第19話 先輩は黙っていてくださいっ


「今すぐに訂正してください、って言ってるのが聞こえないんですか?」


 まず先に攻撃を仕掛けたのは伊織の方だった。しばらく続いていた沈黙を破り普段目にすることのない鋭い視線を渚へと向けながら、そんな言葉を投げかける。


「大体なんでそこであなたが噛み付いてくるのかしら?」


 しかし、渚はそんな攻撃的な伊織に対しスタンスを崩すことなく淡々とそう返す。ちなみに俺と浜崎さんはと言えば2人ともこの空気感の中、なにも言うことが出来ずあいも変わらず黙り込んでいた。


「...ムカつくんですよ。不快で不愉快です。楓先輩に対戦ゲームでひたすら毒攻めと無限回復された時の10倍不快です」

「だから、なんでそこであなたが怒ってるのか聞いてるのよ。あなたは関係な——」

「先輩は優しいんですよ。だから、元カノであるあなたにどれだけ自分を酷く言われても気にしない——フリをします」

「っっ」


 これまで余裕の様子だった渚がここにきて動揺を見せる。基本的に表情がピクリとも動かない彼女らしくもない、それは明らかな動揺。


「元カノのあなたなら分かりますよね? そんなことくらい。先輩は言い返したり気にした素振りを見せないだけで深く傷ついているんです」


 伊織はそこを見逃さず畳み掛けるように、そうまくしたてる。すると、渚はなにも口を開けず震え始めた。さっきまでの様子なら即座に反論してきそうなものだが、どうしたというのだろうか?


「わ、私は...」

「あなたからして見れば、先輩と関わりたくなくて発した言葉かもしれませんが、それによって先輩はっ、先輩は——」

「もういい、伊織。十分だ。本当に俺の為にありがとな。でも、俺は大丈夫だから」


 声もまともに出せない渚に対し、怒りを吐き出すように続けようとした伊織の言葉を遮って俺は声を出す。渚の言わんとしていたことは分かっているし、伊織が今無理をしていることも分かっていた。だからこそ、止めるべきだと判断した。


「先輩は黙っていてくださいっ。これは私と渚さんとの話です。まだ話は終わってません」


 が、伊織は決意のこもった顔で俺に向かってそう言うと再び渚の元に向き直った。


「先輩は優しいです。だからきっとあなたがなにを言ったとしても許すでしょう。でも、先輩ほど優しくない私は絶対っっに許しません。言葉を訂正してください。...先輩に謝ってください」


 そして未だになんの言葉を発することも出来ない渚にそう言った。


「渚...」


 すると、浜崎さんも渚の方を心配そうに見つめながらなにか促すような視線を送る。


「ご、ごめんなさい。確かに言い過ぎたわ、配慮にかけていた。本当にごめんなさい」

「えっ、あっ、いや」


 渚が何故か青ざめた顔で震えながら頭を下げてくるので、俺としてはどうリアクションしていいのか戸惑っていた。


「...ふーん、意外に素直に謝るんですね。てっきり、プライド高そうだから謝り慣れてないと思ってました」


 そして伊織としてもそれは同様だったらしく、あからさまに面を食らったような表情をしながらそんなことを言った。

 だが、実際伊織の予想は概ね正しい。確かに基本的に渚が謝るという場面はない。だが、それはプライドがどうとかではなく渚はミスをすることがないのだ。

 全てのことにおいて正しい選択、行動を取り続けることによりそもそも謝る場面が存在しない。俺の知る渚は完璧を体現したような少女である。

 だからこそ、今日の渚の異常性については俺も疑問を抱いていた。らしくもない。まるでなにかに焦っているような怯えているような様子である。

 今にして思えばここ最近の渚はナンパをキッパリ断れなかったり、俺のことを見るたびに一瞬なにかに怯えるような表情を見せていた。

 一体、彼女になにがあったというのだろうか? 正直、あそこまで言われた上で渚に話しかけるのは俺としては辛いものがあるが、それよりもただの気のせいだとしても渚の身になにがあったのではないかという懸念を取り払う方が重要だろう。


「なぁ、渚お前本当にどうし——」

「今、先輩と渚先輩が話すのはダメです。というか、まだ私と渚先輩との話は終わってません。とりあえず、先輩は今は無理せず伊織の可愛い可愛い顔でも見て心でも癒していてください」


 そう思って必死に感情を抑え込んで渚に尋ねようとした俺だが、途中まで言いかけたところで伊織の言葉によってかき消されてしまう。...よくこの場面でもボケられるな。いや、ボケてないのか? 伊織ならワンチャン本気で言っている可能性もありそうだ。


「なんですか、その伊織ならマジで言いかねないみたいな表情っ。伊織をどんな奴と思ってるんですか!? 普通にボケですから。少しでもムードよくしようと言ってますからっ。いや、先輩と違って伊織が可愛いのは事実なんですけど」


 すると俺の表情を見てなにかを察知したのか、伊織は心外だと言わんばかりにそう口を開いてくる。というか、今確実にいらない一言あったな。


「はっ、今は先輩なんかとこんな話してる場合じゃありませんでした」

「おい、こら」


 こんな話ってなんだ。お前が始めた話だろうがっ。しかし、伊織は俺の言葉を華麗にスルーすると渚へと向き直り、


「とにかく、ウチの部に属する以上さっきみたいな発言は見逃しませんからね。分かりました?」


 そんなことを言った。そして対する渚と言えばそれは素直に頷くのだった。...いや、本当にどうした?



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 次回「どうしようか」


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