第5話:愛に生きる人05


「あーうー……」


 コーヒー一杯で二時間粘り、それから帰宅。


「ただいまー」


「お邪魔しまーす……」


 僕は墨州と一緒に我が家の門を潜る。ちょっと家族構成には難があるので、ここで語ることはしないけど、ぶっちゃけ放任主義ではある。子育てに責任を負わないという意味で。


 基本的に家事は僕と墨州の領分だ。近場に住んでいる男子女子なので、まぁそれなりにこっちの事情は把握されているし、どうにもこうにも痒いところに手が届く性質。


「で、何やってるんです? 上名先生」


「仕事と趣味~」


 その狭間で忙殺されるのは姉御の専売特許のようなものだ。特に締め切りが近くなるとカロリーブロックと栄養ドリンクしか摂取しなくなるので、こっちで塩梅を決める必要がある。


「なんで補習なんてあるのよ~……。勉強しないなら学生やっても無意味でしょうに~……。付き合うこっちの身にもなってよ~……」


 で、生徒の成績表を見つつ、補習の内容を考える姉御は偏に教師を全うしていて。


「御飯作りましょうか?」


「お願い~。萌えキュンオムライスで」


「萌えキュンはともあれオムライスなら……」


 我が家に居座って仕事と趣味を両立しているのは結婚適齢期の女性。シックに纏めた濃茶の髪と、何時もはピリッとしたスーツ姿なんだけど、家に帰ると高校時代のジャージを着用するという残念さ。およそ生徒から受けのいい華麗さだけど、体付きの方はセクハラなので論じないとして。でも学校でも指折りの有名人ではあろう。うちの高校の校内ラジオでパーソナリティを務めていることはもはや常識で、特に昼休みラジオ『オールランチブレイカー』はおよそ姉御のファンは見事に楽しみにしているエンターテインメントだ。


 パーソナリティ名はDJアネキサンダー大王。


 実名は上名鈴かみな・りん


 僕は姉御って呼んでいるけど、姉貴肌で雷っていう名前から、アネキサンダー大王という妙なる名前が最も印象深くはある。


 数学教師で、理論的な講釈についてはかなりの偉才だが、本来はクリエイティブな人間で、教師職と並行して同人活動にも手を出している。で、誰が呼んだか聖職者という社会の犠牲によって成り立つ関係上生徒らの問題に奔走し、結果毎回イベントの〆切にギリギリまで追われるという「どうしてそこまで血を吐くんだ」と言わんばかりの綱渡りで生きている御仁だ。しかもサークルのファンが多いため、意外と読者を裏切れないプレッシャーまである。


「無理。次の新刊落ちた」


 うぅ~と唸りつつ液タブで作業しつつもマスディスプレイで補習講座のスケジュールを並列しているんだから勤労感謝の日も近付く冬の日にはかなりアレな新人類でもある。


 学校ではキリッとした出来る女教師を演じているけど、ここではどてらを羽織ってコタツの前から動けない同人作家でもあり、ついでそのギャップを知っているのは僕と墨州くらい。部屋のテレビはマイチューブに繋がって『創世のアクエリアス』のオープニングテーマがだらだらと流れている。いや名曲だけどさ。


「両牙くん~。手伝って~」


「分かってるけどさ」


 で、僕はと言うとデータを共有している別のパソコンで液タブに向かう。今日は姉御の〆切も近いと言うことでこうなることは分かっていた。おそらく墨州にも。だから墨州のオムライスには思い切り期待して、原稿の仕上げに僕は専念する。


 今回は『鋼鉄のレジスタンス』のヒロイン和姦本で、成人していない僕にはかなり強烈な内容なんだけど同人誌の業の深さは姉御のせいでもう慣れてしまっている。「×」の記入が付いた箇所にデータでベタを塗って、指定されていない箇所にもデジタルトーンを適応していく。


「よくやるわね」


 で、ここら辺の事情にはあまり得手でない墨州が眉を寄せつつ評論した。いわゆる空間を見る力って奴は千差万別らしく、絵に対する理解が彼女にはない。もとよりそもそも知り合いの同人作家曰く「絵を描く方が異常ではある」とのことらしく、努力と才能に絵の力量は左右されるとのこと。もちろん努力なく上手い絵を描くことは出来ないんだけど、努力だけで辿り着ける領域に絵の真髄は存在しないらしい。僕としては姉御の同人活動のアシスタントでバイトをしているようなものなので自分で一旗揚げようとは思っていないけど、姉御の毎度の地獄のような〆切前を見ると、身を切ってまですることかには疑問を覚える。


「くそう。補習さえなければもうちょっとスケジュール詰められるのに」


 譫言のような不穏な表現をしつつ、それでも原稿の手は止めない。僕も普通にコマ割りや表現……キャラクターには口出さないけど、アシスタントに出来る事は進めていた。


「はい。オムライス」


 で、地獄に煉獄と冥界を掛け合わせた修羅道のリビングに墨州の愛在るオムライスが現われた。とろふわ卵の職人芸が光る一品。


「いただきまー!」


 流石にこの料理には心打たれたのか。あるいはそもそもプレッシャーから今まで惨状だったのか。一応家での料理は僕が管轄しているので下手な物は食べさせていないんだけど……それでも墨州の萌え萌えオムライスは胃を刺激したらしく美味しそうに姉御はかぶりつく。卵とケチャップと米と鶏肉……甘味のあるタマネギも美味しい一品。


「くぅ~。墨州くん! 嫁に来て!」


「上名先生とは結婚できませんよ」


「パートナーシップ制度でいいから」


「そっちの趣味はござんせん」


「じゃあ僕の嫁になって!」


「絶対無理」


「何でよ!」


「自分の胸に聞け」


 ジト目でこちらを睨みやる。そんな表情の墨州も可愛い。


「あー、ガチで婚活しようかね」


「先生ならすぐに素敵な人を見つけられますよ」


「強者の余裕よね」


「そんなつもりは……」


「いいの。同人作家って意外とアレだから」


「にしても萌えキュンオムライスの美味しさよ」


「萌えキュンはしてないわよ」


「心でしてるでしょ?」


「そんなサイコガンじゃないんだから」


「あと墨州くん。あっちの件宜しく」


「まぁやれと言われればやりますけどね」


 でオムライスを食べ終えて食器を片付けた後、墨州も姉御に駆り出される。


 任務はコスプレ衣装の製作。素人芸だけども裁縫には理解を示す墨州だった。


「んー」


 とこっちを睨んで裁縫を進めていく。視線の意味はまぁわかる。完全に僕用の衣装だ。それもアニメ用にアレンジされたメイド服。同人即売会で売り子を務める僕に相応しいメイド服ができることだろう。こっちのジェンダー的プライドを無視して。

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