022 

 アディンはその夜、自室のベッドの上で体中に激しい痛みを感じていた。慣れない環境の中で、魔術、体術、剣術を身につける為に体を酷使し続けてきたからである。

 立ち上がり窓を開け、外の空気を取り入れる。それだけのことでさえ今の彼にとって酷であった。

 いつもなら無理にでも体を休ませる彼だったが、この日は異世界に来て初めてのことを試みた。

 自室から外に出て、石造りの城壁の上を歩く。途中で哨戒に当たっていた魔族の兵士たちと出会ったが、自分が魔王に仕える者だ、と言うと意外と呆気なく道を通してくれた。その際、兵士たちはアディンの身を注意深く見ている様子であったが。

 夜風を身に受け、アディンは深く息を吸い吐き出す。そして彼は城壁に背中を預け、頭上に浮かぶ満月を仰ぎ見た。

「ここにいたのね、アディン」

 その暖かな声の主が城壁の上を歩いてくる。漆黒のドレスに身を包んだ赤髪の少女、エスカ。

「そろそろ出てきそうだなって思っていたところだよ」

「そうなの? でもそれって何か不満?」

「いいや。君は僕の行動を理解し過ぎている節があるからね、怖いくらいに、今更だけど」

「この城に関することは大体理解できるわ。誰がどこにいるかくらい手に取るように分かる」

「恐ろしいことだな。おちおち夜の散歩にも行けないじゃないか」

「でも実際、いま散歩しているじゃない?」

「だけど実際、僕が一人にしてほしいときに、目の前に君がいるじゃないか」

 エスカはその言葉に少しバツが悪そうな貌をして、長い髪をくるくるといじり始める。

「ごめんなさい、アディン。そうよね……一人で考えたり、ひとりになりたい時だってあるわよね、そ、その……男の子なんだし」

「何か誤解しているな。僕を君の妄想の中に組み込むのはやめてくれないか」

「し、してないわよっ、そんなこと! ところで隣に座ってもいいかしら?」

「断ると言って、聞く耳を持つ君じゃないだろ?」

 アディンとエスカは並んで座り、同じように夜空を見上げる。

 月が綺麗ですね、なんて洒落た言葉をかけるつもりはアディンには毛頭無い。

「月がとっても綺麗ね。いつも見ているけど、誰かと見るとより綺麗に見えるものね」

「それは僕に対しての告白のつもりか?」

「ち、違うわよ‼︎」

 月明かりに照らされたエスカの顔はひどく赤みを帯びていた。

「冗談だよ。本気にするわけないだろ」

「うう……アディンの意地悪……」

 アディンは肩をすくめ、エスカはそっぽを向く。自分と彼女の距離はこれでいい、そうアディンは感じていた。

「ところで、僕に何か用があってここに来たんだろ?」

「ええ。眷属のみんなと上手くやっているかな、と思って」

「いまのところは何とも言えないな。ベリトは魔術の腕が確かにあって、教え方が上手いけど、嘘を平気でつくのが難点。フェンリは体術の才能があって、僕はそれに追いついていくのが必至。エリゴスさんは、剣術の練習の際にお手本を見せてくれて、動きのイメージがし易いけど、ロノウェを通しての意思疎通なので、いまいちコミュニケーションに欠ける。グレモリーさんには服を作ってくれたお礼もあるし、今度何かお返しをしなくちゃいけないなって思っているところ」

「結構理解しているじゃない……」

「まあね、昔から人の癖や言動を注意深く見るようにしているんだ」

「それは、貴方の過去に関係していること?」

 そのエスカの一言にアディンは言葉を詰まらせた。散々人々を不幸にして、自分だけのうのうと生きてきた。そのことを彼自身赦すことが出来ない。

「もしよかったら……私が相談に乗るわよ?」

 赤い髪の魔王はそっと横で言葉を紡ぐ。それは我が子を心配する母親のような優しい声だ。この魔性にすべてを吐き出せたら、少しは気が晴れるのだろうか。

「いや結構。僕は自分からトラウマをほじくり返して感傷に浸るマゾじゃない」

「そ、そう? アディンがいいならそれで良いけど、本当に辛いときは私にちゃんと言うのよ。貴方をこの世界に召喚したのは私で、私には貴方を守る義務があるわけだし……」

「その言い方だと、君はまるで僕の母親のようだな」

「そうかな? で、でも、貴方に『アディン』って名前を付けたのは私だし、あながち間違えでもないような……」

「君の歳はいくつだ?」

 ふと、出会った当初からの疑問を投げかけてみた。自分と同じくらいの年頃で、少し幼い部分があるものの、言葉遣いや態度がひどく大人びているときがある。人間ではない魔族であるため、見た目よりもかなり歳が上という可能性もあるかもしれない。

 エスカはフフッと悪戯っぽく微笑み、胸を張る。

「私は魔族の長よ! 貴方の何倍も生きているわ!」

「悪ふざけをするなら、禁書庫で見つけた貴女様のマル秘本を眷属様方に見せますけどよろしいですか、我が主?」

「ちょ、それだけはやめて⁉︎」

「君の本当の年齢は?」

「ああ、もう言うわよ! 十五よ。これで満足?」

 アディンは目を見張る。

「僕より年下だったのか。でもどうして年齢を偽ったんだ?」

「……子どもっぽく見られるのが嫌だし、貴方に敬意をもってほしかったから……」

 はあ、と少し息を吐き出し、アディンは応える。

「そんなことをしても、僕の君に対する評価は変わらないよ」

 エスカとアディンの関係は簡単なギブ&テイクだ。アディンは自身の呪われた『力』をエスカの力で無くす代わりに、彼女の人間と魔族の架け橋になってほしいという願いを叶えなければならない。

「アディンの住んでいた国ってどんなところだった?」

 それは夜風とともにアディンの耳に響いた。彼は数秒間を置いて、ゆっくりと語り出す。

「僕の住んでいた国には争いというのがほとんど無かった。ずっと前までは戦争が長い間続いていたけど、今はそれがなくなった。平等に何かを学ぶ環境があって、飢えで苦しむことはほんどない、そういう意味では優しい国だったんだと思う」

「良い国ね、私が理想とするところみたい……」

「そうか? だけどいいことばかりじゃないぞ……いやこれ以上言うのはやめておくか」

「そうしておいて。これ以上聞くとなんか失望しそうだし……」

「エスカ、どうして君は人間と魔族が共存できる世界を目指しているんだ?」

「……アディン、貴方は『火』という言葉を聞いて、何を連想する?」

 唐突な質問の返しを受け、アディンは少し考える。

「危険なもの、とか?」

「そうね、普通はそう考えるわ」

 エスカは指先から火を作り出す。夜を照らす確かな紅の灯火だ。

「でも火を使うことで寒さをしのげるし、料理だってできる。そして、夜道を照らす灯りにもなる。考え方を変えるだけでそれはとても身近にある便利なものへと変わるの」

 エスカはふっと息を出し、指先の火を静かに消す。

「魔族もこの火と同じじゃない? 人間からしたら危険な種族かもしれない、だけど、魔族の中にも良い者たちはたくさんいる。眷属達を見れば貴方だってわかるでしょ?」

 アディンは眷属達を思い出す。それぞれ一癖あるが、彼に対してはみな友好的に接してくれた、ただ一人を除いては。

「それは君だけの考えだ。そして世界はたった一人の大きな願いを叶えるほど優しくない」

 若干十七歳の自分が何を語るのかとばかばかしく思えてくる。それでも、綺麗事で世界が変えられるなんて思えるほどの愚か者ではない。

「アディン、少しだけ御伽噺を聞いてくれる?」

 エスカは夜空を見上げ、静かに物語を紡ぎ始めた。

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