002 

 アルデリア王国東部に位置する有数の交易都市ヴェルディア。

 その一角にある小さな酒場の隅に一人の少年の姿があった。

 この地方には珍しい漆黒の髪をした少年だ。中肉中背で目鼻立ちの整った顔立ちをしているが、どこか憂いを含んだ表情をしている。

 酒場には少年の他に数名の客の姿があった。

 昨日討伐した怪物の数を競い合ってる冒険者、自分が編み出した魔法の利便性を熱弁する魔術師、先日行った娼館の感想を言い合っている酔っぱらい等、皆各々談笑に花を咲かせている。 

 その中でただ一人コップに入った珈琲を少しずつ飲み、テーブルを照らす燭台の灯を見つめる黒髪の少年の姿は少々浮いていた。

 冒険者パーティで仲間が全滅して、たった一人生き残るなんてことはよくある話だ。生き残った者が選ぶ道は二つ。逆境から立ち上がり、他のパーティメンバーを求めるか、あるいはパーティメンバーの後を追うか、違いはそれだけ。

 酒場の客から見た黒髪の少年の印象は後者だった。生への執着は薄く、どこか終わりを求めているそんな表情さえ見受けられる。

 ここで少年に声をかけるお人好しも少なからずいるが、大抵は声をかけずにただ傍観するだけ。

 冒険者達は明日は我が身と心に刻み、いま目の前の飯と酒に喰らいつく。

 その時、酒場の扉がカランと耳触りのいい鈴の音とともに開いた。

「遅くなってすまない、アディン」

 酒場に入ってきた声の主に、黒髪の少年以外の全員が目を見開いた。

 長い白銀の髪に晴れ渡る空のような蒼色の瞳。少年のような凛々しさと可憐さをもつ少女。線は細いながらも決して折れない芯の強さを感じられる。

 白銀の勇者ゼノビア。この街で彼女の名を知らない者はいないであろう。

「大丈夫だよ、ゼノビア。そんなに待ってないから」

 先程まで憂いを含んだ顔をしていた黒髪の少年アディンは、微笑をたたえてそう答えた。

 ゼノビアはアディンの真正面の席に座る。

店主マスター、ホットミルクを砂糖入りで一つ」

 ゼノビアは酒場の奥にいる初老の店主に声をかけた。

「酒場でお酒じゃなくてミルクか。勇者も子どもっぽいところがあるんだな」

 アディンが苦笑する。

「キミもお酒飲んでないじゃないか。ところでその黒い飲み物はなんだ?」

 ゼノビアはアディンの手元に置かれたカップを不思議そうに見る。

「これは珈琲だよ。飲むと心が落ち着くんだ。ゼノビアも一口飲んでみるか?」

 ゼノビアは軽く頷き、アディンが先程まで飲んでいたカップを手に取り、その可憐な唇をつけた。

「うう……苦い。よくこんな苦いの飲めるな」

「初めのうちはそんなものだよ。何回も飲んでいるうちにその苦味は慣れる」

 ゼノビアがカップをアディンの元へ返す。そこで何かに気付き、彼女は頬を少し染めた。

「どうかしたか? 顔が少し赤くなってるけど。珈琲がまだ熱かったか?」

「ん? ……ああ、そうだ。少し火傷したみたいだ。でも大丈夫。なんともない」

 ゼノビアは必死に両手を前に振って否定の意思を表す。

 そんな二人の一連の会話を聞いていた酒場の客達は、酒で麻痺した頭を必死に働かせていた。

 あの白銀の勇者と対等に話している黒髪の少年は何者なのかと。

 白銀の勇者といえば、どの冒険者パーティにも属さず、勇者の力だけで、数多の依頼をこなしてきたことで有名だからだ。

 北の魔猪討伐、東の山賊捕縛、西の要人警護に、南の悪魔退治まで。彼女が単独でこなしてきた依頼の数々は冒険者間で常に噂になっている。

 その勇者としてのカリスマ性、美しい白銀の髪と美貌、そして圧倒的な実力。数多くの冒険者が破格の条件を提示して彼女をパーティーメンバーに迎え入れようとして悉く玉砕したのは記憶に新しい。

 この瞬間、酒場にいた客達のアディンに対する評価が激変した。

 人々の希望たる勇者の祝福を受けたゼノビアと対等に言葉をかわし、同じ卓上にいるアディン。

 客人達はヒソヒソと小声で話し出す。

「(なんだあの黒髪のガキ、ゼノビア様の照れ顔をまじまじと見やがって!)」

「(お、俺だって必死に生きてるのに……!)」

「(テーブル一つ挟んで座ってるだとぉ!? 俺だってあんな距離で見たことねえのに! ゼノビア様の椅子になりてぇよ)」

「(か、間接キスだとぉ……ブフォ!?)」

 最後の一人に至っては盛大に鼻血を出して倒れてしまった。

 何やら慌ただしくなった店内の様子にゼノビアは首を傾げる。

「大丈夫だろうか。急に鼻血を出して倒れるなんて」

「大丈夫でしょ」

 ところで、とアディンは真面目なトーンで話を切り出す。

「今日、僕達が鉱山道で助けた冒険者パーティーは本当に大丈夫か?」

「ああ。みんな怪我をしていたが、命に別状はないらしい。冒険者ギルド所属の治癒術師が言うんだから間違いないさ。みんな数日で冒険者稼業に復帰できるそうだ。まあ、精神面までは保証しないが」

「そうか、なら良かったよ」

「彼らが無事だったのはアディン、キミのおかげさ。キミの魔術はすごかった。ううん、魔術だけじゃない体術も。壁の上を走り抜けて、睨む魔ゲイザーに飛び蹴りをかました時には流石に驚いたよ」

「モンスターの動きが単調でわかりやすかったからだ。それに地形も僕に有利だった。あと後ろでゼノビアが冒険者を守ってくれたからね」

「謙虚だね、キミは」

「あまり調子に乗ると、いろんな人に怒られそうだからね」

 アディンは横目で酒場の客達の姿を見る。

「あの場で見せた精度が高く高火力の魔術に、優れた平衡感覚と膂力から繰り出された足技、そして迅速かつ的確な判断力。どれをとってもキミは一流の冒険者の力がある。十分に誇っていいよ。勇者である私が保証する」

「お褒めの言葉を頂き光栄です、勇者様」

 そうアディンが冗談めかして言うとゼノビアが唇を綻ばせた。

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