010 

「アディン、疲れたでしょう。眠くなってきた?」

「ああ、今日はいろいろあり過ぎて疲れた……」

 アディンは欠伸を噛み殺しながら答える。

 何の前触れもなく異世界に召喚され、魔王と出会ったこと。今まで自分を不幸にしてきた厄病神の発覚。魔王エスカドールによる眷属達への提案。従者として自分が魔王に仕える身となったこと。考えだしたらきりがない。現状を整理するだけで彼の頭は疲労を訴えていた。

「貴方の部屋を用意してあるから、今日はそこで眠って」

「ああ、それは助かる……」

 エスカに導かれ辿り着いた部屋はベッドと机、椅子のみが置かれているだけの簡素なものであった。

「ごめんなさい、まだ何も置いてないの。必要なものがあったら言ってね」

「いや十分だ。ベッドさえあれば……」

 部屋の窓から月明かりが差し込む。月は元いた世界と変わらずに夜を照らしていた。

 アディンはベッドにダイブし、まどろみに身を委ねる。

(ほんとうに……今日は疲れた……)

「お休みなさい」

 その少女の声に応える暇なく、アディンは意識を手放した。


 ――アディンは夢を見た。

 6歳の頃の暑いあつい夏の日だ。幼い額から滴る汗がコンクリートの地面に落ちる。

 道を進んでいたら、突然目の前にトラックが現れた。

 わけも分からず、ただ呆然と立ち尽くした。

 直後、誰かに突き飛ばされる自分の身体、近くを通り過ぎるトラック。

 命が助かったと喜ぶことは出来なかった。

 鮮やかな赤が辺り一面に広がっていた。誰かが絵具を撒き散らしたかのように。

 頬に何か温かいものが粘りついている。

 小さな手で取って見てみると、それは鮮血だった。

 頭が真っ白になった。

 誰かが悲鳴をあげた。人がたくさん集まってくる。

 それを見下ろす影が一つ。

 それは人ではなかった。

 空中に浮かぶ不気味な――――真っ黒な『右腕』。


「うわあああああああああああああああああああああああああッ⁉」

 絶叫とともに目を覚ましたアディンは、自分がいる場所がいつもの自宅の部屋ではないことに数秒かけて気付いた。

「そうか……異世界に来ていたのか」

 最悪の夢だった。もう二度と見たくないほどの。

(何だったんだ……あの黒い腕……)

 異常な光景だった。凄惨な事故の現場で黒い『右腕』だけが独りでに宙を浮いていた。

 アディンは目頭を押さえ、いま見た光景を必死に消去しようとするも、脳裏に焼き付いて離れない。

 過去の現実と空想が入り乱れて混濁している。

「まさかあれが……」

 厄病神。その言葉が頭をよぎったが、アディンは首を振り、自室を後にした。

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