こころのいろは恋にひかりて、芽吹きの鬼は時空をたゆたう

月本 招

その壱 ~黎明の鬼と戦神~

【ドンドンドンドン】

【ピ~ヒョロロ――】


 太鼓の腹の底に響く音。

 笛の透き通るような、それでいて軽やかな音色。


 円を描き、笑い声をあげ、手拍子をしながら踊る八十神やそがみたちの中央には大きな矢倉やぐら


 その上では、羽衣をまとった女神が艶やかな舞を披露していた。



「いいぞぉ、ウズメちゃ~ん!」


 スサノオノミコトは矢倉の上に立つ女神に向かい、口に両手を添えて熱演ぶりに喝采を送っている。



「おい、いいのか。お前さんがあまりにも乱行らんぎょうを働くものだから、天岩屋あめのいわやに隠れてしまったアマテラスさまを八十神のみんなが協力しておびき出そうとしてくれているのだぞ。それをそんなに楽しそうに」


「いいんだよ。祭りはいつだって心が躍る、血が湧き立つ。楽しまなきゃ損ってもんだ。やっぱり祭りはいいものだ、なぁ茨木」


「まぁ……そうだな」


 茨木童子いばらぎどうじ黎明れいめいの鬼である。

 見た目の歳の頃は少し大人びた少女。


 ただ一つ、その容姿は他の神々とは決定的に異なり、前頭部から二本の角が生えていた。


 だが、角が生えている以外はその全てが神々しいまでの美しさ。


 肌は処女雪のように透き通るような白で、その双眸そうぼうは切れ長で大きく、それでいて深く吸い込まれるような藍色。

 背中に広がる黒髪の艶やかさは圧倒的な色香を漂わせている。


 しかし、茨木は自分だけ容姿が異なっていることに強い劣等感コンプレックスを抱いていた。


 自分は神ではない。

 他のものたちとは違うのだ、と。

 

(どうして、あたしはこんな容姿をしているのだろう。どうして〈鬼〉と呼ばれる存在なんかに生まれてきてしまったのだろう)


 その事実は常に茨木の心の中に棘を残していた。



【貴様は鬼だ。あやかしなのだ。神々とまぐわうことは決して許されぬ。もし契りを破れば相手に大いなる災いが降りかかるであろう。今の言の葉は他言無用。しかし永劫忘るるなかれ――】


 幼き日に名も知らぬ赤い炎を全身に纏った神から告げられた言葉が頭から離れない。


 水鏡に映る自分を見る度にため息をつく。


(角がなければ……鬼でなければ――)


 そう思わない日はなかったのだ。


 

「それにしても、今日も美しいな茨木は」


 ちょっと前まで矢倉で踊るウズメちゃんに楽しそうに声援を送っていたスサノオが、突然隣で膝を立てて座っている茨木の方を向き、にこやかな笑顔で言葉を向けた。



「……はぁ?」


「何を驚いている?」


「いや、驚いてなどいない。ただ、からかわれて悲しいだけさ」


 茨木はプイと横を向いた。



「からかってなどいない。どうしてお前はいつもそうなのだ? 俺は本心から――」


「やめてくれ。あたしはお前さんの望み通りにはならないよ。まったく、こんな角が生えた鬼のどこを褒めようって言うんだい?」


「角? 似合っていて可愛いじゃないか」


「ちっとも可愛くないッ!」


 茨木が思わず大きな声で返すと、スサノオは突然笑い出すのだった。



「フフ、ハハハ! アハハハハ!」


「?? 何がそんなにおかしいの?」


「鬼だからどうした? 俺は鬼の茨木が好きなんだ。そんな些末さまつなことを気にしているお前がおかしくてたまらなくてな」


 茨木は思う。


 スサノオはいつもこうだ。

 乱暴者だが真っすぐで正義感の強い男。


 そんなスサノオとは物心ついた頃から一緒にいた。

 この男は昔から何も変わらない。


 亡き母親のイザナミさまに会いたくて泣きわめいたと思ったら、たちまち暴風雨が吹き荒れ、海原は荒れ放題。


 父であるイザナギさまは怒り狂い、こっぴどく叱られた末に追放されてしまったのも当然だろう。


 しかし、当の本人は大して落ち込む素振りも見せず、次はどこへ行くのかと思いきや、姉であるアマテラスさまがおられる高天原たかあまはらへ行くという。


 だが、もちろん歓迎されたとは言えなかった。


 結局は神々のご厚意で、高天原に置いてもらえることになったものの、その素行の悪さは相変わらず。


 すべての田畑を破壊し、神殿を汚物で汚し、機織はたおり小屋に牛の死体を投げ込んだりと、悪ふざけが過ぎてこの地も混乱に陥れてしまったのだった。


 乱行らんぎょうを繰り返した挙句に最高神であるアマテラスさまを怒らせてしまった超がつく問題児。


 その神こそが三貴子さんきしが一柱、スサノオノミコトという男神。


 でも、スサノオはいつだってあたしには優しかった。あたしを鬼と蔑み、しいたげる神たちを絶対に許さなかった。

 

 今こうやって神々と同じ場所にいられるのもスサノオのおかげだ。

 スサノオのおかげであたしには居場所ができた。


 それだけで十分。

 これ以上何を望むというのだ。



「はぁ、何度も言っているじゃないか。あたしはあやかしだよ。神である、それもアマテラスさま、ツクヨミさまと並ぶ三貴子であるお前さんと一緒になれる訳がないじゃないか」


 いつもと同じ言葉を伝える。

 そしてスサノオの返す言葉もいつも決まって同じだった。



「そんなことはない。俺はお前のためなら喜んで神の地位など捨て去ろう」


 スサノオはあたしの隣に腰を下ろすと、身体ごとこっちを向いてあぐらの膝に手をつき、強い眼差しで真っすぐな言葉を伝えてくる。


 あたしはスサノオの目を直視できなくて、思わずふいっと目をそらす。



「だからさ、世迷言よまいごとはよしてくれって」


「いいから聞け。今はまだ他の神々がお許しにならないかもしれぬ。でも、いつか神と妖、それに人も一緒に手を取って暮らせる世の中になればあるいは……」


「そんなの無理だよ」


「無理じゃない。俺たちで変えていけばいいじゃないか。俺とお前とで作るんだ。誰もが希望を抱いて生活できる国を、な」


 真剣に思いをぶつけてくるその目を見ていたら、スサノオなら本当にやり遂げそうな気になってくるから不思議だ。


 頭をぽりぽりと掻くと、やや俯いたまま唇が自然に動いていた。



「……まったく、しょうがないヤツだな。わかったよ。あたしの気が変わらなかったらな」


「本当か! 約束だぞ! 約束したからな、茨木!」


 スサノオは勢い勇んで、あたしの手に大きな手のひらを重ねてきた。

 その手はゴツゴツしていて、情緒的でもましてや扇情的でもなかった。


 でも、不器用なこの男らしいなと思う。

 心から愛おしいと思う。



「ったく、どさくさに紛れて手を握るんじゃないよ」


 気を抜くと、いつだってその胸に飛び込んでしまいそうになる。

 だからあたしはその手をパッと払いのけた。



「いいだろ、減るもんじゃなしに」


「減るんだよ。色々と」


「何だよ色々って」


「しつこいぞ。とにかく色々だ」


 そんなやり取りをしていたら、天岩屋あめのいわやに隠れていたアマテラスさまが賑やかな外の様子が気になったのか、扉をそっと開けてチラリと顔を覗かせた。


 すると、それまで踊っていた八十神たちが一斉に扉をこじ開け、天岩屋に注連縄しめなわで結界を張って、アマテラスさまが戻れないようにしてしまった。


 神々の手際のよい連係プレーに「やられたー」という、わかりやすい表情を浮かべるアマテラスさま。


 ほとぼりが冷めた頃、アマテラスさまが天岩屋に隠れる原因を作ったスサノオは、アマテラスさまや八十神たちに囲まれて散々怒られていた。

 珍しくシュンとしているスサノオもなかなか可愛いものだ。



 しばらくすると、今回の件で大活躍だった芸事の女神であるウズメちゃんがあたしのところへやってきて、スサノオの処遇については神々が数日間かけて話し合って決めるということを教えてくれた。



「それまではここに居てもいいってさ」


「ありがとね、ウズメちゃん」


「いいってことだよ」


 言うなり、ウズメちゃんは羽衣をひらひらさせてくるりと回った。

 肌の露出が多い衣装と、その女らしい艶めかしい肢体に男神ならきっと今ので一撃でノックアウトされちゃうだろうと思う。



「ねえ、茨木ちゃん」


「ん?」


「スサノオさまのこと頼むよ。たぶん、あのお方の横にいられるのは茨木ちゃんだけだと思うから」


「ん……」


 どう返したらいいのか分からなかった。

 本音では女神たちはみなスサノオに寄り添いたいはずだと知っていたから。



「ウズメちゃんだってスサノオと仲いいじゃない」


 思わずそんな言葉が口をついた。



「そうだけど違うって。ウチが好きなのは茨木ちゃんと一緒にいるスサノオさま。だってさ、あのお方って茨木ちゃんがいないところだと、もう暴れまくってそりゃあひどいのなんの」


「ふふ……目に浮かぶね」


「でしょう?」


 あたしは十分幸せだ。

 こうして笑い合える友達もいる。


 でも、鬼じゃなかったら。

 そう思わなかった日は一日も無い――




★作者のひとり言


 こちらの作品は、『「世界を変える運命の恋」中編コンテスト』応募作品となっております。


 もしよろしければ、作品をフォローして続きをお読みいただけると大変ありがたいのです(,,>᎑<,,)


 引き続きどうぞよろしくお願いいたします!

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