007 

 星を飾る夜空を切り取ったかのような天井に無数の蝋燭が宙に浮いて爛々と輝いている。

「すごい……」

 エスカに導かれた大広間の控え室でアディンは驚嘆の息を吐いた。

 部屋に設えた大きな鏡に全身を映しながら、身なりを整えているエスカは唖然とするアディンを横目に見ながら言う。

「どう綺麗でしょ?」

「ああ、そうだな」

 控え室の硝子越しに見える幻想的な光景をいつまでも見ていたいという感情を押し殺してエスカに訊ねる。

「さっきからずっと気になっていたんだが、君以外にここに住んでいる者はいないのか?」

「いるわよもちろん」

 長く赤い髪を櫛で梳かしながらエスカは答える。

「どこにいるんだ?」

「どこにでもよ。まだ招集の時間じゃないから、みんな待機しているだけよ?」

「……そうだったな、ここは僕が元居た世界とは違ったな。魔族の習慣なんて僕が知るよしもないか」

「もしかしてまだこの世界に召喚されたことを夢か何かかと思ってる?」

「すこしね」

 小声で呟き、再びガラス越しの風景を仰ぎ見る。

(本当に綺麗だ……こんな光景を僕はあの世界で見たことがあっただろうか)

 不幸を呼ぶ存在として、周囲から腫れ物扱いされる日々はひどく霞んでいた。

 そんな自分には見えてなかった世界。夢ならそれでいいとすらと思った。

 自分の不幸な運命に縛られない、誰も傷つけない世界に憧憬を抱き陶酔する。自分が望む世界のカタチを具現化したこの世界を目に焼き付けて、いつもの自分のベッドで目を覚ます未来があったらどれだけ幸せなことか。

「これは信じてもらうのに時間がかかりそうね。さて、もうすぐ集会の時間よ。これから魔族の代表者達が集まるわ。貴方にはそれに参加してもらうけど」

 そこで言葉を区切り、エスカは念を押すようにアディンを見る。

「く・れ・ぐ・れ・も自分の本当の名前は言わないように。貴方は私の新しい下僕としてみんなに紹介するから」

「分かった」

 大広間にある玉座にエスカが優雅に足を組んで座る。その隣に立つアディンは頭上に広がり爛々と輝く無数の蝋燭を見ていた。

「アディン、来たわ。前を向いて」

 そのエスカの声で我に返ったアディンはゴクリと喉を鳴らす。エスカ以外の異世界の住人との対面に彼の中で不安が積もり始める。

  先程言われた指示を心の中で反芻して身構える。直後、目の前に五つの光が現れた。

 蝋燭の火のようにはっきりとしたものではなく、淡く不気味な光だ。それらがそれぞれ形を変えていき、何も無かったはずの空間に五つの影を呼び寄せた。

「よく来てくれたわ、私の眷属達」

 五つの影は魔王の声に応じ、膝を折って深く頭を垂れる。

「「「「「我らが主、魔王エスカドールの意向のままに」」」」」

「よろしい」

 エスカは隣にいるアディンにウインクする。自分が魔王である証明がこれでできたでしょ、と言わんばかりに。アディンはそれを横目で流しつつ、目の前にいる五人の眷属に目を移す。

 格好も、背丈も、纏う雰囲気もすべてが異なる五人。

「ご機嫌麗しゅう、陛下。おおなんとも今日は一段とお美しい」

 五人の眷属の内の一人がエスカに声をかけた。灰を被ったかのような髪に、右目には片眼鏡モノクルをした男だ。長身痩躯で燕尾服に身を包み、怜悧な顔つきが片眼鏡と相まって、かなり知的に見える。それと同時に醸し出す不適な笑みがアディンに道化師という言葉を彷彿とさせた。

 灰髪の道化師は立ち上がり、エスカの隣にいるアディンに目を移す。

「はて、陛下の隣にいるそこの少年は……はっ⁉ も、もしや、陛下と恋仲にある者か⁉ もう既に陛下に手を出したんじゃないだろうな⁉」

「誤解を招くような言い方をしないで、ベリト⁉」

 エスカが顔を赤くして、ベリトと呼ばれた灰髪の青年を怒鳴る。

「その反応、もしや本当に――」

「いい加減にしなさい、ベリト。我が主の品位を地に落とす言葉は慎みなさい」

 その鈴の音のような声は、ベリトの隣にいる女性から発せられた。

 褐色の肌に、白に限りなく近い髪を持つ妙齢の女。髪の隙間から飛び出た長い耳がどこか神秘さを醸し出す。そして右耳に着けられた三日月型の耳飾りが美貌に拍車をかけていた。

「リィラ、止めないでくれ。僕の恋敵が現れたんだぞ!」

「恋敵って、ベリトまだエスカドール様のこと諦めてなかったのー?」

 その声の主は眷属達の中で一番小柄な少女だった。もちろんただの少女ではない。彼女には獣の耳と尻尾がついていた。さらに首元と右手首、右足首にはそれぞれ枷と鎖が繋がれている。あどけなさが残る顔には気怠さがあり、どこか眠そうな印象を受けた。

「お子様は黙ってな、フェンリ。僕は君が踏み入れたらいけない大人の話をしているんだ‼」

「子供じゃないしーしつこい男は嫌われるって知らないのーベリト?」

 フェンリと呼ばれた獣耳と尻尾を持つ少女が欠伸まじりにベリトを諭す。

「ベリトさんにフェンリさん、陛下の御前ですよ。喧嘩はやめましょう?」

 闇色の髪を持つ美女が二人の喧嘩を仲裁する。黒を基調としたメイド服を着た女性だ。そして奇妙なことに右脚だけに丈の長い黒い靴下を履いている。そのため、長い左脚の白い肌が露わになっていた。

 口を開いた時に見えた彼女の鋭い犬歯をアディンは見逃さなかった。

「あれ? グレモリーちゃんはヴァンパイアの代表じゃないよね、代表はどこ行ったの?」

「あの方は『眠い~』って言って、結局棺から出てきませんでした。まったく代表失格です!」

 フェンリの問い掛けに、グレモリーと呼ばれたメイド服姿の美女が憤慨する。

「君も苦労しているんだね、グレモリー。よかったら僕の闇魔導士団に来ないか? ヴァンパイアの君ならいい実験が出来そうだ」

「いいえ、遠慮します……」

 ベリトの視線から身を守るようにグレモリーが身じろぎする。

 アディンは四人の一連の様子を見る。格好も性格も、纏う雰囲気すらも全て異なる四人。そして五人目を見る。立ち上がって話をしている四人とは違い、魔王に対していまだに頭を垂れている者の姿を。

 最後の一人の表情を読み取ることは、アディンには不可能であった。理由は単純で、その者は全身を黒い鎧で覆っていたからである。鎧兜のスリットの奥には虚無が広がっており、背が高く体格の良い身体が鎧の上からでも十分に分かる。そして左腰に差した、長剣が異様に目に付いた。

 彼を一言で言い表すのなら『黒騎士』という言葉が相応しい。

 眷属達の言動を見守っていたエスカが声をかける。

「皆をここに呼んだのは他でもないわ。私の新たな下僕を皆に紹介するためなの」

 エスカの隣にいるアディンに一斉に視線が注がれる。敵意か、好意か、或いは疑念の視線が。それに応えるべく彼は一歩前に進み口を開いた。

「僕の名前はアディン。魔王に仕える新たな従者です」

 場に沈黙が訪れる。

「え……アディン?」

 メイド服姿の美女、グレモリーが不思議そうに口を開く。

「はい、アディンです。それがどうしましたか?」

「いいえ何でもありません、続けて下さい」

「いえ、僕の自己紹介は以上です」

「え、それだけ?」

「はい。以上です」

 ガタン、とその場の何人かが転びそうになった。

「ははッ。これはとんだチェリーだ。よかった、まだ陛下の純潔は保たれている」

 ベリトが片目鏡を指先で少しあげながら呟く。

「我が主、一つ確認してもよろしいですか?」

 すっ、と手を挙げるのは見た目がダークエルフのリィラ。

「なにリィラ」

「その者は人間ですか?」

 先程のとは全く異なる重圧の沈黙が訪れる。ある者は片目鏡の位置を直し、ある者は鎖をジャラリと鳴らし、ある者は牙を剥く。

 アディンは身の危険を察し、冷や汗が流れ出る。敵意の視線が彼を射抜いた。

「そうね……アディンは強大な『力』を持つ人間よ。それも貴方達眷属をもしのぐほどの」

(何を言って――)

「同時に私の下僕よ。手を出すことは許さないわ。安心しなさい、この子は貴方達の味方よ」

「ですが、我が主よ―――」

「私を信じられない? リィラ」

 エスカの言葉に褐色の肌の麗人は押し黙る。

 言いたいことはいくらでもあるだろう。先程、人間と魔族は争いの最中にあるとエスカから聞いたばかりだ。人間に恨みがある魔族がいても不思議なことではない。

 それでもエスカの一声でリィラは動きを止めた。魔王への絶対的な忠義故か、あるいは別の何か。リィラは少し息を吐き出し、いいえと短く答えた。

 数秒おいて他の眷属達から異論が出ないのを確認して、エスカは五人の眷属に声をかける。

「よし。みんな、アディンにそれぞれ自己紹介をして」

 その言葉に一番初めに反応したのはやはりと言うべきか、ベリトであった。

「ではまず僕から。闇魔導士団代表ベリト。よろしく少年」

「ダークエルフ代表リィラ」

 続いて、褐色の肌の麗人が静かに言う。

「ワーウルフ族代表フェンリ」

 フェンリは耳と尻尾を人工物ではないと実感させられる自然な動きで動かす。

「ヴァンパイア代表代理グレモリー。代表代理です。お忘れなく」

 代表代理という言葉を強調し、グレモリーは礼儀良くお辞儀する。

 そして最後の一人『黒騎士』にアディンは視線が送る。いまだ沈黙を守り続ける眷族へと。

 それに対し黒騎士はパチンと指を鳴らし、彼の少し横の空間を淡く発光させる。数秒と経たないうちに、その光は形あるものへと姿を変える。

 光が姿を変えたのはカボチャだった。無論、ただのカボチャではない。アディンがこの世界に来て僅かの間に見てきた超現象の連続を見ていくなかで、“ふつう”のものが出るということは無いと彼は心のどこかで思っていた。

 その予想は的中する。なぜなら――、

『どうもー、エリゴス様の使い魔のロノウェでーす。ヨロー!』

 ――そのカボチャが喋ったからだ。

 カボチャの表面に刻まれたギザギザの切り口から声が発せられたからだ。

 くりぬかれた口と目の部分から明るい光が放たれ、よりいっそう生命を感じさせる。まるでハロウィンの夜に飾られるカボチャの置物に命を吹き込んだようだ。

『エリゴス様は自分から語ろうとしないので、オレっちから自己紹介させていただきまーす。この方こそ、オレっちの主にして暗黒騎士を率いる団長エリゴス様でーす!』

 はい拍手とロノウェは自らの短い手を懸命に叩く。

 フェンリがイェーイと手を叩き、リィラが苛立ち気に目を瞑り、グレモリーがおろおろとする。使い魔の様子を見て、エリゴスはどう思っているか分からない。依然として沈黙を守ったままだ。

(うん、眷属達の中で一番の変わり者はエリゴス、あなただ)

 アディンは五人の眷属達と一人の使い魔をもう一度見渡した。

「相変わらずね、ロノウェ。でも私はあなたのそういうところ好きよ?」

 エスカがロノウェに対して魔性の笑みを送る。

『いや~、エスカドール様にそう言ってもらえると嬉しいですね~』

 ロノウェが少し照れたように短い手で顔を隠す。

「ロノウェ、陛下からそのようなたいへん光栄なお言葉をいただいて、うらやま――いやいや、うらやまし過ぎるぞッ‼ 今夜のカボチャスープにしてやろうかッ⁉」

『ちょっとベリト様、言い直せてない上に、怖いこと言わないで下さいよ⁉』

「ベリトにしては良い考えだね。今日はカボチャスープをみんなで食べようか」

 フェンリがそう言い、ロノウェが泣きそうな声を上げる。

「こーら、私のことで騒ぎ始めないの」

 エスカが微笑み、眷属達を見守る。そんな彼女の姿をアディンは見て、先程の

『禁書庫』での出来事を思い出す。正しくはとある一冊の本のことを。

 偶然見つけたエスカの陰の努力と今目にしている、脚を組む仕草などを見て、

アディンは――、

「フッ」

「ちょっとアディン、いま何で鼻で笑ったのっ⁉」

「ハッ! 少年に対して陛下が怒っているだと? 怒るなら、どうかこのベリトめをお叱り下さい。貴女様の全てを受け止めてみせましょう‼」

「ベリト……」

 ベリトがどこか熱っぽく叫びだしたのを見て、リィラが呆れた表情をする。

 それを見かねたヴァンパイアのグレモリーがエスカに対して質問する。

「エスカドール様、私達にその方を紹介することだけが、私達を呼んだ理由ではありませんよね?」

「もちろん、そうよ――」

 エスカは眷属達を見渡し、そして最後にアディンを見る。

「――貴方達にはアディンの師匠になって欲しいの」

 数秒の沈黙が場を支配した。

「今なんて――」

 エスカの言葉の意味を理解できないでいたアディンが声をあげようとする。

「言葉の意味が理解できません、我が主よッ‼」

 アディンが言葉を言い終えるよりも早くリィラが叫んだ。

「そのままの意味よ、リィラ。あなた達にはアディンの師匠になって、彼に様々なことを教えて欲しいの。例えば、あなたの場合は『精霊術』とか」

「違います、我が主よ! 私が言っているのは、なぜ人間に私達の技術を教える必要があるのか、ということです。人間は傲慢ですぐに嘘をつき、己の欲を満たすために平気で他者を裏切るそれをあなた様は――」

「アディンは私達の味方。これは私の魂に誓って言うわ。もし、アディンが裏切るようなことがあれば――」

 赤髪の魔王は自らの眷属であるダークエルフの目を真っ直ぐに見る。

「――私がアディンを殺す」

 その言葉はこの場にいた全員、そしてアディンの心に深く突き刺さった。

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