008 

「一体何を考えているんだ、魔王」

 アディンは出来るだけ慎重に、刺激を与えないように言った。

 先程のエスカの提案、事前に何も話していなかった眷属達に自分の師匠になってほしいということ、そして『殺す』という言葉の重みを感じての配慮だった。

 現在、アディンとエスカは眷属達のもとを離れ、とある一室にいる。

「ごめんなさい。あの場はああ言って場を治めるしかなかったの」

「僕は君の下僕になるとは言ったが、眷属達から何かを学ぶなんて聞いていなかった。少し身勝手じゃないか?」

 言い終えてアディンは、はっと我に返る。相手は魔王。それは先程の眷属達の様子を見れば明らかだった。

 魔王エスカドールならばアディンを殺すことは造作もないであろう。先程、初めて見た魔法の炎が殺意の炎に変われば、アディンが灰燼になるのは目に見えている。手のひらの上で今にも握り潰されそうな虫ケラのような感覚に彼の心は畏縮した。

「ごめん……」

 弱者は強者に逆らえない。同じように運命に逆らうことは出来ない。

 他人を不幸にすることで生きてきた少年にはそのことが痛いほどに分かった。

「可哀想に……貴方はとても怯えている……」

 その少女の優しい言葉がアディンの耳朶に響いたのは、彼にとって意外なものだった。

「大丈夫、私は貴方を苦しませたりしない。目的が果たされれば貴方を元の世界に帰すわ。だから」

 エスカは少し間を空けて言う。

「私を畏れないで」

 それは少女の願いにも等しかった。なぜ彼女はここまで悲しそうにこんなことを言うのかアディンには理解することが出来ない。

「……魔王、どうして君はそこまで僕に固執する? 人間を嫌悪する眷属達に師匠になってもらってまで、僕に何かを教えるメリットがどこにある」

「私が貴方に担って欲しい役割は覚えている?」

「は?」

「人間と魔族をつなぐ架け橋になってほしいと私は言ったはずよ。その目的のために、人間である貴方に私の眷属達と少しでも良好な関係を築いてほしい、ただそれだけなの」

「それだけって……。だけど、さっきのダークエルフの言うように僕は君を騙すかもしれないんだぞ⁉ よそ者である僕は君を平気で裏切るかもしれない、それでも僕を頼るようなまねをするのかッ⁉」

「その時はその時よ。私は貴方を殺す。――私の魂に誓って」

 ひどく矛盾した話だ。元の世界に帰すと言っておきながら殺すとも言っている。

 エスカの言葉には不思議な力がある。元の世界で冗談まじりに使われていた『殺す』などの言葉が彼女の前では笑い話にならない。それは彼女が魔王であること以外にも理由があるように見える。

 アディンの視線は魔王と床の間を彷徨う。

「僕は君が思っている以上にたいそうなやつじゃない。だか――」

 続く言葉はぴたりと封じ込められた。エスカが細い指をアディンの口に押し当てたからだ。

「あまり自分を卑下しないで。私は貴方が良い人だっていうことを知っている」

 限界だった。

「何を根拠にそんなこと言えるんだよッ! 僕は今まで最低なことをして、最悪な日々を送ってきた。そんな最低な僕のどこに良い人って言われる理由があるんだよッ‼」

 アディンは声を荒げる。心の奥底まで見透かされているようで吐き気がし、不快になった。

 自分にしか出来ないことだと言われて無理矢理押し付けられるものとは少し違う。期待され過ぎて失敗した時のことを恐れるのともまた違う。

 エスカは善意を以てアディンを見ているだけかもしれない。だがそれが逆に彼の心を蝕んでいた。

「……なら言い方を変えるわ、アディン。貴方は私に協力することで恩を売ることができる。そして貴方はその恩で、魔王である私に願いを一つ叶えてもらうことが出来る」

 魔王エスカドールはアディンの胸、その先にある心臓を指差すように告げた。

「貴方の中にある強大な厄病神を私が消してあげる」

 瞬間、アディンの鼓動が早まった。彼の願い――自分に取り憑いた厄病神を消して平凡な人生を歩むこと。そして、今まで自分のために犠牲になった者達のぶん強く生きること。

 エスカの提案を断れば、自分の不幸な運命は変わらない。それどころか、元の世界に戻ることすら出来ない。

「それに眷属達に鍛えてもらわないと、貴方の願いは叶わないわよ」

「どういう意味だ?」

「貴方に取り憑いている厄病神を祓うには、私の力はもちろんのこと、貴方自身にもそれ相応の力が必要なの。今の貧弱な貴方から私の力で厄病神を無理やり引き剥がそうとすれば必死に抵抗されて、最悪の場合貴方は死に至る」

「なんだと……じゃあ、僕はどうすればいい」

「簡単な話よ。眷属達から各々の技術を学び、この世界で生き抜く術を身につけて、精神と肉体を強固なものにする。ただそれだけ」

「随分と簡単に物事を言ってくれるな」

「言葉はシンプルな方が伝わりやすいでしょ?」

 エスカは小悪魔じみた笑みをこぼし、魔性の瞳を輝かせる。

「だから私と貴方のために、死ぬ気で強くなって」

 断る選択肢はない。自分と魔王が潰した。

 はあ、とアディンは深く息を吐き出す。

「僕は君の提案を受け入れる」

 賽は投げられた。

「よかった、これで契約成立ね。改めてよろしく、アディン」

 エスカはこれでもかとばかりに顔を明るくする。その魔王とは思えないほどの無邪気な微笑みがアディンをさらに苛立たせる。

「その顔やめろ。鬱陶しいだけだ」

 続く言葉を強調するように息を吸って、

「僕は君が嫌いだ。それもかなりな」

 そうアディンはエスカに言い放った。

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