034
草木が茂り、薄暗い森の中をアディンとゼノビアは黙々と歩く。
パキパキと落ちている枝を踏み折る音だけが辺りを支配する。不気味な沈黙が不安を駆り立てた。
「なあゼノビア、この森少し静か過ぎないか」
「私もそう思っていたところだ。明らかに様子がおかしい。草も木もまるで死んでいるようだ」
「アディン、いまは赤騎馬を討伐することに専念しよう。話は後だ」
無言でこくりと頷き、アディンは歩を進める。重過ぎる沈黙を放つこの森では、互いの心臓の鼓動さえも聞こえそうだ。ゼノビアはこういう状況に慣れているためか、或いは勇者としての力なのか、動揺する仕草は見せず、毅然とした態度を崩さない。
ピタリ、とゼノビアがその歩みを止めた。そして進行方向から見て右側をゆっくりと見る。
「どうしたゼノ――」
声をかけようとしたアディンを、ゼノビアが自身の口元に人差し指を当てて静止させる。
「間違いない、悲鳴だ」
「え、なんだって――」
アディンが言葉を言い終わるより先に、ゼノビアが疾風の如く駆け出した。
この時アディンの中の何かがこれより先のことに踏み入れてはならないと警告していた。
草木をかき分け木の根に足をとられず、ただひたすらゼノビアは疾走する。そんな彼女をアディンはフェンリとの修行で鍛えた足腰で追うが、一向に差が縮まらない。彼女は風を纏い韋駄天の如く、不気味な森を駆け抜ける。
そして開けた場所に着いた。悲鳴が聞こえる。アディンの心臓が早鐘のように鳴り出す。
先に着いたゼノビアが目を剥いている。彼女のその横顔を見たアディンは彼女の視線の先を追いかけ、「うっ⁉」と言葉にもならない悲鳴を上げた。
鼻に纏わりつく鉄の錆びたような臭い。呼吸することを忘れてしまうほどの惨状。
そこには花が咲き乱れていた。真っ赤なまっかな華。その中央に立つのはまるで御伽噺に出てくる、白馬の王子様――などではない。
真っ赤な馬とそれにまたがる血のように真っ赤な鎧に身を包んだ騎士。
一瞬見た花園の光景は、理解したくないほどの現実を突きつける。花と思っていたものは、人の臓腑であった。
赤騎馬は片手で昨日ゼノビアと話した大男の身体を持ち上げる。そのずいぶんと軽く小さくなったモノを。そのモノと化した大男から流れた赤が地面にさらに花を咲かせる。
そこには死神が立っていた。
惨劇の中で唯一の生き残りの女冒険者が到着したアディンとゼノビアに気付き手を伸ばす。
助けなければとアディンは震える足を無理に動かし、その手を伸ばす。
「助け――」
ザシュッ! と女冒険者が言い終わるよりも早く鋭利な音が響いた。
アディンの手は空を切り、同時に女冒険者の胴体は見えない何かに切られ泣き別れした。
べっとり、とその場にいたアディンは自分の身体に何かがこべりついたのを感じた。震える手でそれをとり、理解しがたい現実を再び突きつけられる。
「うぁああああああああああああああああああ、ウボゲッ!」
アディンは悲鳴を上げ、胃の中のモノを吐く。もはや立っていることが出来ず、無様に地に腰を落とした。
新たな獲物の登場に気付いた赤騎馬がその歩をゆっくりと進める。
「アディン、逃げろッ‼」
ゼノビアが叫ぶのを無視して、アディンは震える口で魔術を詠唱した。
「【
「【
「【
狂ったように叫び、アディンはありったけの魔術をぶつけた。
砂埃が舞い、魔術が放たれた場所だけ天変地異が起きたかのようになっている。赤騎馬は原型を留めてはいなかった。岩石に押しつぶされ、炎で炙られ、氷で貫かれたためだ。
「やった……」
アディンが呟いた次の瞬間、グニャリと赤騎馬の身体が溶け出した。そして馬、狼、鹿とまるで硝子細工のように姿を変えていく。
そして最後に赤い馬に跨った騎士の姿に完全に戻った。そこにはアディンによって与えられた傷は一つもない。
「そんな、馬鹿な」
絶望に目を見開くアディン。その直後だった。
ビュンッ、と空気を切り裂く音の後、アディンの右肩を見えない刃が深くえぐった。
「うぁああああっ……」再び叫び、激しい痛みが脳を刺激する。
赤騎馬が近付いてくる。その無機質な歩みが恐怖心をさらに駆り立てた。
赤騎馬がアディンの下へ到達するより前に、一陣の風が赤騎馬を吹き飛ばす。
「アディン気をしっかりと持て! ここは私が食い止める。だから早く逃げるんだ!」
ゼノビアの言葉にアディンは躊躇いもなくその場から逃げ出した。右肩から流れ落ちる血が森の中に彼の逃亡の軌跡を残した。
走り、躓き、倒れ、起き上がり、また走る。先程見た恐怖の光景から逃げてにげて逃げる。
逃げて転がった先にあったのは崖だった。アディンは勢いのまま空中に投げ出される。眼下には川など流れておらず、ゴツゴツとした岩肌が現実の非情さを物語っていた。
(僕はここで死ぬのか……?)
何も出来ずに友人を化け物の下へ置き去りにして、自分だけ逃げた卑怯者が。
自分の行いを呪い、落下による死を受入れ目を瞑った時――、
ガリガリガリガリッ!と何かが大地を削る音が耳朶を響かせた。
そして、ゆっくりとアディンは地面に足を付ける。激しい衝撃はなく足が折れるような痛みはない。
何が起きたのか分からず、おそるおそる目を開けるとそこには。
空中に浮かぶ真っ黒な『右腕』があった。およそ人間のものとは思えない不気味な『右腕』。
自分が落下した崖を見る。その岩肌には五つの爪で引っ掻いたような跡が刻まれていた。そこで理解する。この不気味な『右腕』に自分は助けられたということを。
その右腕とアディンには物理的な繋がりは無かった。別段、背中から『腕』が生えたというわけではない。ただ、彼が『右腕』から離れようとすると『右腕』もまた彼に近付いてくる。目には見えない何かが彼と『右腕』を結び付けているのは明白だった。
「おい、お前そこで何をしている……ッ⁉」
森の中から今朝別れた別の討伐隊の班が現れる。そして彼らはアディンとその隣に浮かぶ真っ黒な『右腕』を見た。タイミングは最悪だった。
「お前、魔族だったんだなッ‼ 人間に化けてこの森で俺たちを襲おうとしたんだろッ‼」
班の一人の壮年の男がアディンにそう叫ぶ。
「違うっ、僕はッ‼」
果たして違うと言い切れるだろうか、そう言葉を躊躇った時。
討伐隊の弓使いがアディンに向けて放った矢を『右腕』が空中で掴み、そのまま壮年の男へと投げ返した。
矢が空気を切り裂く音の後、矢が壮年の男の右脚へと突き刺さる。
アディンは無意識だった。しかし『右腕』が彼の危険を判断し、勝手に反撃したのだった。そしてそれは最悪の結果をもたらす。
「そこの魔族の男を殺せ――ッ‼」
その号令とともに、討伐隊の攻撃が降り注ぐ。
魔術師は火弾を飛ばし、弓使いは矢を放ち、傭兵は火薬の入った玉を投げる。
右肩を負傷し、満身創痍なアディンは満足に魔術を起動出来ない。また『右腕』も数の不利を強いられ、彼を守り切れなかった。
火弾に派手に吹き飛ばされ腕を折り、降り注ぐ弓矢に足を射抜かれた。
「ぐっ⁉」
首元から何かが外れる。それは真紅のペンダント。地面に転がったそれに手を伸ばし、彼は祈る。
助けてくれと。直後、世界が揺らぐ。
血を失い過ぎて朦朧とする意識の中で、少女の叫ぶ声を聞いた。
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