023 

 ――昔々ある国に魔王がいました。数多くの魔族を従え、その頂に立つ者です。

 生まれた時から王として育てられた彼は、なに不自由なく暮らしていましたが、その心が満たされることはありませんでした。

 美味しい料理を食べていても、心地よいベッドで眠りに耽っても、臣下の愉快なお話を聞いても、彼の心が満たされることはありません。

 自分が何を求めているのか知りたくなった魔王は自分のお城にある大きな書庫で一つの生き物の存在を知ります。それは『人間』です。

 多くの魔族達よりも弱く寿命が短い生き物、しかし彼らは魔族とは違う強い生き方をしていると魔王は思いました。

 彼らの生活が知りたい、彼らが何を思い生きているのか興味が湧いた魔王は一つの決断をします。

 独りで人間の街に行って彼らの生活をこの目で見る、そう魔王は決意し、自身の一番信頼出来る臣下に事情を話します。その臣下は激しく反対しましたが、魔王の熱意に感服し、魔王不在の間の彼の代理を務めることになりました。

 臣下は魔王に人間の住む街に行くならば自らの素性を隠し、力を封じなければなりませんと進言します。魔王は信頼する臣下に感謝し、彼の言葉を信じました。

 自らの力を封じ込め、魔王は人間の住む街へと一人で旅立ちました。魔王という重責から一時的ではありますが、彼は解放されたのです。

 舗装された道、立ち並ぶレンガの家、そして人々の喧騒。そのどれもが魔王の城の中で育った彼にとって新鮮に見えました。この街での生活をもっと知りたいと思った魔王は人々と対等に接し、彼らの知恵を借りて細々と生活し始めました。

 人間の暮らしを始めて数日過ぎた時、魔王は初めての窮地に陥ります。数人の男達が彼を取り囲んで暴行を加え始めたのです。

 魔王としての力を封じ込めていた彼はとても弱く、男達に一方的に殴られ続けられました。目的は彼の持ち物だったのでしょう。暴行を加えて動けなくなった彼を見て、男達は満足気に嗤い所持品を奪い取って立ち去ろうとしました。

 そこに一人の騎士が現れました。男達の非道を目にし、騎士としての正義を全うするために。騎士は男達との人数の差にも引けを取らず、無駄のない剣捌きで男達を撃退しました。

 魔王の持ち物を取り返した騎士は、魔王に手を差し伸べます。しかしその手を魔王は拒否してしまいました。無様に地面に転がり、誰かに助けてもらうという醜態を彼の魔王としての矜持が受け入れられなかったのです。

 魔王はこの日の出来事を胸に刻み込みました。

 人間の街に住むのにも慣れ始めた頃、とある騎士の話を酒場で聞きます。生まれつき剣の才があり、精霊の加護にも恵まれ、歴代最年少にして騎士の最高位である聖騎士に選ばれた人物。

 もしやと魔王は思いました。予想していたとおりその聖騎士はあの日、魔王を男達から救った騎士だったのです。

 その騎士はずっと一人でいました。もちろん声をかける者がいないというわけではありません。天性の才能を持ったその騎士に人々は羨望と憧れの眼差しを送りました。それと同時に畏怖や嫉妬といった感情も抱いていたのです。それ故に誰とも喜びを分かち合えず、誰とも競い合うことも出来ない。その騎士の隣は空白のままです。

 そんな様子を見て魔王はかつての自分を見ているような気持ちにかられました。魔族の王として生まれ、肩を並べられるような友もいない。自分を本気で叱ってくれる相手もいない。この時、魔王は初めて孤独を知ったのです。

 魔王は一人でいる騎士に声をかけました。話のきっかけはほんの些細なこと。それでも会話を成立させるのは簡単でした。

 魔王は自分が魔族の王である素性を隠して、騎士との談笑を楽しみました。表情を固くしていた騎士も魔王の話に笑みをこぼし、聞き入ります。来る日も来る日も彼らの他愛ない会話は続き、いつしか二人は友と呼べる関係になりました。

 人間の街に来て半月ほど経った頃、魔王は一度自分の城に戻って臣下と話をすることにします。人間の街で見たこと、聞いたこと、感じたこと、そして友と呼べる存在が出来たこと、臣下に話したいことが山のようにありました。

 城に戻った時、魔王は異変に気付きました。信頼して魔王の責務を任せていた臣下が人間に殺されたと他の魔族から聞いたのです。その事実に魔王は打ちひしがれました。

 自分の思想を真摯に受け止めてくれていた臣下を失った魔王は、怒りに身を焦がします。

 忠実な臣下を殺した人間を捜し出してでも殺したい、魔族の王は人間の街で得た優しい心さえも黒く染めました。

 戦争の引き金はいとも簡単に引かれました。もとより魔族と人間の間の溝は大きかったのです。多くの魔族達の怒りを押されられなくなった魔王は、臣下の復讐に身を委ねた自らの心の弱さを呪いました。

 そんな彼の様子を見て、魔王の従者たちは疑念を抱きます。自分達を導くはずの王がこの有様で良いのか、と。

 反逆の狼煙は魔王を心身ともに傷付けました。従者達の攻撃を受けた魔王は瀕死の重傷を負ったのです。

 人間との戦争は魔王不在のまま始まりました。肉を切り裂き、骨を断ち、血を啜る。この世の地獄のような有様でした。

 そんな有様を見て瀕死の魔王は自らの無力さ、思い通りにならない魔族達、そして運命に憤怒しました。

 身を焦がすような怒りはやがて彼を呑み込み、魔族、人間を問わず焼き尽くしました。

 今まで仕えてきた臣下達、人間の街で出会った兵士たち、そして人生で初めて出来た友と呼べる者さえもその手にかけてしまったのです――。

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