第16話

    四十六


 五弟神と六弟神が、元に戻った博海・博正・紬を従えて帰って来た。神武天皇と親しいという、ミカエルに出会った時からの記憶がないことの理由を教えられた。

 記憶の浄化が進まなかったのは、不幸中の幸いだったが、其が純真な心の欠点であることを知った。幼少時期ならば、親たちを初め周りにいる大人たちが、方向性を教えてくれる。況してや情けに熱い民族性が、疑う余地を持たせない。うさぎが暗躍する理由がそこにあった。


「ねぇ、うさぎさん?」

「なんですか、祷さん」

両親おかあさんたちの記憶を奪ったミカエルって、どういう悪魔なの?」

「悪魔という認識は、概念がもたらす陰と云うだけで、神様ですよ」

「どういうことなの?」

「狡猾が導くものが悪意という意味です」

「ちょっと待ちなさい、赤瞳」

「どうしたの、三妹さん」

「此処から先は、三名にも聴かせたいからよ、祷」

 三妹神は云って、六弟神に三名を連れてくるように指示した。三名だけでなく、五弟神や住人たちもゾロゾロと集まり、うさぎの講釈が始まった。


 この世の善悪は、個人的な観点でしかない。其が万事ではないからである。創世主と云われる感性が誕生した時に、陰も誕生しているし、時も刻まれ始めている。その三元主も実質は二元主であった。感性と陰が一対だったからだ。

 感性がもがき苦しんだのは、陰を把握できないからであった。その善悪はすべての元素に継承された。たった三種の行動しかできない理由は、始まりの三元主にちなんでいるが、数多あまたの可能性を秘めていたから、元素の合成で造られる元子が原子となった。そこが終着点にならなかったのは、可能性に秘めた希望が尽きなかったからだろう。原子が分子を造り出したのは、善悪を凌駕できないからで、希望が見据えた先は、多様性に富んでいたということであった。


「だとしても、現在に繋がる理由にはならないでしょう」

 三妹神が口を挟んだ。

「生命体が誕生した理由は、凌駕に至るための試行錯誤がもたらした奇跡ですが、其でさえ必然になります」

「なんでじゃ?」

「単細胞から始まる生命体がもたらした連鎖に眼を向けて下さい」

「連鎖が循環に繋がる理由よね?」

「そうです、理性さん。ことわりとなったのは、生命を維持するための循環が生まれたからです」

「だとすると、我の悪意も正当化できるな」

「弱肉強食という意味では、そうなります」

「違うの?」

「強くなれ! という想いだけは、感性様の応援でしょうが、履き違えています」

「自己中心的概念でしかないからね」

「そういう知恵が働いたのは間違いないですが、勘違いもはなはだしいです」と云い、再び講釈を始めた。


 知恵の領分には、誤算が生じる。例えば一個体(個人)の知恵は、1.0から1.9までしか表記できません。数学(算数)ではですがね。赤瞳わたしの知識に、ノーベルさんの知識が足されたなら、2.0になりますが、それは2個体という表記になります。其を克服するために一分の二(2/1)とすることができますが、生身の一に二思考体とは読み解けないですよね。見えないものを見えるようにする理由なんですがね。違う表記を模索するならば、ばけ学の式で、赤瞳2としても、2のうちの1がノーベルさんということが伝わりません。同じように想像の世界も、伝えることに制限が付きまといます。自由とは、絵に描いた餅でしかないのです。


「だとすると、傲慢の象徴が、神々ということになるわね」

「だから、飼い慣らせって云うの?」

「ミカエルが善意を飼い慣らせば、其が悪ではなくなる、とでも云いたいのね、赤瞳は」

「正義と悪はセットになっていますが、そこに疑問を持つべきと、赤瞳わたしは考えます」

「考える理由はなに」

「これも例えばですが、物語に必要なのは、創意工夫と臨機応変の試行錯誤ではないでしょうか」

「道筋のことだよね、赤瞳さん」

「空想の世界に道は存在しませんから、みちとする事は、卑弥呼さんから訊きましたよね」

「道なき途は、人生そのものですからね」

「其処に寄り添うことは、矯正を排除しないと、自害に繋がると考えるべきですよね」

「寄り添う理由?」

「理由を人が係わるからと重ねれば、管理職という分類が、其だとなりませんかね? 日の本の國が衰退した理由に繋がりませんか?」

「どういうことよ」

「学閥という絆を尊重する理由は、一番に固執する学歴社会がもたらす空想でしかないはずですから。それは軍国主義と代わりのない時代背景になりますよね」

「戦争を捨てた国が、軍国主義でいるのは、管理体制をそのままにしているからでしょう。そこに悪意があるのか解りませんよ」

「善意の悪が、弱い民を蹂躙しています。その現実を視ない限り、時代背景が変わっても、弱い民が蹂躙され失くすものは、心でしかありません」

「だとして、その反面が必ずあるはずだろう」

「縋る宗教は、金儲けの道具に成り下がり、弁護するべき者は、金のない者を受け入れず。この世が世知辛い理由は、心を失くした者たちの横暴がまかり通るからです」

「見えない境界線が、絶滅危惧種を括りに入れた理由ですね」

「自然災害が、凶器となっている理由です」

「若者たちに、其が見えるから、凶悪犯罪に堕ちている、というのもありますよね」

「毎年数億の詐欺が横行していても、それすらが他人事になっています。補填されるのが税金しかなく、税金を納める義務があっても、その税金を正しく使う義務はないようですからね」

「能ある若者が、国を離れる理由じゃな」

「見えないことを理由に、悪行が罷り通るなら、失うものの大きさに気付く訳もないでしょうからね」

「其が現状なんです」

「そのために、わたしたちが必要なんですね」

「何にもしないことが悪意にならないためなんです。ご理解いただけましたか」

 うさぎの講釈に靡いた住人たちが、決意を抱いていた。



    四十七


「のぅ、赤瞳」

「なんですか? 五弟さん」

「わし等が滅殺するべきは、なんじゃろうか?」

「滅殺することができないのが元素なんですよ」

「だから共存するしかないのじゃな」

「正解がないのが、現実とは思えないですか」

「わし等は実体を持たないから善いが、人間は生身を持つから、逃げる訳にも往かず大変じゃな」

「だから終わりが追いて廻るんでしょうね」

 五弟神が、次の言葉を見つけられないでいた。


「神々に終わりがない理由を人間に説法したところで、立て板に水でしょうが、たよりを戻すことはできませんかね?」

「聴く側の気持ちを理解できるなら、頼りは戻せますが、一度下げてしまった信頼関係は元に戻したつもりでも、溝となるのが境界線です」

「その証拠が、赤瞳の解読したお告げの扱い、ということなんでしょうね」

「進化と退化を繰り返していても、人間の本質が変わっていないのが証拠なんです」

「だから、日本人に産まれたことを悔いているのですね」

じょうなさけに厚い本質が、絵に描いた餅でしかありませんからね」

「そうやって悪循環に繋げたのは、赤瞳の被害妄想だと想っていたよ」

「六弟さんに足りたなかったものが、それなんです。今考えられることが、その時には考えられなかったんですよね」

「若気の至りだったのは認めるが、我が奮い起たなければ、路頭に迷う神々が居たからな」

「托鉢をして家内安全を祷った僧侶はかすがいでしたが、祈祷で賃金を稼ぐ現在は、陰陽師と同じということなんです」

「陰陽師?」

「神武天皇が遺した邪波は、古代インドの風習と知るものは現存していません」

「其を用いた名家の代わりが、マスメディアなんですね」

かねに踊らされていることにも気付いていませんよね」

「欲に繋がるからじゃな」

「現存の悪は、金という資本主義になります」

「格差社会を造り出した張本人って訳ね?」

「格差社会が出来上がったのは、金に魅入られた下僕しもべたちの出現でしょう。金に左右されない御人も居ましたからね」

「人間の弱さを知らない人間ということですね」

「弱いから群れますし、不安も打ち消しますからね。祷さんには教えましたが、ひとりの限界は、十人の一割です」

「赤瞳が其を視れるだけで、視れないことを言い訳にして、正当化する輩に堕ちて終った可能性が高いな」

「だとすると、ミカエルにそそのかされた神武天皇がそうなりますよね」

「どういうこと? 赤瞳さん。あたしに解るように説明してよ」

「詐欺の根本は、縋る想いを悪用することです。弱みに漬け込むことが、騙す手段ですから」

神武天皇ごせんぞさまの弱みに漬け込んだのが、ミカエルだったのね」

「弱くしたのが、人間たちでした。神に立身したといっても、子孫たちのことを気に掛けていますからね」

「裏切り行為ということだな」

「善意の悪は許せても、裏切り行為を許せないもんですよね。因みに許せる人は、嘘をつき続ける人になります」

「騙すことと繋がりましたね。赤瞳がウソを毛嫌いするのは、そういうことだったんですね」

「それって、信じていたことが間違っていた時もウソになるの?」

「祷は間違いを指摘された時に、なんていうかしら」

「ウソッ? かなぁ」

「繋がるけど、純真な心の欠点のひとつじゃないかしら?」

「人が不完全なんだから、しょうがないことだろう」

「神々が人を嫌えない理由ですからね」

 うさぎは云って、おどけていた。祷もそれで、ほっとしている。両親の裏切りが、神々への反抗でないことが解ったからである。



    四十八


「女神様は、ミカエルをどう処断するつもりかしら?」

「六弟のことがあるから、処断に踏み切れないのかも知れないわ」

「また、我を悪者にするつもりなのか?」

「悪さをさせないことは、できんじゃろう?」

「する相手を変えさせれば、英雄になるんですがね」

「どういうことだ? 赤瞳」

「こちらに寝返らせるの?」

「そんなことできるわけないわ」

「できないことでも、ないはずです」

 うさぎは自信満々に云った。その事実に触れることは、神々の落ち度に触れることであった。だから祷も口を出せなかった。

「人間だった赤瞳が、人間の癖をついたから成功しただけで、ミカエルを騙せるとでも想っているのか?」

「騙せるとしたら、改心したことを伏せる六弟さんしかいません。卑弥呼さんが出てこないのは、そのお願いをしたくないからでしょうね」

「悪党を再現しろ、というのか? 赤瞳」

「騙せるとしたら、それしかないですよね」

「其をさせるために杖をかえしたの?」

「悪霊に対して手を抜いても、信用しないでしょうからね」

「正義も悪もない現実を演じさせるわけかい?」

「ミカエルにとっての最大の敵だった事実しか、知らないはずですよね」

「結界内から討伐に出たからか?」

「ミカエルが地獄から仲間を呼び寄せたように、ノーベルさんを引き連れたことで、悪夢を呼び起こしたに違いないですからね」

五弟わしの後を追わせたのは、そのためにだったのか」

「競い合うほど仲良しなことは、公然の事実でしょう?」

「赤瞳がすることを先読みした女神様が、姿を現さなかった理由かしら?」

「かも知れませんし、違う想定をしているのかも知れません。卑弥呼さんにとっては、神武天皇の裏切りの方が、面白くないでしょうからね」

「そういうことか」

 五弟神が、過去の因縁を思い出していた。

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