006 記憶辿頁(ディーローグ)
異世界に召喚され名前を与えられた少年アディンが最初に驚いたのは、自分が異世界の住人と普通に会話し、意思疎通ができるということだった。とは言うものの、彼の目の前の椅子に座り、表紙が禍々しいまでの書物を読み耽っている赤髪の少女エスカとしかまだ会話をしていないのだが。
先程この世界に召喚されたばかりのアディンは、無数の本棚が連なる『禁書庫』と呼ばれる場所に導かれた。
机の上に乱雑に積み重ねられた書物を見る限り、魔王は整理整頓が苦手らしい。書物にほとんど埋もれながらも、エスカは黙々と奇妙な本を読んでいる。
「どうしたの、アディン?」
アディンの視線が気になったのか、エスカが本を読んだままの姿勢で言った。
「魔王は勤勉だなと思って……いやそうじゃなくて、どうして僕が異世界の住人である君とこうして会話が出来ているのかと思ってだな」
(僕が住んでいた世界とこの世界の言葉が酷似しているのか、非常に気になる)
「ああ、そのことね」
パタリと本を閉じ、エスカは顔を上げアディンを見る。
「貴方をこの世界に召喚する際に、貴方の身体にこの世界に適応させるための複雑な術式を施したわ。だから会話だって成立できるし、この世界のある程度までの文字も読めるはずよ」
どうすごいでしょ! と言わんばかりにエスカは得意げに胸を張る。
「へーすごいな」
「もうちょっと心のこもった褒め方は出来ないの⁉」
「ところである程度までの文字は読めるって君は言ったが、それは裏を返せば読めない文字もあるっていうことでいいのか?」
「……そうね。貴方には、ほ・ん・と・うに複雑で高度な術式を施したけど、完璧ではないの。この魔王である私の力を以てしてもね、例えばそう……」
そう言うとエスカは先ほどまで読んでいた禍々しいまでの本をアディンに渡す。
「この本に書かれてあることを読んでみて」
アディンは言われるままに本に目を通す。禍々しい表紙の本には無数の髑髏や血まみれの蛇、半壊した棺桶から覗く腐敗した肉などが描かれてあるだけで、文字らしきものは見当たらない。グロテスクで不気味なものばかりしかなく、吐き気を起こしそうになり、彼は本を閉じた。
「悪趣味だし、読めない」
「それはそうでしょうね。これは“読む”ものではなく“感じる”ものなのだから」
「どういうことだ?」
アディンは小首を傾げる。
「これは高位の魔術師が触れるだけでその書物に書かれている内容が分かるというものなの。禁書の一つで『
「禁書って……そんな大事なもの、人間である僕に読ませていいのか?」
「どうせ読めないしいいわよ。別に減るものでもないし」
その言葉にアディンは安堵の息をこぼす。
「なら良かった」
「……そんなに私が人間である貴方に、魔族に関する情報を漏洩することを心配してくれたの? 私のために? 貴方意外と優しいのね」
「何を言っている。そんな不気味な本を読んでこれ以上僕が呪われてしまったらどうしようかと心配したから、君に確認しただけだ」
「そ・う・で・す・か!」
エスカは頬を膨らませてアディンを睨む。アディンはそんな視線を無視して質問を続ける。
「魔王、その『記憶辿頁』以外の本を貸してくれないか。僕が本当にこの世界の言葉を理解できるのか確認がしたい」
アディンはぐるりと周りを見回し、数多の本に囲まれた空気を吸う。古い書物のにおいと焚かれた香水の香りを吸って吐き出す。
そうしてこれが現実であると再認識した。
アディンは本に埋もれているエスカに目を向ける。対して彼女は乱雑に積み上げられた本の中から三冊の本を抜き取ってアディンに渡した。
「それなら読めるはずよ。試しに声に出して題名を読んでみて」
「わかった」
アディンは本の題名に目を通す。かなり色あせて読みにくいが、文字の部分が読めないことはない。
見たり聞いたりする段階で、自分の頭の中でこの世界の言語が翻訳されている。実際に書物に表記されているのは見慣れた日本語ではないはずだが、アディン自身が読もうと意識することでその内容を読み取ることが出来た。
「『尊敬される上司の在り方~これであなたも立派な上司に~』」
え? とエスカが呆けた顔をするのを無視してアディンは二冊目を読み上げる。
「『理想の魔王様~恐怖と称賛で部下を動かすべし、大切なのは飴と鞭~』」
「あわわわ……」
「『淑女のたしなみ~近くに気になる魔族がいる貴女に~』」
「ちょっと待ってえええええええええええええええええええええええッ⁉」
結果として顔を真っ赤にしたエスカがアディンを止めた。
「魔王もいろいろと努力しているんだな」
とどめのアディンの呟きにエスカは項垂れた。
「ううう……誰にも言わないでお願い……」
はあ、とアディンは溜息をつく。
「君は本当に魔王なのか?」
目の前にいる赤い髪とゴシックドレスの少女は、いまだに自分が魔王である証明をしていない。そしてアディンはこの世界に召喚されてからエスカ以外の人物と出会ってすらいない。この二つの事実が今目の前にある現実に疑念を持たせる。
エスカは顔を上げてコホンと咳払いする。
「私は魔王エスカドール。これは揺るぎ無い事実よ」
「だったら、君が魔王である証明を――」
アディンが言いかけたその時、ゴーンゴーンと静かなる鐘の音が響き渡った。
「もうすぐ約束の時間ね」
そう言ってエスカは立ち上がった。ゴシックドレスを翻し魔性の笑みを作る。
「これから私の忠実な眷属達を紹介するわ、ついて来て」
アディンは禁書庫の壁に取り付けてある不気味な円盤を見る。長い骨と短い骨が取り付けられている不気味な時計のようなものだ。カチカチとそれが音を刻むのを聞きながらアディンは不安を拭う努力を試みた。
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