028
――フェンリとの修行の場にて。
「せいやぁああッ‼」
フェンリの気合の入った回し蹴りをアディンは上体を大きく後方へ反らして回避する。そしてそのまま体のバネを利用し、彼女を掴みにいく。
(見える、いけるっ‼)
確信した笑みをアディンは浮かべ、その刹那の後――地面に転がった。
フェンリがアディンの動きを先読みして、回避し、技を放ったのだ。
「あと少し……」
天井を見つめながらアディンは呟く。彼の顔を覗き込む獣耳の少女フェンリは驚いた表情を浮かべていた。
「すごいよ、アディン。確実にわたしの動きについてきているよ。前まで反撃も出来ないでただ転がっているだけだったのに」
「でもまだ足りない……まだ僕は君に勝ってないじゃないか」
素早く立ち直りアディンは再び構える。呼吸の乱れはない。彼自身、自分の成長には驚くべきところが多かった。初めの頃はフェンリの動きに追いつかなかったが、それが目で追えるようになり、体が機敏に動き始めている。
「僕はいつか君に勝つ、だからまだ相手になってもらうよ、フェンリ師匠!」
フェンリとの修行は文字通り目に見える変化があった。
初期の頃は相手の動きに翻弄されてばかりのアディンであったが、今ではフェンリの動きを目で追えるようになっており、身体も彼女の動きについていけるようになった。
「せいやっ!」
フェンリの気合の掛け声とともに細足から放たれる薙ぎ払いをアディンは軽いステップで後ろへと回避し、そのまま足のバネを利用し前へ。
対しフェンリは幾度と重ねたアディンの癖を理解しつつ体勢を整える。手足に着けた戒めの鎖をジャラリと僅かに鳴らしアディンの下に潜り込むように、重心を下に傾け始めた。
その瞬間を逃さずアディンはしゃがんで左脚を屈曲させ、そこを中心として右脚を半回転させた。狙うはフェンリの足首。鞭のようにしなやかな動きでアディンの右脚による横蹴りがフェンリのバランスを奪いとる。
「おおっ」
僅かに宙に浮くフェンリの華奢な体躯。もともと体重差では圧倒的に有利なアディンはフェンリの胸倉と細腕を掴み、次の一手に全てをかける。
「はあああッ‼」
相手を背中に乗せ気合とともに投げ飛ばす、背負い投げ。完璧に決まったかのように思われた次の瞬間――、
「⁉」
フェンリの両腕が変化した。両腕とも長くなり、獣の如き体毛で覆われ、強靭かつしなやかな筋肉へと昇格する。そのままフェンリは驚愕するアディンの肩の上で器用に逆立ちをし、前に倒れ込むようにして逆にアディンを投げ飛ばした。
「ぐふッ⁉」
投げ飛ばされて咄嗟に受け身をとったものの、左肩を強打してしまった。
「そんなのありか……」
フェンリの両腕はその華奢な体躯とは不釣り合いなほどに変貌してしまっている。獣の如き強靭さはまるで狼のようだ。
はっと我に返り、フェンリはアディンの元へ駆け寄る。
「アディン、大丈夫、怪我してないッ⁉︎」
無垢な表情でアディンを心配するのはいつものフェンリなのだが。
「僕は大丈夫。少し肩を打っただけだ。それより……」
アディンは自然とフェンリの両腕に目線を送る。獣の如きその両腕を。
凝視されて恥ずかしそうにフェンリは腕を後ろに隠す。
「魔王に聞いた。ワーウルフは獣に変身する種族であることを。いまのがその獣の力なのか?」
「……ごめんアディン。この力はアディンに対しては絶対に使わないと決めていたのに」
フェンリの耳がしゅんと下に垂れる。
「それはどうしてだ?」
「この力は強力で手加減を間違えるとアディンを殺しちゃうから。それに……」
「それに?」
「……あまりこの姿を見られたくなかったの」
「そっか……」
アディンはフェンリの頭にぽんと手を乗せる。そのまましゅんと垂れ下がった獣耳を優しく撫でた。
「アディン?」
突然の弟子の行動に体術の師は驚いた表情を見せる。
「思うのだが……獣耳には誰かを引き寄せる力があるよな。このまま触っていたいと思う」
「……訊かないの? この力のこととか、これを見られたくない理由とか」
「じゃあ、フェンリはそれのことについて僕に何か訊かれたいのか?」
フェンリは静かに首を横に振る。
「なら別にいいじゃないか。フェンリは僕の体術の師匠だろ。それよりもさっきの力を咄嗟に使ったってことは、僕がフェンリを追い詰めたってことだよな。やっとフェンリに追いつき始めた気がするよ」
弟子の喜びように師であるフェンリもつられるように笑みをこぼす。
アディンにフェンリを恐れるような様子は感じられない。それが彼女にとって幸いだった。
「アディンに渡したいものがあるの、グレモリー入ってきてー」
いつもの様子を取り戻したフェンリは扉の方へと声をかける。ここにグレモリーがいるとは聞いていなかったアディンは僅かに眉を顰める。
(グレモリーさん? なぜこのタイミングで?)
「お疲れさまですフェンリさん、アディン」
吸血鬼のメイドはいつからそこにいたのか不思議になるほど平然と微笑し挨拶を送る。
「お疲れ様です、でもどうしてグレモリーさんがここに?」
「それはですね」
そこで口元に手を添え上品に微笑すると、グレモリーは左手を軽く振る。するとそこに綺麗に布で覆われたものが彼女の両手に納まった。
「実はグレモリーに頼んで、アディンのためにある物を一緒に作っていたの」
「そうですよ。私とフェンリさんで一緒に作りました」
フェンリとグレモリーが顔を合わせて笑い合う。フェンリは小包を受け取り、アディンに差し出す。
「受け取って」
フェンリは先ほどの獣の腕ではなく、普通の少女の腕でアディンに小包を渡す。
アディンはそれを受けとり丁寧に布を開けた。
「これは……」
それは黒い兎を模した仮面であった。上側は兎の耳を彷彿とさせる流線形のデザインがあり、目は兎のように赤色。口元はすこし前に出てこれも兎を意識したもののように思える。
「兎の仮面?」
「そう! 私たちワーウルフの一族は大人になる時に仮面を自分たちで作る伝統があるんだ。これは私の気持ちだよ。いつも私の修行に付き合ってくれてありがとう、アディン!」
フェンリは屈託のない笑顔を咲かせる。
「ありがとう、フェンリ。とっても嬉しいよ。でもどうして兎なんだ?」
「うんだって、アディン、なんか兎っぽいから!」
それは見た目の話だろうか、それとも中身の話だろうか。どちらにせよ傷ついてしまう。
「ちなみに私のはこれ!」
そう言ってフェンリが見せたのは狼をイメージした仮面だった。
「兎と狼って……これ完全に僕が喰われる関係になってないか?」
そう苦笑して言いながらも、アディンはプレゼントを受け取って素直に喜んだ。
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