009 

 アディンはこの世界に召喚されて間も無い高校生だ。その見てくれは学校指定のブレザーとズボンである。そんな彼の格好と異なり、彼を先導して歩くエスカはゴシックドレスに身を包み、この世界の雰囲気に上手く溶け込んでいる。

 アディンは目立つことが嫌いだ。眷属達の目には彼の格好が新鮮なものに映っていたに違いない。

 彼は前を歩くエスカに声をかける。

「魔王、さっきからどこに行こうとしているんだ。ずいぶん歩いた気がするが」

 魔王城はとても広い。アディンが目覚めた場所は『儀式場』と呼ばれていて、様々な儀式を取り扱う場所である。アディンをこの世界に呼び出した『召喚術』なるものも、この数ある儀式のうちの一つだ。『禁書庫』や先程までいた大広間など、その他にも多くの部屋がここには存在している。

 アディンはここが魔王城とエスカから聞かされた時、様々な怪物が門を守り、数多くのトラップがしかけられていて、無数の髑髏がそこら中に転がっているものを想像したのだが、実際は違っていた。

 元いた世界の中世ヨーロッパ風の宮殿といえば想像しやすいかもしれない。ただしこちらは煌びやかというには別種の『純黒』という言葉が相応しい。明かりというものが少なく、長い廊下を窓から差し込む月明かりが淡く照らし出している。

「グレモリーの所に向かっているわ」

「グレモリーっていうとヴァンパイア代表の?」

 メイド服に片足だけの長靴下という奇妙な格好の美女の姿が脳裏に浮かぶ。

「正しくは代表代理ね。ヴァンパイアの代表は普段、棺桶の中で眠っていることが多くて滅多に表に出ることがないわ。私も会ったことがあるのはたったの三回だけよ」

「それ代表替わったほうが良いんじゃないか? グレモリーさんに」

「ダメよそんなの。そんなことしたら、グレモリーが死んじゃうじゃない、仕事が多すぎて」

「代表代理だけじゃなくてメイド長もしているのか……苦労が絶えないな……」

「そうなの。グレモリーはとても優秀だから手元に置いておきたいっていう理由もあるわね。それにずっと一緒に過ごしてきたから彼女とは姉妹っていうのかな? そんな関係なの……」

 エスカは姉を自慢する妹のようにひどく人間じみた言葉を発した。

「確認だが、ヴァンパイアって言うのは人の血を好んで飲む種族だよな?」

「ええそうよ。その様子だと貴方のいた世界にもヴァンパイアがいたようね」

「いや、実際にはいない。空想上の生き物だった」

「貴方のいた世界って本当に不思議よね。こちら側の世界の知識が取り入れられている気がするわ」

 そのエスカの言葉にアディンは共感した。彼は状況を整理させるべく次の質問をする。

「そういえば、魔族の代表になるには何か基準があるのか? 例えばその族の貴族などの支配者階級にいる者しかなれないとか」

 エスカは少し間を置いて答える。

「純粋な力よ。ヴァンパイアの代表を決める闘いが開かれた時、グレモリーはヴァンパイア代表に勝てなかった。もちろん代表代理にまで登りつめた彼女はそれだけで十分にすごいけど、それでも代表には及ばなかった。他の代表者たちもそう。個々が強い力を持っている。代表になるための手腕も、カリスマ性も、ちゃんと持ち合わせている。それぞれが代表に足る資格を持っている」

 だから私は眷属達を頼りにしているの、と目の前にいる少女は言ってのける。

 ならばその化け物じみた連中をまとめ上げ、その頂点に立つ君は何なのかと、アディンはエスカに畏怖の視線を送る。その時の彼にはエスカの姿が可憐な少女ではなく、強大な怪物のように見えた。

「着いたわよ」

 エスカはコンコンとノックをし、部屋の主に声をかける。

「グレモリー、少し頼みがあるんだけど、開けてくれないかしら?」

 出迎えたのは闇色の髪を持つヴァンパイアメイドのグレモリー。彼女は、エスカとその後ろにいるアディンを見るなりすんなりと二人を自室へと招き入れた。

「エスカドール様、なぜ人間を従えるようなまねをしなさったのですか?」

 開口一番のグレモリーの言葉はアディンが予想していたものであった。

「理由は簡単よ。彼には利用価値がある。私はそれを見出しただけ」

 言い方はひどいものだが、それとほぼ変わらない理由でこの場にいるので、アディンは横槍を入れずに彼女達の会話を見守る。

「それは困ります! ただでさえ魔族には人間を嫌っている者が多いというのに。そんな人間が魔王である貴女様に近付いていると他の方々に知られれば、そこの殿方の命はありませんよ⁉」

「あら、私の名誉よりも、こっちの人間の命の方が大事?」

「……ッ⁉︎ からかわないで下さいッ‼ 私はそんな――」

 ピタっとエスカがその細い指先をグレモリーの唇に押し当て、続く言葉を封じ込める。先程アディンにやったように。

「そこがあなたの良いところよ。他者のことをまず第一に考えて―――」

「その褒め方、『禁書庫』で僕が見た本の中に書いてあったことか?」

 超然としていたエスカの態度が一変し、顔を赤くしながら、横槍を入れてきたアディンに詰め寄る。

「ちょっとアディン、せっかく良い言葉で締め括ろうとしているのに邪魔しないでよっ‼」

「フッ」

「あーまた鼻で笑ったぁ⁉︎ どうして貴方は私を小馬鹿にするのかなぁ⁉︎」

「魔王は単純ですね。僕はそんな貴女様に仕えることが出来て幸せです。ええ、とっても」

「言葉に感情が入ってない⁉ 私のどこが不満なの、ねえ教えてよ‼」

 そんな二人のやり取りを見ていたグレモリーがくすりと笑った。先程までの、人間であるアディンを警戒する姿勢を少しだけ解き、

「こーら、エスカをいじめたら、血を一滴残らず絞りとりますからねー」

 そんな言葉を笑顔で言ってくる。

「あらやだ、他の方がいる前でエスカドール様の名前を軽々しく……」

「グレモリー、この場では私に対しての敬称は不要よ」

「え、ですがしかし……」

「命令よ?」

 はあ、と少しため息を吐き、やれやれといった感じでグレモリーは苦笑する。

「エスカ、もう少し魔王である自覚を持って下さい。それからエディン・・・・も――」

 メイド服姿の美女の言葉はそこで途切れた。自分の言った言葉が信じられないといった風にエスカに視線を向ける。

「……グレモリー、この子の名前はアディンよ。そう、アディン。今はそれだけでいいの。だからこれ以上は踏み込んではダメ。私と貴女、そしてアディンのためにも」

 そこでエスカはアディンに少し悲しげな表情を見せた。何も知らず、理解することが出来ないアディンは首を傾げるのみ。

「それは置いといて、グレモリー。私はあなたに頼みがあってきたの」

 先程の陰鬱な表情から一変、エスカは努めて明るい口調で言う。

「頼み? 一体何の用ですか、エスカ?」

 エスカはアディンをぐいっと引っ張り言う。

「アディンの服を作ってほしいの!」

「服ですか……別に構いませんが、とても変わったお召し物をしていますね、アディン様」

「アディンと呼び捨てで構いません、グレモリーさん」

 片足だけ長靴下を履いているメイドに自分の服が変わっていると言われるのはあまり気分が良いものではない。そう思っているが、ここは元いた世界とは異なる世界。人種や価値観、思想などが全て未知の領域である。召喚されたばかりでまだ何も分からない少年はこの世界の住人と出来るだけ友好な関係を築くべく、距離をつめる。

 グレモリーは少々意外といったような顔をした。

「人間が礼儀を心得ているなんて……それに魔族である私を畏れる素振りすら見せない……不思議なこともあるものですね」

 その言葉にアディンは複雑な気分になる。

 人間がどれほど魔族を畏れ、忌み嫌っているのか。これもアディンにとって未知の領域だ。

「アディン、今から採寸しますのでお召し物を脱いでください」

 言われた通り、アディンは学生服を脱いでいく。美女の前で服を脱ぐことに抵抗が無いわけではないが、この際仕方が無い。

「では測りますよ」

「よろしくお願いします」 

 首周りや腕周り、胴回りとグレモリーは丁寧に採寸していく。その度にメイド服姿の美女の身体が様々な場所に当たる。密着するような状態なので、白く輝く太股とすらりと長い脚、魅惑的な鎖骨のラインに、くびれた腰などが目に付いてしまい、色々と目のやり場に困る。

「……アディン、危ない考えを持っちゃダメよ。たとえあなたがグレモリーを押し倒すことに成功したとしても、あなたには万に一つ勝てる可能性なんてないのだから」

「しないよ、そんなこと」

 丁度その時である。はあはあと荒い呼吸がすぐ後ろで聞こえてきたのは。今、グレモリーはアディンの背後に立つ形で採寸を行っている。

 つまり――、

「はあはあ……人間の首筋がすぐそこに……美味しそう……はあ、はあ……」

「ダメよ、グレモリー‼ 貴女この前私に『飲み過ぎて太っちゃいました』って言っていたじゃない! 私と一緒にダイエットしようって約束したでしょっ⁉」

「ううう……でも目の前に血色の良い人間の肌が……」

「負けないで、グレモリー‼ 体重秤の前で絶望したくないでしょう⁉」

「ううう……でも飲まなきゃやってられない……」

「上司である代表があんなろくでなしだからって、それはあなたがダイエットを放棄する理由にはならないわ、だから負けないで‼︎」

 グレモリーが欲しているのは人間の血、つまりアディンの血液である。

「本人の了承を得れば……少しくらいは良いですよね?」

 闇色髪の美女が少し上目遣いになり、頬を染めている。メイド服と相まって破壊力抜群だ。

「だが、断ります」

「変なふうに断られました――ッ⁉」

 数分後、一悶着あったものの採寸を無事に終え、名残惜し気な顔をするグレモリーを横目に、アディンは学生服を着た。

「実を言うとだな、魔王。僕はこの世界に来て服装を変えないといけないと思っていたんだ。だから、このせ――っ⁉」

 エスカがすさまじい勢いでアディンの続く言葉を封じる。細い指ではなく、手のひらで。

「(アディン、貴方をこの世界に召喚したことは眷属達にも秘密にして!)」

 耳元で囁かれた言葉を数秒かけてアディンは理解する。

「この世界に来て? 一体何を言っているのですか、アディン?」

「あ、いや……魔族がいる世界に来てってことですよ」

「ああ、そういうことですか」

 異世界から来たことを他者に言ってはならない。それには様々な理由があるのだろう。

「アディン、礼服の素材について何か注文はありますか?」

「そうですね……着心地が良く、動きやすいものが良いです。素材にはこだわりません」

「驚きました。あなたには欲というものがないのですか?」

「グレモリーさんに僕なんかのことで、手間をかけさせるわけにはいきません。メイド長もヴァンパイアの代表代理も務めているのでしょう?」

「いえいえ、これも魔王のご命令ですから」

 その言葉を最後にグレモリーはアディンの礼服作製に取り掛かった。

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