040 

 近くに海が見える小高い丘がある。そこには岩石に突き刺さった剣が鎮座している。長年潮風に当てられてなお錆び一つない刀身は、まるでその剣の意志の強さを物語っているかのようだった。

「『この剣を引き抜いたものは、自分の弱さと犯してきた罪に向き合える勇気を得ることができ、あらゆる魔を祓うことができるといわれている』か」

 それは、初めてここに訪れた時にともにいたゼノビアが言っていた言葉だ。

 いまのアディンにとって、これほどまでに必要なものが他にあるとは思えなかった。

 アディンは剣の柄を鍛えた膂力で掴み引っ張るが、剣はピクリとも動かない。

 それから何度も剣を引き抜こうとした。違う角度から引き抜くことや、魔術で下の岩石を破壊しようと試みた。

 しかし、彼が魔術を放った途端、剣が見えない壁に守られているように魔術が起動しなくなった。

 とっくに日は暮れ、戦争までの時間が迫る。

 アディンは何度も剣の柄を握り直す。その度に摩擦で手の平から血が流れるが、彼は諦めなかった。

「僕は、これまでさんざん誰かを不幸にしてきた……その度に自分は価値の無い人間だと思ってきた」

 アディンは十字架に懺悔するように、剣に対して頭を垂れる。

「でもこの世界に来て、エスカ達と出会って僕は変われたんだ。僕はそんな彼らを見捨てることなんてできない」

 剣に語り掛けるようにして呟いて、意を決して再び剣の柄を握り、引き抜こうとする。

 しかし、事態は変わらなかった。時間だけが残酷に過ぎ去っていく。

「どうしてだよッ‼」

 アディンは地面に拳を叩き付ける。その時皮膚が裂け、血が流れ出た。

「アディン……?」

 その声が後方から風によって流れてきた。

 アディンは振り返り、赤い髪の少女を幻視した。しかし、そこにいたのは――、

「グレモリーさん……?」

 闇色の髪の吸血鬼がそこにはいた。しかしいつものメイド服ではなく、すっぽりと頭までフードを被った外套姿だった。

「どうして――」

 アディンが言い終えるより先に、グレモリーが抱き着いてきた。

「よかった、生きていたのですね……っ!」

 どうしてそこまで自分の身を案じてくれるのか、アディンには分からなかった。

「あなたが死んだとベリトさんからお話を聞いて、でも生きていてくれてよかった……」

 ベリトのことを聞いてアディンの顔が曇る。

「それよりも、いまのエスカの様子がおかしいんです。まるで人が変わったかのように、人間界に宣戦布告もして、私たち眷属の声も聞き届けてくれません。何か心当たりはありませんか?」

 心当たりならある。ベリト。彼がエスカを魔術で洗脳しているという可能性が一番高い。

「ベリトが仕組んだと思います。この一連の出来事全て」

 そしてあの夜、魔王の城で何があったのか、全てグレモリーに話した。

「そんな……ベリトさんが……どうして……」

 アディンとグレモリーは黙り込む。しかし彼らには状況を理解するのを待つ時間すらない。

「魔王より預かっているものがあります。アディンあなたにです。魔王は私に、もしも自分の身に何か起こったらこれをあなたに渡してほしいと仰っていました。いまがそのもしもの時と私は判断します」

 グレモリーは虚空より羊皮紙を取り出す。

「これは……?」

「分かりません。私には読むことが出来ませんでした」

 アディンが羊皮紙に触れた瞬間、風景が海の見える丘の上から魔王城の禁書庫へと変わった。

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