秘密は天使

 目が覚めた。

 だがなんだか違和感があった。心に何かぽっかり穴が空いたような気分だ。

 ただ微細な風を感じることができる自分には分かる。ドアだ。ドアが開いているのだ。

 俺は部屋のドアを開けようと体を起こした。その瞬間、自分の予測が外れていたことが分かった。


「お、おはよう」

「……て、天使かよ」


 目の前に映る現実に冷静さを欠いた。

 血管が浮き出てもおかしくない程細い腕。純白のインクを重ね塗りしたような綺麗な肌。月をかたどったような白いスーツに、どこで売っているのか分からない白のネクタイとベルト。シンデレラに出てくる鏡でさえも指名するような可愛らしい顔つきに魔女を殺すような美しい声。髪一つ跳ねてない見事な髪型はおそらくボブだろう。綺麗な黒色をしており見るものを引き込むようだ。だが、不可解なのは彼女の頭上。


「ほんとに……天使だというのか?」

「よ、よくわかった」


 おどおどと肩を震わせる彼女と同時に頭上のリングは小刻みに揺れる。これはいわゆる天使の輪っかと言うやつか、初めて見たが……

 そんなことよりも、いま彼女『天使』を認めた?


「すまない。寝起きでなにがなんだか分からないのだが……とりあえず君は誰だ? どうして俺の家にいる?」

「や、やっぱり怒ってるか? ご、ごめんな、なさい……わ、わたしは」

「ほんとに、天使なのか?」

「そ、そうです天使です! わたしはあなたの、その、た、たましいを」

「そうか」


 そういうと俺はスマホを見た。妙に蒸し暑い。やはり部屋のドアは開いていた。セミの声もやけに煩く感じるが、まさか玄関開けっ放しだってことは無いだろうな?

 ともかく彼女が何者なのか分かった。とりあえず家のドアを確認しに行こう。まだ時間は六時前だ。


「よろしく頼む。それで、俺の寿命は」

「ちょ、ちょっと待ってくだ、ください」

「なんだ?」


 俺は部屋から出ようと思い布団から体を出したが、何かまずかっただろうか? それとも何か言うことがあるのだろうか?

 何を言い出すかとじっと彼女の目の見ていると、彼女は恥ずかしそうに目線を逸らした。愛おしい。


「あの、誕生日おし、教えて」

「誕生日?」


 なぜ誕生日だ? もしかしてよく物語にある「お前は誕生日に死ぬ」と言うやつではないだろうか?

 長く生きることに越したことは無い。ここはあえて嘘を付こうか。死ぬ運命が変わるとは到底思えないが。


「一月十二日だ」

「う、うそ」

「……なに?」


 どういうことだ? うそと言うのはどういうことなのだ?

 まさか俺の誕生日を知っていたのか? それなら嘘をついても仕方ないだろうが……


「九月六日だ」

「九月六日……合ってますね。わたしが、い、いけといわれたいえ、だ」


 どうやら独り言のようでぶつぶつと言っているが……

 あの言い方、どういうことだ? まるで俺の誕生日を知らなかったような言い方だ。もしかすると……いやまさか。


「ちなみに血液型はおー」

「O型……ほんと?」

「いいや、B型だ」

「……」

「A型だ。申し訳ない」

「え、AB型なのか!? す、すごい、めず、らしい」


 どうしてわかる? なぜわかる!? 俺が嘘をついていることがバレてしまっている!?

 俺は表情に出していないはずなのに……天使の力なのか? 人間でないからなのか?

 と、とにかく……


「騙してすまなかった。ところでどうしてこの俺に誕生日なんて聞いた? 誕生日占いか? だとすれば俺は」

「い、いや、ただの、確認。どうしてそんなに、れ、冷静でいられるのかと、おもって……」

「冷静? この俺が?」


 彼女は頷くとじっと俺の方を見た。俺は湿気臭い布団からでて彼女の方へと行く。だが彼女は怖がっているのか、体を震わせゆっくりと後ろへ体を引いて行った。

 まるで小動物のように愛おしいが、これでは俺が怖がらせているみたいではないか。罪悪感を強く感じる。


「君とは軋轢を生みたくない。そう怖がらないでくれ」

「で、でも」

「それに、今の俺は冷静ではない。見てみろ、俺の手を。汗まみれではないか」

「それ、それは……暑くてでた汗で、冷や汗じゃ、ないぞ」

「……」


 合っている。彼女を落ち着かせようと嘘をついたが当然のように見抜かれた。どういうことだ。

 嗅覚が優れているのか? 初めて会う俺の汗の種類を当てやがった。それができるのは嗅覚が優れ過ぎている人知を超えた存在しかいないだろう。

 現に嗅覚だというのであれば合点がつく。俺が嘘をついていたことも、汗の種類を当てたことも。嘘の匂いなんて知らないし聞いたこともないが、あり得るとするならばそれしかない。


「どちらにせよ、この汗じゃ握手も交わせない。初対面だというのに申し訳ないな。冷蔵庫にお茶がある。適当なコップを使って飲め。それで体を冷やしてくれ。冷房は後で」

「ち、ちがう」

「は?」

「ちがくて」


 何度俺の足を止めれば気が済むのだろうか。まぁこんなかわいい子に愛おしい声で止められたら仕方もないが。


「どうして、わ、わたし不法侵入、天使とかいってんよ? なんでうた、疑わない」

「なんでって、逆に君が俺に嘘をつく理由はなんだ?」

「で、でも」

「とにかく俺は玄関のドアが開いているのか気になるし、今はまだ六時だ。もう少し寝かせてくれ」


 彼女は口をぼーっと開け、じっと俺の方を向いていた。あれは意気消沈のご様子か。氷水も用意してやろう。

 俺は玄関のドアを確認しに、再度足を動かし始めた。


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