病の消失
馬車の揺れがおさまると同時、私は御者が扉を開けるのを待たずに扉を開き、駆け足で屋敷の中に駆け込んでいく。
庭の手入れをしていた庭師や屋敷内で働いている使用人達が私の様子に驚きながらも挨拶をしてくれるが、今はそれに構っている時間すらも惜しくて何も言わずに通り過ぎる。
後でしっかりと事情を説明しなければいけないな。
使用人達もあの子のことを心配してくれているのだから。
屋敷の2階にある一つの扉の前で足を止める。
どうしても気持ちが早ってしまうが、あの子を驚かせないためにゆっくりと息を整える。
「すぅ‥‥はぁ‥‥よし」
扉を3度ノックする。
「こほっ、こほっ‥‥‥どうぞ」
咳を混じりの苦しそうな声で返事をしてくる部屋の主。
昨日はその声にどうしようもない悔しさと自分自身への怒り、そして泣きそうな気持ちを抱き、部屋の中に入るのをほんの一瞬躊躇してしまっていた。
苦しむ姿を見たくない、と。
でも、今日でそれも終わると思うと自然と足が、手が、動く。
扉を押して中に入る。
「こほっ‥‥‥お姉様、今日も来てくれたのですね、こほっ」
「無理に話さなくてもいい。体もベッドの上に寝かせていてくれて構わない」
「では、お言葉に甘えて」
そう言って側に控えていたメイドの手を借りてベッドに体を寝かせる部屋の主ーー私の妹であるリンシア・ルインヴェール。
今の様子からも分かる通りリンシアの体は病に犯されている。
リンシアが病にかかったのは今から6年前、彼女が10歳の時だった。
病にかかった当初はただの風邪と同じ症状だったのでルインヴェール伯爵領の医者に薬を処方してもらい、それで様子を見ていた。
だが、医者に診てもらったにも関わらずリンシアの症状は日に日に重くなっていった。
これはおかしいと、もう一度医者を呼んで診察してもらったが原因は分からず、それならと帝都の医者を呼び寄せ診察をしてもらった。
そして、リンシアのかかった病がこれまで誰もかかったことのない新たな病だと言うことが判明した。
当然のごとく新たな病であるリンシアの病を治す方法は一つもなかった。
私達家族はリンシアの症状がまだ軽いうちに帝都に移動した。
色々な人材や物資が集まってくる帝国の中心ならばきっとリンシアの治療法も見つかるはずだと信じて。
そして、昨日までの約6年間あらゆる手を尽くしたがリンシアの病は治らず、悪化していくばかりだった。
唯一手に入れた情報も非常に高価な『万能薬』という目にすることすら難しい回復薬の存在だけ。
病にかかってもう6年、ベッドから起き上がることが難しくなり、食事もほとんど喉を通らない。
すでに死の兆候が見え始めていた。
もう無理かもしれない、と心の隅で考えながら日に日に弱っていくリンシアの姿を見続けていた。
でも、諦めきれなくて毎日何かないのかと足掻いた。
そして、その結果が今私の手の中にある。
これで、リンシアを助けることができる。
私はベッド脇に立つとゆっくりとしゃがみ、ベッドに横たわるリンシアと目線を合わせる。
「リンシア。少しだけ、頑張れるか?」
「‥‥‥はい」
「いい子だ」
しっかりと力の宿った目で頷いたリンシアに薄く微笑み、手に持つビンのコルクを抜く。
キュポンッと気持ちのいい音が響く。
「リンシア、いいか?」
「はい、大丈夫です」
ビンをリンシアの口元に持っていき、少し傾けてゆっくりと中身を口の中に注いでいく。
こく、こくとリンシアの喉が小さく鳴るのを確認しながら半分ほど飲ませる。
すると、リンシアの体がほのかに光り始めた。
「お姉様、これは‥‥‥」
「大丈夫だ。私はここにいる」
リンシアの手を握り、その顔を見つめ続ける。
やがてゆっくりと光がおさまっていき、完全に消えた。
リンシアは目をぱちくりとさせている。
「‥‥‥お姉様、今のは‥‥?」
「分からない。だが、リンシアの体に何か変化が起きているはずだ」
「変化‥‥‥‥あっ。胸が、苦しく、ない‥‥‥?」
リンシアが自分の胸を抑えながら上体を起こす。
彼女は胸の苦しみが取れたことに夢中でメイドの手を借りずに1人で起き上がれたことに気がついていない。
側に控えていたメイドはリンシアの様子に驚き、手で口元を押さえている。
そして、ハッと思い出したように急いで部屋を出て行った。
「‥‥‥お姉様」
「何だ?」
「お姉様が私に飲ませたものは、何だったのですか?」
「万能薬だ」
「‥‥‥ッ。それは、つまり‥‥‥」
「リンシア。お前の病は治ったんだ。もう、苦しむことはない」
「ッ‥‥‥おねえ、さまぁ‥‥‥ぐすっ‥‥うっ、うぇぇ‥‥‥」
瞳が潤み始めたリンシアに向けて両手を広げると、すぐさま腕の中に飛び込んできた。
私の胸に顔を埋めるように抱きついたリンシアはこれまでのつらさを全て吐き出すかのように思いきり涙を溢した。
=====
あの後すぐに、メイドからの報告を受けた父上と母上が部屋の中に駆け込んできた。
2人とも明るい表情を浮かべるリンシアにとても嬉しそうにしており、その瞳からは涙が流れていた。
そして現在、リンシアの病が治った事情を説明するために私は父上と2人で書斎に来ている。
リンシアと母上は部屋の中に残してきた。
病が治ったばかりのリンシアにこの話を聞かせたくなかったからだ。
万能薬を手に入れた経緯、そしてその対価についての話を終えて一息つく。
父上は眉根を寄せ、複雑そうな顔をしている。
だが、それも仕方がないだろう。
リンシアの病を治すためとはいえ、万能薬を譲り受ける対価が私の身体なのだから親としては納得しきれないのだろう。
捉え方によっては、私がリンシアを治すための生贄になったも同然なのだから。
父上は小さく息を吐くとゆっくりと口を開いた。
「‥‥‥話はわかった。万能薬を使ってしまった以上今更この件を撤回することもできない」
「はい」
「お前は昔から自分を蔑ろにする癖があったが、まさかここまでとはな‥‥‥」
「申し訳ありません」
「いや、怒っているわけではない。だが、もう少し自分を大切にしろ」
「わかりました」
父上は心の底から私のことを心配してくれてるのだろう。
言葉の節々からそれがよく伝わってくる。
「とりあえず、その万能薬を譲ってくれた人物を一度我が家に招いて礼をしなければなるまい。だが、肝心の名前がわからないとなると困ったな」
「それでしたら、私の方で見つけることができると思います。万能薬を譲ってくれた彼は黒髪でしたから」
ルヴィア帝国で黒髪を持つ人間はそう多くはいない。
それは帝国内の魔法学院も同様であるので、比較的簡単に見つけることができるだろう。
それに少し話しただけだったが、彼は対価を受け取らずにこの件を終わらせようとはしないだろう思えた。
何故かはわからないが、おそらく間違ってはいないと思う。
「そうか、黒髪か。その生徒は貴族生徒だったのか?」
「メイドを連れていたのでおそらく」
「そうか。黒髪の貴族にはいくつか心当たりがあるが、どの人物も常識を持ち合わせているからな。もしかしたら、対価についてもうまく交渉できるかもしれん」
商売関係の事業を手掛けている父上はそれなりに顔が広い。
そのため瞬時にいくつかの心当たりが浮かんだようで表情が少し緩んだ。
「では、レイナ。万能薬を譲ってくれた黒髪の生徒が分かり次第、私に報告してくれ」
「分かりました」
さて、明日からあの生徒を探すことに精を出さなければな。
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