029 

 一番出遅れて開始した精霊術の修行は森の中で行われた。

「もっと集中して、精霊の声に耳を傾けなさい」

 リィラが口でそう指示するが、それに対しアディンは目を閉じ、眉を八の字にする。

(まったく精霊の声とやらが聞こえない)

 精霊術師になるための最低条件である霊光が見えることは、アディンはすでにクリアしている。今もなお森の中を飛び交う蛍光色の光が見えることはそれが出来ている証拠だ。

 ベリトから精霊術は魔術の基盤となったものということは教わっていたが、それ故に彼は困惑する。

「精霊術と魔術って全然違いますね」

「何を当たり前のことを言っているのですか」

 リィラは眉を顰める。何を馬鹿げた質問を、とでも言いたいような表情だ。

「精霊術は古来より続く神聖な儀式。下賤な人間が作った贋作と一緒にされては困ります」

「ベリトが聞いたら激怒しそうな言葉ですね」

「あの男にとって魔術とは闘いに勝つための手段でしかない。我が主に忠誠を誓うという一点においてあの男とは目的が一致しているだけです。それがなければ恐らく精霊術と魔術とでどちらがより高度なものか争っていたでしょう」

「ほんと二人とも魔王がお好きなんですね」

 アディンの冗談めかした言葉にもリィラは平然と言葉を返す。

「下賤な考えはやめなさい人間。でないとあなたを今度こそ魔狼の餌にしますよ」   

 リィラはいまだにアディンに対して敵意をむき出しにしている。それだけ人間を恨む出来事が彼女にあったということだ。エスカがいなければ、リィーラとアディンの師弟関係も成り立っていない。

「すみませんリィラさん」

 その言葉にリィラははあ、とため息をつく。

「あなたと話したことはまだ数度しかありませんが、あなたはすぐ謝りますね。見ていて苛々します」

「間違いをしたら謝るのが普通だと思いますが」

「確かにそうです。ですがあなたは度を過ぎている。言葉の価値は口に出せば出すほど無くなっていくのです。あなたの謝辞はもう価値を失い始めている」

「……」

「そして後ろ向きな言葉は表情に表れます。それでは精霊の加護を得るのは難しい」

 リィラはその瞳をアディンに真っすぐ向ける。

「言葉には不思議な力がある。それは良い方向にも悪い方向にも働く。だから下を向かず、前向きな言葉を発しなさい」

 それはいつかの夜にエスカがアディンに向けて言った言葉だった。

 苦笑したアディンの顔を見て、リィラが目を細める。

「何かおかしいことでも?」

「いえ、その言葉を以前、魔王に言われました。そしてその言葉を教えてくれたのは私の尊敬する人だとも言っていました」

「なっ⁉︎」

 リィラは短く言葉を発し頬を染める。

「リィラさん、あなたは魔王に慕われているんですね」

「我が主がそんなことを……」

 リィラは視線を泳がせそして頭上を仰ぐ。次に一度頭を冷静にさせ、彼女は口を開く。

「我が主は崇拝すべき人物であり、そんな御方に私が尊敬される言われはありません」

「あなたがそう言うのであればそういうことにしておきます」

 腑に落ちない終わり方にリィラが不満げな顔をする。

「……それにしても、本当に我が主に森であったことを話していないのですね、あなたは」

 アディンはついこの間森に訪れ、リィラに殺されかけた苦い記憶を思い出す。

「言いませんよ、約束したでしょ」

「人間はすぐに嘘を付く。私があなたを信用しているとでも?」

「……本当に僕、信用されていませんね」

「当然です」

「お互いに今回の件は水に流しましょう」

「初めからそのつもりでいるはずなのだけれど」 

 森に吹く風が木々を揺らす。霊光が空に浮かんでは消え、また浮かんでは常闇へと還る。その繰り返しが時間の感覚を麻痺させる。

「こんなにも夜の森が美しいなんて思いませんでした」

「そうですか」

 リィラはアディンが見ている頭上の風景を目で追う。

「かつて人の子は自然を敬愛し、精霊や妖精の声に耳を傾けていた」

 リィラが静かに語りだす。彼女の右耳にある三日月型の耳飾りが夜闇に輝く。

「けれど人の子は自分たちも自然の一部だということを忘れてしまった。自然を侵し、私の同胞を殺して、あまつさえ『精霊王』の力さえも我が物にしようとした」

「精霊王?」

「自然界に存在する精霊や妖精の中で頂点に君臨する存在達のことです。そんな精霊王を手に入れようとした人の子はその強大な力を制御できず、自分の身と生まれ育った国を滅した」

 リィラがアディンと向き直る。

「あなたがこの先、我が主の従者として生きていくのであれば、精霊王に関わらないことです。もし、あなたが精霊王の力を手に入れようとしたら、私がエスカドール様に代わってあなたを殺す」

 この世界に来て何度目かの殺害予告にアディンは一歩後ずさる。

 数秒二人の視線が交錯する。そして先にリィラが目を伏せた。

「あなたは我が主と同じ力を持っていた」

 リィラが頭上を見上げ、そのままの姿勢で言葉を紡ぐ。

「あの炎の隻翼は並みの魔術や精霊術では顕現させることはできません。魔法使いと呼ばれる伝説的な存在にならなければ発動することは難しいはず。なのにあなたは自分が殺されかけている状況下でそれを呼び出すことができた」

「……」

 アディンは頭上を見上げたまま沈黙を守る。

「考えられるとすれば我が主があなたを守ったということに他ならない。どうして人間のあなたが魔王に寵愛されているのか不思議でならない。そして同時にあなたが妬ましい。ずっと近くで仕えてきた私たち眷属があなた一人に我が主をとられてしまうことが悔しい」

「……僕は誰かから必要とされるような生き方をしてきませんでした」

 アディンはゆっくりと言葉を選ぶ。

「たぶん僕の過去をすべて聞いてしまえばリィラさんはもちろんのこと、他の眷属達、そして魔王も僕に失望するでしょう」

「ですがあなたは我が主に選ばれた。名誉ある従者となることが出来た」

「それはきっと捨て犬を見捨てて置けないのと同じです。僕のことを哀れんでいるに過ぎないのです」

 だからと魔王の従者アディンは言葉を繋ぐ。

「僕はそんな魔王に恩返しがしたいだけかもしれません」 

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