036 

 コンコンとドアをノックする音が響き、アディンが返事をするより先にドアが開く。

「やあ少年、どうやら派手にやられたようだね」

 部屋に入ってきたのは灰髪に左目に片眼鏡をしたベリト。

 意外な来客にアディンは一瞬戸惑う。

「珍しいな、ベリトが僕の部屋に来るなんて」

「かわいい教え子が危篤状態だったんだ、来るのは当然だろ?」

「よく言うよ」

「ところで少年、重要な話がある。ここではだめだ。『儀式場』で話したい」

 いつも冗談ばかり言うベリトの真剣な眼差しに、アディンは静かに首を縦に振るしか出来なかった。

『儀式場』。アディンとエスカが初めて出会った場所でもある。

 先導するベリトにアディンは半分足を引きずりながらも追いついた。

「ベリト、大事な話ってなんだ?」

 ここまで無言で連れてきた灰髪の闇魔導士に疑問を投げかける。

「まず初めに怪我の具合はどうだ、少年」

「まだ傷が痛むよ。足なんて矢に射抜かれたんだ。正直ここまでくるのにかなり億劫だったよ」

「それは済まなかった」

 ベリトは軽く頭を下げる。そのいつもと違う魔術の師の態度にアディンは驚いた。

「素直に謝るなんて、らしくないなベリト。不気味だからいつもみたいに冗談を言ってくれ」

「ははっ、いまはそういう気分でなはなくてね。ところで少年、ここ最近どこで何をしていたんだ」

 そのベリトの問い掛けにアディンは言葉を詰まらせる。人間のいる街に行っていたと正直に話すべきだろうか。そう少しだけ考え、彼は正直に話すことにした。

 人間の街で勇者と出会ったこと、交易都市で見て聞いたこと、そして赤騎馬との交戦。一通り話し終え、アディンはベリトがこのことを理解してくれるのを待った。

 一年近く魔術の師匠として慕ったベリトを信頼してのことだった。

「それは災難だったね」

 何か意を決したように口を開きベリトは笑った。その様子にアディンも少しだけ安堵する。

「今日は特別なレッスンといこう。君は怪我しているから、見ているだけで構わない」

 ベリトは靴でトントンと大理石の床を叩く。

「【召喚サモン】」

 そうベリトが口にした瞬間、『儀式場』に光が満ちる。

 その眩しさに目を細め、今日はどんな魔術を教えてくれるのかと期待するアディン。

 ――しかし数秒後、その期待は絶望へと変わった。

「な……っ⁉」

 光の中から現れたのは真っ赤な馬とそれに跨る真っ赤な騎士。鮮血の記憶が甦る。戦慄が走る。ジワリジワリと冷や汗が噴き出す。呆然するアディンに対し、ベリトは淡々と語り出す。 

「紹介するよ、これが僕の使い魔――ベアルだ」

 鼓動が高まる。自分を殺そうとした怪物が信頼していた人物のものだった。アディンは後退りする。

「これは僕の最高傑作でね。敵対する者が発動した魔術を取り込んで再生することが出来る。僕はこれを半年前から人間達の住む都市へと放った。とある魔術方陣を組み立てるためにね」

「嘘だろ……‼」

 信じたくない事実からアディンは声を張り上げる。広い『儀式場』に悲痛な叫びが響いた。

「少年、前々から思っていたよ。いや出会った当初から」

「な、何を……」

 戸惑うアディンにベリトは左目の片眼鏡に触れながらこう言い放った。

「――君の存在は非常に不快だ。正直、殺してやろうかと思っていたよ」

 その言葉の直後。

 ――スパッ‼ とアディンの腹部が縦に裂けた。

「ああっ……うああああああああああああああああああああああッ‼」

 止めどなく流れ出した血とともに、アディンは地面に倒れ伏した。冷たい大理石の床に生温かい血液の池を作り出す。包帯で巻いて止血したはずの傷口も開き、彼の意識を刈り取っていく。

 徐々に冷たくなっている自分の体。己が生み出した血の海の中でアディンは溺れていく。

 その絶望した世界の中で、少年は震える唇を動かした。

「し……し……し、死にたくない……」

 地面にひれ伏し吐き出したその真意。何度も死を望んでいたはずの少年の偽りなき言葉。

 轟ッ‼ と『儀式場』に炎が広がった。

「ようやく御出ましですか、陛下」

「……何をしているの」

 突然現れたエスカが静かにベリトに問う。

「些か遅かったようですね、少年はもう助かりませんよ」

「何をしているのって聞いているのッ‼」

 エスカが炎の隻翼と灼眼の左目を顕現させた。その怒り狂う姿はまごうことなき魔王のそれだった。

 ベリトと彼の使い魔ベアルが放つ魔術と見えない刃をエスカが燃え盛る炎で薙ぎ払う。

「そう、それですよ。本来在るべき貴女の姿はッ‼」

 ベリトが道化師のように嗤う。自分と魔王の差が絶対的だと理解した上で、だ。

「陛下、あなたはご自身で己が魂に誓ったはずだ。その少年が裏切ることがあれば彼を殺すと」

 ベリトは、奇術師が自分のマジックの種を明かすように語る。

「この私の使い魔であるベアルは、そこの少年と人間達から攻撃を受けた」

 ベリトは闇魔導士という立場を誇示するように言い放つ。

「少年のこの行動は立派な反逆行為ではないか!」

 今度はエスカが事態に震えた。彼女は自分の胸を押さえ、激しく苦しみ出す。

 エスカを纏っていた炎の勢いが消えていく。

 魔族にとって己が魂をかけた誓い。それを破棄した場合のペナルティ。死よりも酷い苦痛。

 ベリトが魔術を放ち、主であるはずのエスカを地面に縛りつける。

 地面に縫い付けられたエスカは削りゆく命の中で、最後にアディンに向けて魔術を放つ。

 グラリ、と揺らぐ視界。アディンは消えゆく意識の中で、波の音を聞いた。

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