030
煌びやかな銀食器が部屋の明りを受けて輝く。
闇魔導士ベリトと彼の主であるエスカドールは、長テーブルを挟んで向かいあうように座っていた。
「ごめんなさいベリト。貴方と夕食をともにする約束を今日まで引き延ばしてしまって」
「何を仰いますか陛下。お約束を覚えていただけでも、僕にとっては至高の喜びです」
ベリトはエスカドールに微笑みかける。それに対し彼の主もまた微笑み返した。
「最近はどう? 闇魔導士団と上手くやっている?」
「はい。僕の魔導技術のおかげか皆、常に進歩していますよ。新たな魔術構築式も得られましたし、どこをどう教えれば皆が理解しやすいのかも大体分かってきました」
「それは良いことね! これも貴方がアディンに魔術を教えてきた成果ね!」
「陛下、僕と二人だけの食事のときに他の男の話をしないで下さいよ」
「あら、嫉妬しているのかしら」
エスカドールが小悪魔じみた微笑をする。ベリトはその表情にやれやれと肩をすくめる。
「当然じゃないですか。僕は陛下を愛しているのですから」
ベリトは真剣な面持ちでエスカドールを見つめる。冗談ばかり言っている従者のそのいつもと違う眼差しにあてられ、エスカドールはたじろぐ。
「え、そ、そんな……駄目よベリト。私は貴方の主であってその……」
先ほどまでの毅然とした態度はどこにいったのか。エスカドールは顔をほんのりと赤く染め、ベリトから目を逸らす。その表情は魔王などではなく、年相応の少女のそれだった。
「陛下は本当に愛らしいですね。僕が言うのは少々おこがましいことかもしれませんが」
「ベリトってほんと冗談ばっかりよね」
頬をぷくりと膨らませてエスカドールはベリトを睨む。
「冗談ではありませんよ。そう言えばあの少年は……」
「アディンのこと? どうかしたの?」
ベリトは左目にかけた片眼鏡を触り位置を整える。
「彼は一体何者ですか?」
エスカドールは従者の改まった表情と態度に少しだけ圧されながら言葉を選ぶ。
「それはどういう意味?」
「彼は僕が魔術を教え始めた頃こそただの凡人でした。僕が闇魔導士団で何度も教えてきた教え子達と同じです――いや、それ以下でした。初めの数日は魔術の才はあまり感じられませんでした」
そこで一旦言葉を区切り、ベリトは金属グラスの中身に口を少しつける。乾いた口を少し潤して、闇魔導士は言葉を紡ぐ。
「出会ってから数日後の彼に僕の編み出した魔術を教えた時、彼はそれをものの数時間で形にすることが出来ました。他の闇魔導士でも最低数日はかかる僕の魔術をたった数時間で、です」
「言ったでしょアディンは私が選んだ人間だって。それくらい出来て当ぜ――」
「当然だと思いますか、本当に」
主の言葉を遮ったベリトにエスカドールは僅かに目を細める。
「並みの魔族ではあそこまで早く僕の魔術を極めることは出来ません。ましてや人間である彼がそれをこなせるなど信じられない、いや信じたくありませんでした」
「……」
「そしてあの少年は僕以外にエリゴスに剣術を、フェンリに体術を、グレモリーに礼儀作法と錬成術、最近ではリィラに精霊術を教わっている。僕の魔術だけでなく他の眷属の技量も着実に付けている。普通の者なら発狂しそうなスケジュールを彼はこなしている」
そこでベリトは再び言葉を区切り次に言う言葉を言うか迷う。そして決意した。
「――彼の成長は異常です」
「ベリト……それは何か不満かしら? アディンは私たちの味方よ。それは私が保証する」
「陛下、僕はもしもの話をしているのです。あの少年がこのままの勢いで成長していけば、歴戦の英雄と肩を並べることでしょう。あの忌々しい『勇者』を超える存在になるかもしれません。そしてあなた様と同じ世界を変える可能性を秘めた魔術師の最高峰である『魔法使い』に成り得るかもしれません」
ベリトはこめかみに人差し指を当てる。
「あの少年は強い意志と決意をもって僕等眷属の修行に臨んでいる。それは僕たちにとっても嬉しい。ですが、同時に僕は恐れている。もし彼が魔族を裏切るような真似をして、陛下に牙を剥くようなことがあったらどうすればいいのかと。その時、僕は化け物の成長に手をかしていたと自分を責めてしまいます」
「私のことが心配?」
「当然です、あなた様は死ぬだけだった僕を救ってくれた。この命は陛下のためだけにある」
そのいつもの道化じみたベリトに似合わない真っ直ぐな言葉は、エスカドールの言葉に直接語りかける。自分はこれほどまでに部下に愛されているのかと微笑ましく思う。
「やっぱり私、貴方のことが好きみたいベリト。そして同時に苦手みたい」
主の訳の分からない言葉に灰髪の従者は僅かに口を開ける。
「ベリト、貴方が私のことを大切にしているのは痛いほど分かるわ。でも私はそれ以上に貴方達眷属を大切にしている。そこには勿論アディンも含まれているの。貴方は彼を危険視しているみたいだけど、私は彼を信じている」
「その根拠はどこにあるのです、彼は人間、僕たちの敵ですよ」
「似ているの……」
エスカドールの呟きにベリトは言葉を止める。魔王の少女は燭台を覗き見て、その瞳に炎を映す。
「似ているの、私が友と呼んだあの子に」
そこでベリトはすべてを悟った。魔王エスカドールが人間アディンに固執する理由、アディンの急激な成長の理由、そして自分自身が感じている焦りの正体。
「嫉妬か……」
ベリトのその呟きはエスカドールにも聞こえたはずだ。しかし彼女はあえてそれを無視して、信頼する従者にその真紅の瞳を合わせる。
「いずれ他の眷属全員に言うつもりだけど、貴方には先に話しておくわ」
「……」
「私は魔族と人間が手をとり合える世界を作る。アディンにはその架け橋になってもらうわ」
魔王のその揺るぎ無い真紅の双眸がどれだけ本気なのかを物語っていた。その様子にベリトは呆気にとられる。
薄々感じてはいた。人間を従者として迎え入れた時からすでに一つの可能性として考慮していた。
人間と魔族との共存。口で言うのは簡単だが、長い歴史の中でその理想を抱いたものは無に等しい。愚かな考えだと思う。
だが。
「どうやらあなた様はとても我儘なようだ。魔族だけでなく、人間の王にもなろうとは」
「そうね。だって私、魔王だから!」
魔王エスカドールは一人の普通の少女のように笑う。
「まったく、我儘な御方だ。御供しますよ、陛下」
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