042 

 本気で世界を変えようとしたエスカに対し、アディンは自分の矮小さを恥じた。自分だけが世界から嫌われ続けてきたと、心のどこかで思い続けてきた。

 アディンは強く唇を噛み締める。

 呆然とした様子のアディンにグレモリーが大丈夫ですか、と話しかける。

「グレモリーさん、僕はエディンに似ていましたか?」

 突然でてきた意外な名前にグレモリーが目を開き、そしてすぐに答えを返す。

「はい。とてもよく似ていました。姿、形などではなく、魂の在り方そのものが。でもアディンはアディンです。エディンとは全く別人の私たちの仲間です」

 ずっとエディンの代わりであり続けたアディン。そのことに不満がないわけではない。それでもグレモリーの言葉に心が救われた。

「ありがとうございます」

 その刹那――、

「危ないっ‼」

 グレモリーがアディンを突き飛ばす。

 ザシュッ‼ とグレモリーの背から腹へと刃が突き刺さった。鮮血が恐怖の記憶を呼び覚ます。

 真っ赤な馬に跨った真っ赤な騎士。ベリトの使い魔であるベアル。

 沈みゆく夕日を背に死神がそこに立っていた。

 彼我の距離は二十メートルほど。しかし、これはあってないようなものだ。

 ベアルは歩を進める。アディンはそんな相手に背中を向けてグレモリーを庇うように抱きしめた。

「アディン……逃、げて……っ」

 グレモリーは口から血を吐き、必死にアディンの腕から離れようとする。

 しかしアディンは決して逃げないと心に決めた。誰かを庇って死ねるのなら本望だと思ったからだ。

 もっと早く終わらせるべきだったのだ。この悲しみの連鎖を。

 アディンの背中へむけて見えない刃を放つ。その斬撃が彼の背中に十字架を刻んだ。

 死を覚悟し、固く目を閉じた時、バンッ! とまるで金属どうしがぶつかり合う音が響いた。

 アディンは後ろを振り向く。そこにあるのは浮遊する不気味な黒い『右腕』。

 自分が重ねてきた不幸の記憶の中に登場してきた厄病神そのもの。

 直後、アディンの体に稲妻のような衝撃が走る。

 ――なぜ、自分がこうならなければならないのか。

 ――なぜ自分の大切な人の命ばかりを奪うのか。

 ――なぜ自分の思うようにならないのか。

 アディンが抱いたのは自分の運命に対する燃え盛るような怒り。殺してやりたいと思うほどの憤怒。

 それに呼応するように『右腕』が熱を放つ。

「僕は――」『右腕』が岩石に刺さった白善の剣の柄を握る。

「――僕は」『右腕』が白善の剣を引き抜く。

「――――俺はッ‼」その瞬間、アディンは怒りを完全に支配した。

 宝剣は夕焼けを受けてより一層輝きを増した。その柄を握るのは対照的に深く黒い『右腕』。

 アディンは立ち上がり、ベアルへと強い一歩を踏み出す。そんな彼を切り刻むべく、ベアルは斬撃を飛ばすが、宝剣を携えた『右腕』がそれら全てを叩き切る。

 イメージしたのは一年近くアディンに剣術を教えた黒騎士。

 宝剣を携えた『右腕』がベアルの体を切り刻む。敵が魔術を吸収するならば物理破壊をするまでだ。一瞬のうちに仕事を終え、『右腕』がアディンの下へ戻る。その姿は王に忠誠を誓う騎士のようだ。

 アディンはグレモリーのもとへ駆け寄る。そして躊躇いもなく自らの首筋を差し出した。

「吸血鬼は人間の血を吸うことで高い回復能力を得る。そうですよね、グレモリーさん」

 人間ならば致死量に値する量の血液を流し続けるグレモリーにアディンは賭けに出た。

 ヴァンパイアの回復力を信じての行動。昔のアディンならば、ただ傍観していただけかもしれない。だが、今は違う。彼は愚かでも一縷の望みに賭けることにした。

 いままで血を吸われることを拒み続けた少年のその変わりようにグレモリーは一瞬だけ戸惑う。そして、意を決して夢中でアディンの首筋に噛み付いた。ゴクゴクと喉を鳴らすグレモリー。その度に独占力を示すかのように彼の身体をきつく抱きしめた。

 吸血が終わり、アディンの首筋から口を外したグレモリーは唇に付着した血を指先ですくい舐める。彼女は頬を紅潮させ、艶めかしく身をよじる。

「美味しい……」

 うっとりとしたグレモリーの表情に対し、アディンは少し顔色を悪くした。

「傷が治ったみたいですね」

 言われてグレモリーは自分の腹部を見る。そこには無残に切り付けられた傷跡がなくなっていた。

「アディン……どうして急に――」

 ドオオオオオオオオオンっと爆発音が響く。アディンとグレモリーが同時に音の鳴る方角を見た。

 黒煙が空に向かって伸びる。遠くから聞こえる怒号が混ざり合い、それは一つの巨大な化け物のようになった。

 人間と魔族との戦争が始まったのだ。

「グレモリーさん一つお願いがあります」

「何でしょうか、アディン」

「できるだけ多くの魔族に撤退命令を出してください」

 そこで言葉を区切り、アディンは燃えるような瞳でこう言い放った。

「――俺がこの戦争を終わらせます」

 体に巻かれた包帯を今一度きつく締める。虚空から取り出した黒い礼装を身に纏い、パンッ!と軽くスナップをきかせる。そこにいたのは魔王に仕えるアディンの姿。その目には強い意志が宿る。それを隠すようにフェンリから貰った黒い兎を模した仮面を被った。

 アディンの隣には宝剣を持つ『右腕』が宙を舞っている。全ての準備は整った。

 黒兎と化したアディンは戦禍の中央へと走り出した。

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