003 

 アディンはカップに口を付け一息つく。その瞬間、鋭い殺気を感じた。視界の隅で他の客人達が血涙を流しそうな勢いでこちらを睨んでいるのを見えた。

(やはり目立つな……)

 アディン自身ではない。白銀の勇者ゼノビアの方だ。雪景色を彷彿とさせる白銀の髪に、清廉さを感じさせる青い目、否が応でも人目を引く美貌。

 ゼノビアにかける言葉に細心の注意を払わなければ、彼女のファンに路地裏で刺されるかもしれない。

「そういえばゼノビアはどうしてこの交易都市に来たんだ?」

「実はこの交易都市の領主に依頼を頼まれてな」

「依頼?」

「ああ。実は半年前からここ交易都市ヴェルディアに出没したという怪物を討伐してくれとのことらしい」

「ただの怪物退治だけなら冒険者ギルドで解決すると思うんだが、勇者である君が呼ばれるってことは、相手は相当強いってことなのか?」

「どうやらそうらしい。怪物が現れた早い段階で編成された王国兵の部隊は全滅した。王国側としては魔鉱石の採掘と交易が盛んなこの都市に現れて、人々を襲う件の怪物は目の上のたんこぶのようだ。しかし、これ以上自国の兵を犠牲にすることはできない。そこで勇者である私に白羽の矢が立ったというわけだ」

「ゼノビアはその……怖くないのか。そんな得体の知れない怪物と戦えって言われて」

「もちろん怖いさ。だけど誰かがやらなきゃさらに犠牲者が増える。その誰かが私だった、それだけの話だ」

 ゼノビアは臆することなくそう言った。その様子はまだ十代後半の少女にも関わらず、とても肝が据わっている。

 その時、酒場の店主である初老の男が奥から現れた。

「はいよ、ホットミルク砂糖入りね」

 店主はホットミルクが入ったカップをゼノビアの前へと置いた。

 ミルクの表面から湯気が立ち込めていて、甘い香りが鼻をくすぐってくる。

「ありがとう、店主マスター。そして、久しぶりだね」

「ああゼノビア、久しぶり。三年ぶりくらいか。また会えて嬉しいよ」

 ゼノビアが微笑むと、店主もくしゃっと笑った。

 そんな様子の二人にアディンは疑問を投げかける。

「二人は知り合いなのか?」

「ああ、三年前この交易都市に訪れた時、店主にはいろいろとお世話になったんだ。あと私はこの店のホットミルクが好きでね、何回も足を運ぶうちに知り合いになったんだよ」

「かの有名な勇者ゼノビアの行きつけの店って宣伝したおかげでうちも商売繁盛したからお互い様だよ。『あの白銀の勇者も蕩けさせるホットミルク』ってうたい文句で売り出したら、あっという間に売り切れ続出して大変だったよ」

「そ、そのうたい文句はやめてくれ。なんだか恥ずかしい……」

 店主の言葉にゼノビアが苦笑する。

 店主は次にゼノビアの対面に座るアディンの方に声をかける。

「んで黒髪の兄ちゃん、えーと」

「はじめまして、アディンと言います。とても美味しい珈琲でした」

「これはご丁寧にどうも。アディンも勇者を蕩けさせるホットミルクはどうだい? 今回は初回サービスで安くしとくよ」

「とてもありがたいのですが、どうも甘いのとミルクは苦手で……代わりと言ってはなんですが、珈琲をもう一杯いただいてもよろしいですか?」

「珍しいね、この辺じゃ珈琲は黒くて不吉な水だ、なんて言われて皆から忌避されるのに」

「飲むとなんだか落ち着くんですよ。頭も働きますし」

「分かってるじゃないか! 気に入った! よし、最高に美味しい珈琲を淹れてくるよ!」

 そう言うと、店主は店の奥の方へと戻って行った。

「なんだか気立がいい人だな」

「ああ、私も昔、店主の優しさに救われたよ」

 アディンが呟き、ゼノビアがどこか懐かしむように言葉を返した。

「ところで、ゼノビアは領主の依頼で怪物を倒したあとどうする予定なんだ?」

「また旅に出るよ。勇者の助けを求める人々の元へ」

「そっか……」

 アディンはそこで言葉を区切った、続く言葉をゆっくりと絞り出すために。

「ところでゼノビア、君は魔王についてどう思う?」

 瞬間、酒場は沈黙に包まれた。先程まで賑わっていた冒険者達も店の奥にいた店主も言葉を失った。ある者は口に含んだ酒を吹き出し、ある者は手にしていたスプーンを落とし、ある者は手にしたカップを落として中身をぶちまけた。

 ゼノビアは目を開いてアディンを見ている。

(まずい……地雷を踏んだか……)

 店内にいた一人の冒険者の男が急に震え出した。歯をガタガタと揺らし、何かに怯えるように体を小さくしている。明らかに異常だ。

 その男の背中をさすっている彼の仲間が、アディンに向かって吠える。

「おい、黒髪! 急に物騒な名前出してんじゃねえぞ! こいつは二十年前の『逢魔の日』の被災者なんだ。トラウマを呼び起こしてんじゃねえよ!」

「『逢魔の日』? それはなん––」

「アディン、この話はもうよそう。だけどこれだけははっきりさせておく」

 ゼノビアは意を決し、一呼吸置いて酒場にいる全員に宣言した。

「私は必ず不倶戴天の魔王を討つ」

 魔王という言葉を口に出しただけで震え出した冒険者の男。

 そして魔王を討つと宣言した女勇者。たったこれだけのやり取りで魔王が人々からどんな存在として認知されているのか分かる。

(想像以上に難題だな、これは)

アディンは机の端においてある燭台に目を向ける。ゆらゆらと燃える炎を見て、彼は一年前のことを思い出し始めた。

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