堕天まみえず
午後九時半過ぎ。俺はパソコンでの作業を終えるとおもむろに振り返る。そこには瞬きの一つもせずただじっと虚空を見つめる天使がいた。
瞳孔が開いており何を考えているのか分からない表情だ。いや、むしろ何も考えていないのかもしれない。下手すれば死んでいるのかと勘違いするほどに無口だが……
「眠たいのか?」
「ん? いいや、ぼーっと、してただけ、だ」
彼女は天使だ。睡眠欲など感じないのだろう。
あれから一晩、俺たちは疲れ切っていた。というのも、夜が明けてからすぐに外出。それから夕方になるまで常に歩き回っていたのだ。
一つは買い物の為。多少のお金を貯めていたがもうすぐ死ぬとなれば惜しまず使い切るのが得策だろう。欲しかったヘッドフォンや時計を買いまくった。これで長生きでもしてしまったら悔いても悔いきれないだろう。
もう一つは天使の為だ。彼女はまるで寝ることが自分にとっての幸せのように語るが、聞いているとなんだか物悲しく感じる。人の趣味に茶々を入れるつもりはないが、せっかく俺のところに来たからには少しでも楽しんでほしい。そう思って外に出たが、もしかして余計なお世話だっただろうか?
「疲れたのか、申し訳ないな。無理やり連れまわしてしまって」
「別に、うれしい。ひさしぶりに、動いたから気持ちが、たかぶった」
「そ、そうか」
天使は目を擦ると大きく大きく伸びをした。そんな天使を微笑ましく見ていた瞬間だった。
「……!?」
ガラスが砕けるような音が部屋に響く。と同時に天使が力なくベッドに倒れた。
「ど、どうした!」
急いで天使の体を起こし支えてやる。だが彼女は驚いた様子で目を見開いており、口元が小さく震えていた。
音の正体は天使の輪っかのようで、小さなひびが数か所入っている。だが痛さを感じる様子はなく、時々瞼が痙攣を起こしまるで死体を見つけたかのような表情のまま動かない。
彼女は俺の腕を掴むとゆっくりと話し出した。
「天使が七、大天使が二死んだ」
「死……」
「安心、しろ、天使が死んでも、べつじょうはない。ただ他の、てんしのふ、負担がふえる、だけだ」
彼女は目を覚ましたように笑顔になる。
曇りのない彼女のほほ笑みにうすら寒いものを感じた。俺を安心させるためなのだろう、だがかえって逆効果だ。
「その輪っかは? 痛くはないのか?」
「うん、だいじょ、うぶ……これは」
「……」
「おそらく、罰だ。私が、天使について……言ってしまったから」
天使は口角をあげて話すがどうやら申し訳ないのだろう。目が泳いでいた。
俺が天使についていろいろと考えてしまったせいなのだろう。確実に俺のせいだ。
「ごめん! 俺のせいだ……」
「い、いや、あやまら、ないで……?」
「人に傷をつけるのは俺としてのプライドが許さない。どうか」
「い、いい、んだ。むしろうれしい」
「うれしい……?」
「うん。こうやっていろいろと聞いて、くれると話してて、楽しいから」
天使は皆このような性格をしているのだろうか?
救われる。彼女の言葉で罪悪感が悪いものではなくなっていく感覚があった。
「それに、むしろ、聞いてほしい」
「そ、そうなのか」
「うん、そうだ。天使がしんだ、り、理由、きになってるでしょ」
「気にならないと言ったら、嘘だ」
「堕天使が、現れたんだ」
堕天使。音楽や物語でよく聞く単語。いわゆる神様を裏切った天使のことだろうが……
「堕天した天使が保守の為に天使たちを殺したのか」
「おそらく、そう」
「おそらく……? はっきりとは分からないのか」
「二人の、あ、悪魔が……現れたんだ」
「悪魔ってのはなんだ?」
「それは……」
堕天使やら悪魔やらよく分からない。それに彼女も回答に困っているようだ。
無下に質問するわけにもいかない。彼女が傷を負ってしまうことは決して避けなければならないのだから。
「悪い、下手な質問だった。その堕天使は捕まったのか?」
「いいや、まだ……だと思う」
「それじゃ早く捕まえないと! もしかして俺らも危ない……!?」
「大丈夫、だと、思うよ」
「そ、そうか」
「うん、今頃はたぶん……もうすでに死んでるかも」
「死んでる……捕まえていないのに? 捕まえなくても殺せるのか?」
いや、もしくは自殺だろうか?
さっき彼女は天使が死んだことに別状はないと言った。
生き物は死んだらそれで終わりだ。人間は死んだら天使になるのだろうが、天使は死ぬとどうなるのか……
この答えは必然だろう。天使は死んだら人間になるのだ。輪廻を繰り返すからこそ彼女はまさに別状はないと言った。
人間が天使になる場合は記憶を持ったままで、天使が人間になった場合は記憶を無くしてしまうのだろう。
だが天使が死ぬなんてことはほとんどありえない。何故なら天使は『神のご加護』があるのだから。
大体の死線は余裕で超えられるであろう天使が死ぬ場面と言ったら、それこそ殺されるか自らが命を絶ったときのみだ。
「堕天使は逃げるために死んだというのか」
俺は満を持して質問する。額に汗が流れる感覚がする。
天使はさっき悪魔について聞かれたとき答えに渋った。つまり天使達にとって重要な事だったのだろう。
となるとこの質問で答えてほしい方は……
「違う」
俺の考えは当たっている。悪魔と言うのは堕天使が死んだ後の姿のことだろう。だが一時的に人間になって天使達から逃れるというわけではない。
天使達には階級がある。それはさっき彼女が天使七人、大天使二人と言ったときに理解した。
天使たちはどうすれば階級が上がるのだろうか? それにわざわざ逃げるわけでもないのに自殺したであろう堕天使。
今回天使が殺されたというのは悪魔を恐れて殺そうとしたからだろう。堕天した記憶のない人間を。
理不尽に殺される人間に対して情が湧いた天使が堕天し、天使や大天使を殺したというのが今回の事件の流れだろうか。
「天使に聞きたい」
「……」
「俺は死んだら何になる」
「何にも、ならない。君はただの人間」
「そうか、安心したよ」
「いいや……」
天使は涙目になってそっぽを向く。
俺の腕を掴む冷たい手は小刻みに震え今にも泣きだしそうだ。
そんな儚い天使は震える唇を一所懸命に動かす。
「君はそのまま死ぬべきだ。忘れてとは言わない」
「これ以上、考えないで」
「死なないで」
言葉を出そうにも喉がそれを許してはくれなかった。
こんなにもいたいけな天使を目の前に俺は踏ん切りがつかないでいた。
「ごめん」
「……」
「俺は堕天使の味方へとつこう」
「……うそ?」
「記憶がないのにもかかわらず信じていた天使に殺されるなんてひどすぎる」
「……」
天使は何も言わずただまっすぐと俺の目を見ていた。
胸が痛い。だが俺は天使に死ぬと言われた身。こんな幸福逃すわけにはいかない。
「俺はただの人間だけど、人間を裏切る神は許せない」
そう言うと天使は目を逸らした。
「私は加担しない」
「……そうか」
「けれど」
「……」
「君の幸福を、祈ってるぞ」
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