の一時間前に来ていた。ぶっちゃけ楽しみでしょうがなかった。イッツ童貞ですよ。


「へえ」


「ほう」


「はあ」


 そんな僕を見て誰しもがよく分からない吐息をついて過ぎ去っていく。一応自覚はあるんだけど、まぁそうだよね。ヒュルリと北風が吹くと僕のスカートがめくれる。ほぼ視線を集める僕の腰に、けれどもそう簡単にパンツは見せません。ていうかインナーだし。


 上は革のジャンパーで、下は丈の短いスカート。それだと寒いのでオーバーニーソにブーツを履いている。その絶対領域は男性の視線を独占だ。…………嬉しいかどうかならかなり微妙なんだけども。


「ちょい君」


 で、さてやる気出して来たはいいものの、根本的に時間を間違えている。ここで一時間待つとなれば暇潰しが――。


「君。聞いてる?」


「何でしょう?」


 ズイと影が差し込んで、そこで漸く話しかけられていると覚れた。


 見れば髪を染めた兄ちゃんがこっちを熱の籠もった視線で見ている。


「えーと」


「これは運命だ。デスティニーだ。ハーレクインロマンスだ」


「何が?」


 キョトンと首を傾げてみる。手入れしている髪がサラサラと揺れる。


「俺に付き合わねえ?」


 兄ちゃんが熱の入り混じった声で、暖かくもならない妄言を吐く。


「ナンパ?」


「いや。確かにナンパだけどさ」


 そこは自覚もあるらしい。


「いやね。ナンパだよ。確かに。怪しいよな。だがそうだけど。そうなんだけど。声をかけずにはいられないんだ」


「惚れでもした?」


「本気のガチで惚れた。唐突なのも分かってる。怪しいかなら怪しいだろう。それでも俺と遊ばない? 真摯に向き合うよ」


「まぁ何時もなら受けても良いんですけどね」


 スッと流し目に兄ちゃんを見つめる。ホーッと僕の流し目を虚ろに兄ちゃんは見つめてくれた。悪い気はしない。ちょっと男の子としてどうなのかは考えないでもないけど、ファッションとして意を汲んでくれる視線は嫌いじゃない。


「ただまぁ今日はデートの予定なので」


「待ち合わせ? マジ?」


「残念ながら。だから自重してくださいな」


「じゃあソイツより俺を優先しろ」


 人の話聞いてる?


 ちょっと困りつつ駅に視線を振る。だれしもこっちに興味を持って、けれども介入しようとしない。面倒事には距離を取りたいのだろう。悪しき文明社会の処世術だ。


 サラリーマンやファッションの機微に聡い人間がこっちを気にしつつ駅に吸い込まれていく。えーと。どうしたものか。


「可愛いよねー。名前は?」


「黙秘で」


 両替機って名乗ってもいいんだけど、そこから逆算されても面倒だ。


「なんでも奢るからさ。とりあえず話だけでも聞かない?」


「いや。御自覚の通り怪しいので」


「うん。わかる。たしかに。でも無理強いはしないから。相互理解から始めてみない?」


 腰の低いナンパだ。


「マジで惚れたから。君のためなら何でもする」


 じゃあここで全裸になって……っていうのは野暮なんだけど。


「とりあえずデートからしようぜ?」


「いえ。待ち人がいますので」


「俺の方が歓待してやれるって」


 そういう問題じゃないんだが。


 ナンパというには言葉は誠実なんだけど、そこから派生する情欲についてもソレなりに認識すべきだろう。最初の一目で恋を感じないなら恋というものはないだろう……とも言われるし、ことさら一目惚れを否定はしないんだけど、ぶっちゃけソッチのケは僕にはない。じゃあなんで女装しているかといわれれば、単純に視線を集めるのが承認欲求を満たすから……というだけで要するに完全にこっちの事情だ。


「だから君を待たせている男なんて放っておいて――」


「――マイダーリン!」


 ナンパがさらに口説こうと弁舌を振るっているところで、待ち人が現われた。


 金色の髪にエメラルドの瞳の美少女。マリンだ。今日はセーターにジーパン。ちょっとオシャレなバッグがチェーンで繋がれセーターを斜めに断っていた。軽やかな笑顔に三千万ドルの光が輝かしい少女だ。今日もその愛らしさは損なわれていない。


「えと。拙を待っていてくれたんですか?」


「待たせるのも悪いしね」


「それで此方は?」


 思慮気に男性を見る彼女に、


「ナンパ」


 僕は一言で切って捨てる。


「ちょちょちょ。待ち人って女?」


「これからデートなので」


「正気か?」


「狂っていることを否定はしないけどね」


 別に常識人を気取ろうとも思ってないし、賢人だと自負しているつもりも無い。


「なんならそっちの彼女も……」


 虚ろに言葉を紡ぐ兄ちゃんの目の前で、


「――ん」


 僕はマリンにキスをした。唇に唇が重なる。


「んぅ」


 それを穏やかに彼女は受け止める。いつものオレンジの香りが僕を包む。嫋やかに、しなやかに、強かに愛を訴える。


「…………え?」


 困惑。まぁそうだろう。女装している僕と美少女のマリンがキスをすれば。


「そんなわけでこっちの愛すべき人に下卑た視線を向けないで」


「マイダーリン。大好き」


 で、マリンもハートを乱舞させて僕に抱きつく。色々と柔らかい身体が押し付けられて僕も色々と幸せ。


「なに? 女同士で付き合ってんの?」


「あ。僕は男なので」


「は?」


 その呆然とする顔が見たくて女装しているところはあるんだけど。

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