041 

 エスカがそこにいた。積み上げられた本に溺れるように座っている。

「魔王……ッ⁉」

 アディンは彼女に手を伸ばすが、その手がエスカの体をすり抜ける。

『多分驚いているようだから、初めに言っておくわ。これは記憶。以前話した「記憶辿頁ディーローグ」の力を使っているわ。いまの貴方ならこれを読めると思って』

「……」

『……これは私の記憶。だから私と会話することは出来ないわ。ごめんなさい。そしてもう一つ謝らなければならないわ。これを見ているってことは、私は貴方の願いを叶えることが出来なかったということよね』

 記憶の中の彼女は頭を深く下げる。そして続けた。

『私はこの「記憶辿頁」を通して、歴代の魔王達の記憶を見たわ。暴力を振りかざし、災厄を広め、数多くの命を奪った魔王は最終的に勇者によって打ち倒される。そして、魔王の死によって、世界は一時の平和を取り戻し、次の魔王が現れ、再び混沌が訪れる。私はその繰り返された歴史を見て、魔王が辿る運命を知った』

でもね、とエスカは続ける。

『貴方が私の眷属達のもとで各々の技術を学んでいるのを見て、私はとてもうれしかった。人間と魔族の共存という私の夢の1ページが見られたから』

 エスカは禁書庫の中を少し歩く。

『城壁の上で私がした御伽噺を貴方は覚えているかしら。人間の街へと出かけた魔王と初めて出来た友の話』

 そこで赤髪の少女は目を瞑り、そして事実を述べる。

『あれは私のお父さんとお母さんの話なの。お父さんが魔王でお母さんが人間の聖騎士。怒りで友さえもその手にかけた父は、瀕死の母の命を繋ぎ止めるために魔王城に母を連れ去ったの。父は魔王の力を母に分け与えて、奇跡的に母を蘇生させたわ』

 でも、と記憶の中のエスカは視線を落とす。

『聖騎士である母は、父の正体が魔王であることを知って、ひどく対立したらしいわ。自分をだましていたのかって。当然よね、魔族の王と人間を守る騎士が分かり合えるはずがない』

 エスカがアディンの横を通り過ぎ、立ち止まる。

『だけど、父は人間と魔族が共存できると愚直に信じた。アディン、貴方はこんなことを言うと、愚かだと思うでしょうけど、私は父の考えが美しいと感じたわ』

 エスカがなぜ人間と魔族との共存を望むのか、これではっきりとした。

 自分の父親がそうであったように、いつか魔族と人間は分かり合えるとそう本気で考えていたのだ。

『母は父の考えに初めは反対したけど、その熱意に心打たれたらしいわ。そして二人は結ばれ、私が生まれた』

 エスカは机を細い指でなぞる。

『私が眠れない時、母はよく父のことを話していたわ。でも、そんな母は私が幼い時に亡くなった。先の戦争での傷が原因らしいわ。父は母の死から自分を責め続けて、そしてこの世界から消失した。残ったのは父の理想を受け継いだ幼い私だけ』

 無責任な話だと、アディンは前魔王に対して怒りを覚える。

『アディン……貴方は自分が存在してはいけないと言うけど、私はそうは思わない。貴方のおかげで私は救われたの。かつて父と私の理想を受け止め、そのために私に尽くしてくれた旧友であるエディンを失って、そのエディンととてもよく似た貴方と出会えて、私はまた前を向くことが出来た』

 アディンはエディンという存在に薄々気付いていた。彼はエディンの代理だったのだ。

『貴方に取り憑いている厄病神。それを取り除くことが出来なくてごめんなさい。だから、流星の魔女という人物を探して。彼女は私に魔術を教えた人で、私の名前を言えばきっと力になってくれるわ』

 エスカの姿がかすみ始める。

『アディン、貴方はきっとこんな私を自分勝手だと言って責めるわよね。そう私は我儘な魔王だから! ……魔王だから、この先何が待ち受けていても決して動じてはいけないの。私がしてきたことは間違えじゃなかったって胸を張ってお母さんとお父さんに言うために』

 そう最後に強い眼差しで言って、記憶の世界は終わりを告げた。

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