011 

 アディンは魔王城の一室にある大広間へと足を運んだ。

 その大広間はとても広かった。そのだだっ広い部屋の中心にぽつりと置いてある椅子に腰掛け、足と腕を組んで座る男が一人。

 燕尾服姿で右目に片眼鏡をかけた長身痩躯の男、闇魔導士代表ベリト。

 灰を被ったかのような髪は底知れぬ闇を感じさせていた。

「どうも、ベリトさん」

「さん付けはよしてくれ。変に上下関係を作りたくない」

「わかったよ、ベリト」

 アディンがそう言うとベリトは口元を綻ばせる。

 ベリトは初対面であった人間に対しても距離を詰めようとする。それは彼が闇魔導士団を率いる中で身につけた技術なのか。あるいは、魔王のお気に入りの少年と少しでも関係を良くしておきたい表れなのか。

「さっそくだが、魔術について君にはゼロから学んでもらう。クソッタレな人間から学んだ魔術が君にはあるかもしれないが、そんなのは無駄だ」

「まあそっちの方が助かるよ、ベリト」

 ベリトは早速語りだした。

「その昔、世界には精霊術と呼ばれる技術があった。自然界に存在する精霊を言霊と心意によって使役する超常の力だ。しかしこれは一部のエルフやダークエルフ、精霊適合者にしか扱えなかった。古代の賢者は一部の才ある者にしか扱えないこの精霊術の研究に着手した」

「魔術が精霊術から派生したもの? それは初めて知った……」

「それはそうさ。この事実を知っているのはごく僅かな者だけだからね」

「どうしてだ?」

 そこで、ベリトがにやりと嗤う。

「人間種が傲慢な生き物だからだよ。自分たちが作り上げた魔術という贋作が本物である精霊術を上回っていると信じて疑わないからね。ただそれを証明するためにあまたの供物を用意し、自然を侵したんだよ」

「耳が痛い話だ……。だけどそれはベリト、あなただって同じだろう? 闇魔導士団の団長をしているんだ、魔術を得るために出した犠牲があるはずだ」

 クククッとベリトが嗤い、アディンは危険を感じ一歩後ずさる。

「いや~言うね、少年。確かに僕だってそれなりの代償を払った。それは血であり骨であり、そして魂でもある。だけどね、少年」

 そこで言葉を区切り、ベリトは声のトーンを下げる。

「僕は悪魔だ。そして悪魔には悪魔なりのプライドがある。人間と同じ尺度で物事を考えるのはやめてもらおうか」

「……ごめん」

「素直だね、君は。陛下が君を気に入ったのも頷けるかもしれないな」

「魔王が僕を気に入った理由が分からない。僕はただの人間で何かに秀でているわけでもない。それどころか、僕は普通の人よりも価値がないはずなんだ……」

 自嘲気味に言うアディンに、ベリトは鋭い視線を向ける。

「どうしてそう言い切れる? 君は陛下のお目にかかった者なんだぞ。数多くの魔族が喉から手が出てくるほど欲している魔王の従者の立場にいる。あの方の目を曇らせるようなことを僕は決して許さないぞ」

 そんな魔王に忠誠を固く誓うベリトの姿勢にアディンは身を固める。

「君は陛下のその高貴な魂に誓いを立てさせた男だ。それをきちんと理解しているのか?」

「ああ……。だけど、それはそんなに大事なことなのか? ただの口約束なだけじゃないのか?」

「魔族にとって、己が魂に誓いを立てるという行為は、最上位の契約であり、戒めでもあるんだ。もし、魂を介しての契約を放棄、または破棄するようなことがあれば、その当事者は死よりも過酷な苦痛を受けると云われている」

「死よりも過酷な苦痛……」

 ベリトの真摯な言葉にアディンは茫然とする。想像を超えるというより、言葉の意味の処理が追い付かない、そんな状況だ。

 元いた世界で死を超える苦痛というものが存在しただろうか。

「今の話が正しければ、僕が魔族を裏切るという行動が魔王の命に関わるっていうことなのか?」

「正確には死よりもひどいものだがね。君が僕たち魔族を裏切り、それでいて陛下が君を殺さないようなことがあれば、あの御方はその身を滅ぼす。あの御方自身がかけた誓いによって」

「どうして僕なんだ……。どうして魔王は僕なんかを……」

「知らないよ。だけどこれだけは言える。陛下は君を必要としている。そして君はその期待に応えなければならない」

 ベリトのその言葉にアディンの視線は下を向く。自分が背負ってしまった責任を感じながら。

 渇き、固く閉じようする口を無理矢理こじ開け、アディンは問う。

「ベリト、死ぬっていうことは何だ?」

 自分でも何を言っているのか、アディンには判らなかった。ただ、人間の自分とは違う魔族なら何か知っているのではないか、その一筋の望みにかけただけの質問。それだけのことにも関わらず重くのしかかる『死ぬ』という言葉。

 前いた世界で、自分を庇って死んだ心優しい少女の顔を思い出す。

 ベリトは少し目を細め、片眼鏡の位置をもとに戻す。

「果ての無い輪廻に還る、冥界に行く、天国などという世界に行き、神に仕える。考え方はそれぞれだろうね。だけど、僕はこう思う。死とは世界からの除外だ、とね。良くも悪くも肉体から魂が解放される。その先にあることは誰にも判らない。だが、――死とは決して美しいものじゃない」

「……少し意外だったけど、答えてくれてありがとう」

「情けない顔をするな、少年。君は魔王の寵愛を受けし者なんだぞ、実に妬ましい限りだがな。他の数多くの魔族が望んでも手に入れることが出来ない、魔王の側近という立ち位置を君は手に入れたんだ。それに見合うような力を君は手に入れなければならない」

 ベリトは椅子から立ち上がる。その瞬間、彼が座っていた椅子が消えた。

「いろいろと話が逸れたが、始めるとしようか、魔術のお勉強を」

 ベリトがニヤリと口元を嗤わせ、アディンはゴクリと生唾を飲み込んだ。

「少年、右手を差し出してくれ」

 アディンは言われた通りに手を差し出す。ベリトはそれを掴み、凝視する。

「ずいぶん綺麗な手だな」

「それを言うためだけに、手を出させたのか?」

「もちろん違う」

 ベリトはそう言い、人差し指でアディンの掌をなぞる。

「よし、これで終わり」

 ベリトは手を離す。アディンは自由になった手を凝視するが、変わったところは見当たらない。

「……えっと、何をしたんだ?」

「なに簡単な術式を施しただけさ。君の魔力の適正を見るためのものと考えてもらえればいい。さあ少年、心を無にしてイメージするんだ、自分が思う魔術の形を」

「そんなこと言われてもなあ……」

「形はなんでもいい。自分が思う魔術を形にしてみろ」

 ベリトの言葉にアディンは目を閉じ自分にとっての魔術の形をイメージする。

(僕にとっての魔術……)

 浮かんだのは――火。エスカが初めて見せてくれた魔法。

 氷を溶かすような炎。燃え盛る焔。迷いなき紅蓮。

 心の中で苦笑した。自分とは正反対の姿、だからこそ望むことなのかもしれない。

「そういうことか……」

 聞こえたその声に、アディンは目をゆっくりと開ける。

 アディンの掌に小さな火が灯っていた。蝋燭の火のように小さく脆い。吹けば消えるような弱々しいものだ。だが、確かに輝いている。

「おめでとう、君の最も得意な魔術は火系統だとこれで分かった。そしてこれは、陛下と同じものだ」

「魔王と同じもの?」

「君は知らないのか。陛下が最高位の炎を司る紅蓮の魔王だということを」

「いや、なんとなく察していたんだが……そういうことだったのか」

 赤い髪と瞳、そして加護を与える炎の魔法。なるほどな、とアディンは内心で苦笑した。

「確認だが君は魔術に関して何も知らない、そうだな少年?」

「ああ……僕は魔術に関して何一つ知らない」

 無知は恥じるべきことなのだが、この際そのことは通用しない。下手に知っていると言って、後で痛い目を見ることだってある。

「魔術とは、体内の魔力を糧に自然界に干渉する力のことだ。その形は実に多彩だ。それは火であり水であり風でもある。当然、術者の特性に合わせて得意不得意な魔術のカタチが表れる。それを知るのと知らないのとでは魔術における戦闘に影響が出てくるわけだ。分かるかい、少年?」

「それでさっき僕の得意な魔術を調べたわけか。これから僕に魔術を教える際に何を教えればいいのかを少しでも見極めるために」

「察しが良くて助かるよ」

 ベリトは短く答え、笑みを浮かべる。

「ところでベリト、魔術を習うって言っても具体的に何から始めるんだ? やっぱり座学からなのか? 魔法陣を描いたりとか薬草を混ぜ合わせたりとか……」

「そんな下級の魔術師がすることをこの高貴な僕がすると思うかい? それに座学で学ぶことができるのは応用の出来ないガチガチの基礎だけだ。それでは魔術師同士の決闘に勝つことは出来ても、魔導士との戦闘に勝つことは出来ない」

 ベリトのその言葉にアディンは小首を傾げる。

「ベリト……魔術師と魔導士は何が違うんだ?」

「魔術師とは未知なる知識に強欲な者、魔導士とは揺るぎ無い勝利に貪欲な者のことだ。両方に共通するのは魔術を使うということだが、問題はその使い方さ。魔術を純粋に世の理を解き明かすために使う者を魔術師と言うのに対し、魔導士は戦闘における数あるカードの中の一つである魔術を用いて争いに勝つ者のことを言う」

「そっか……確認だけど、ベリトは魔導士なんだな?」

「もちろん。僕が求めているのは、お堅い頭の魔術師が求めるような世界の法則ではなく、陛下に捧げる絶対的な勝利だからね」

 灰髪の魔導士ベリトはそう言うとふむふむ、と顎に指を当てる。

「少年、今から僕が魔術のお手本を見せよう」

「ここで?」

「そうここでする。でも安心したまえ、この部屋で魔法を使用しても建物が傷ついたり、崩落する恐れはない。この城は陛下の魔法によって守られているからね。だから君はしっかりと僕の魔法をその目に焼き付けるんだ」

 アディンは突然のベリトの提案に身を強張らせる。

 対し、片眼鏡の魔導士は右腕を水平に伸ばし――、

「【穿つ氷柱の鋭槍ハルファスピア】」

 短い言葉とともに指先から鋭く尖った氷の塊を射出する。錬成された氷の槍は勢いを殺すことなく部屋の壁にぶつかり、バリンッ‼ という破砕音を立てて砕け散った。部屋中に氷の粒が散らばる。

「通常の建造物であればこの魔術で破壊することが可能だ。十分に殺傷能力があるよ、これは」

 アディンはゴクリと唾を呑み込み、砕け散った氷の欠片を一つ拾う。途端にそれは人の体温で溶け出し、雫となって床に落ちた。

「本物だ……」

「本当に魔術を見たことがないようだな、君は」

 アディンの呟きにベリトが驚いたように肩をすくめる。

 誰が信じるだろうか。言葉一つで瞬時に氷の塊を生み出し射出する、そんな現実を。アディンが歩んできた人生の中では考えられないような常識がこの世界には満ちていた。

「正直、予想以上過ぎて空いた口が塞がらないよ……」

「そうだろう! なんせ僕の魔術は美しさに満ちている‼ 見たかい、今の魔術の錬成速度の速さ、威力の高さ、精確さを。完璧の一言に尽きる」

「すごい自己評価の高さだな。それさえなければ本当にすごいと思ったのに」

「物事を円滑に動かすのに必要なのは経験と決断力、そして自分への絶対的な自信だよ。もちろんこれは僕の持論だが、何が言いたいかは魔王の寵愛を預かりし君なら分かるだろう?」

「そうだね。魔術のご指導、お手柔らかにお願いしますよ、ベリト先生」

 ニヤリとベリトが嗤う、アディンが口元を引き結び、意を強くする。

「さあ、楽しい愉しい魔術レッスンを始めよう」

 こうしてアディンの魔術学びが幕を開けた。

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