第30話 変動
時刻は朝。
昨晩ようやく温かくふかふかのベットで眠っていたアデルが廊下に出ると、同じようなタイミングでグノシーが隣の部屋から出てくる。
魔王としての地位があるグノシーがアデルと同じような部屋を与えられているのは同じ客人として扱ってほしいとグノシーが言ったこととその客室に止まっている人間がアデルであることが関係しているのは言うまでもない。
「おはようさんアデル」
「おはよう。今朝はよく眠れたか?」
「おかげさんでよう寝れたわ。調子がいいと言えんけど」
魔王としての力を制御しなければいけない兼ね合いでグノシーは熟睡を許されていない。
アデルがある程度能力を遮断しているので暴走したところで被害など高々知れているが、それでも被害を出さないに越したことはない。
空元気を見せてはいるがなんとか平常時程度まで休息が取れたらしいグノシーを見てアデルがほっと胸をなでおろすと、ふとグノシーが怪訝そうな顔をするではないか。
それは本来ありえないはずの物をみたような、どんなリアクションを取ればいいかわからないと言いたげな表情だ。
「アデル……昨日誰とあった?」
「どうした急に? 昨日の夜は誰とも会ってないはずだけど」
「言いにくいけど、ジブン呪われてんで?」
「──は? この俺が? 同意もなしに呪われる?」
急に何を聞いてくるのかと思えばグノシーが言ってきた言葉の意味が分からずアデルは素直に聞き返す。
あろうことか自分が呪われた? しかもその事に気が付くことすらできていない?
冗談もいいところだ。
たとえどれだけ気を抜いているときだろうと他人が魔法を行使しようとすれば気が付くし、屋敷の中にいる人間の気配程度ならば感じとることができる。
自分の周りに敵意を持つ人間がいれば自動的に体が動いてそれを撃退するようにアデルの体はなっているし、気が付かずに呪われたことなど人生で一度たりともなかった。
「呪いとは本来自分より弱いものか自分と同じ程度の人物を殺すための術。自分より遥かに強い人間に呪いを掛ければ逆に当人が死ぬはずだけど……」
「おはよう二人とも。どうしたんだこんなところで突っ立って」
アデルという最強に気が付かれずに呪いをかけた存在が誰なのかを考えていると、リナが先ほどのアデル達と同じように客室から現れる。
グノシーの頭の中をよぎった考えはリナが呪いを本人も気が付かないうちにかけてしまったのではないかというものだ。
呪いというものは掛かっていることは分かるがその強弱までは分からないので、魔王として感覚が過敏になったグノシーの知覚が本来ならば気に留めるほどの物でもないリナの呪いを受け取ってしまった可能性も否定しきれないのでないだろうか。
そう考えるグノシーだったが、だとすればアデルがそのことに気が付かないというものおかしな話である。
呪いというのはかけられた瞬間が一番はっきりとわかるので、少なくとも昨夜寝室に入っていくまでアデルにそういった様子はなかった。
弱い呪いであれば本人がその場にいなければかけることはできないはずなので、夜にこっそりとアデルが抜け出してリナの部屋に夜這いにでも行かない限りは呪いを食らう機会というのはないはずである。
「この俺が気がつかないうちに呪いをねぇ……マジかぁ……気を抜いてたつもりはないんだけど」
「直せるのか?」
落ち込むアデルに対して気に掛けるリナが心配そうに声をかけるがそこは最強。
自信満々に胸を張るとまるで呪われている人間がするとは思えないくらいにすがすがしい笑みを浮かべた。
「最強だからね。気が付かなかったとは言え呪いくらいならちょちょいのちょいよ。ほらこうやって――」
アデルが魔方陣を展開し、己にかけられたという呪いを解呪しようとしたその時。
「――ごふっ」
アデルの口から真っ赤な血が噴き出る。
ただの液体ではなく口に含まれた空気によって泡立ったそれは、口内ではなくアデルの体の中からあふれ出したものだ。
いつもならば何が起きてもひょうひょうとした顔のアデルだったが、この時ばかりは自分の身に何が起きたのかを理解しかねているのか不思議そうにいつ振りかに見る自分の血を眺めていた。
そんなアデルの態度に真っ先に意識を取り戻したのはリナだ。
「アデル!? グノシー人を呼んでこい!」
「任せとき!」
「アデル、どこが痛む? 肺か? 喉か?」
言われるが早いが走り出していったグノシーを見送り、リナは膝から崩れ落ちそうになっているアデルをいったん寝かせる。
絶え間なく垂れ続ける血液が高級そうなカーペットを汚すが、この館の主人は家が半壊してもどうでもよさそうな顔をしている魔族だ。
一瞬頭の中に出てきたどうでもいい情報を排除しアデルの容態を聞きながら簡易的な応急処置を施していると、アデルが自分の部屋を指さしているのを確認してリナは血を吐くアデルを置いて彼の部屋へと突撃する。
昨夜一人の男が寝ていたとは到底思えないほど綺麗は部屋の中で首をぶんぶんと振り回しながら目当ての物を探したリナは、それがベットの上に無造作に投げ捨てられているのを発見すると中を確認せずに持ち帰り寝そべっているアデルの前に鞄の中に入った瓶を見せつける。
「どの瓶だ!?」
アデルは全ての物質を変化させることができる能力で所持品をこの瓶の中にある液体へと変えている。
きっとその中にいまの状況を打破してくれる何かがあるだろうと持ってきたリナの行動はどうやら正解だったようで、アデルはリナが見せたいくつかの小瓶の内から一つを手に取る。
「これだな」
血を吐くときに反射で抑えたからか血に染まった右手にしっかりとその小瓶を握らせると、小瓶からあふれ出たとは思えないほどの量の水がアデルの体を濡らしていきそれが蒸発していくとアデルの顔色も徐々にもとへと戻っていく。
だがそれでも全開には程遠く、アデル身体構造が所詮は脆弱な人の体でしかないということをアデル本人に痛感させていた。
「げほっ! 悪い……へまった」
「喋るな、からだに触るぞ。症状も分かってないんだ」
「内臓を捻じられた、経験がないわけじゃない、もう大丈夫だ」
「グノシーが人を呼んでくるまでとりあえず待て。お前の言っていたことが事実だとして、重傷なことには変わりない」
「ダメだ、待ってる暇が惜しい。いますぐ王国に行くぞ」
「待てアデル!」
立ち上がろうとしているアデルをリナは無理やり押さえつける。
内臓をねじられたことや、それに対して経験がないわけじゃないというアデルの言葉など聞きたいことはいくつかあるが、それよりもまずは絶対に安静にするべきだという考えがリナを支配していた。
先ほどの液体がなんであったにしろ、人の体はというものは回復魔法で無理やり治せるところに限度がある。
たとえば末端の四肢などであっても慣れるまで一週間程度、重要な臓器が傷ついた場合はこの時間が跳ね上がり半年程度は安静にすることを軍では推奨されているのだ。
ましてや人間が生きていくうえでどうしても必要な臓器というものをねじられればどれだけ甘く見積もっても一か月は立つことすら禁止である。
それをわかっていないアデルではないだろうに、いったいなぜ彼はここまで焦っているというのだろうか。
「何をそんなに急ぐんだ!」
「久しぶりな上に相手がまさか過ぎて誰の呪いか分からなかったが、さっき内臓を捩じられてはっきりと分かった。この一件には龍王が絡んでいる」
「龍王――あの人物がどうして……いや、だとして王国になぜ向かうんだ?」
師匠ならば弟子の内臓を思い付きでねじるものなのだろうか?
ばかばかしい考え方だがリナにはどうしてもあの龍王がアデルに対してそのようなことをする理由が見当たらなかったのだ。
だがアデルは知っている。
理由ならばあるということを。
あのどうしようもないほど適当そうに生きている彼女は、その実この世界で最もバランスをとることにこだわっている。
人と亜人種、それだけでなく国家間のいざこざなども含めて彼女はバランスを崩さんとするものを嫌悪し、必要と有ればそれを滅殺するだろう。
「師匠は俺の最も尊敬している人物であると同時に、もっとも俺が恐れている生き物でもある。あの人はこの世界の調停者であり裁定者、必要ないと断じればたとえどれだけの犠牲を払ったとしても必要ないと感じたものを排除する。今回その対象として顕著なのは王国だ」
「アデル!? リナ何をしてんねんアデルに動かさせるなんて!!」
「俺なら大丈夫だ、最低限回復はした」
おきあがっているアデルを見て絶叫を上げるグノシーだったが、アデルは無理やり休息を取らせようとする彼女に抗いながら自分の体が無事なことをアピールする。
だがグノシーから見れば「何を言っているんだこの男は」という言葉が口から漏れ出そうになるのを我慢するほどだった。
「その顔が回復した人間の顔色か? ゾンビの方がよっぽどマシな顔色してんで!!」
「血が出過ぎただけだ。邪魔をするならどかしていくぞグノシー、人の命がかかってる」
「やめておきぃやアデル。アンタの持ってる技能、ウチのせいでもあるけど両方使えやンやろ。いま自分が最強じゃない事はキミが一番わかってるやろ?」
「さすがに知恵の魔王なだけはあるなグノシー。俺の
お前の力を抑え込むための
アデルの能力は基本的に万全の状況でのみ使用することを想定するものだ。
強すぎる能力がゆえに反動も大きく、使い勝手が悪いのが二つの能力の悪さである。
もちろん能力などなくてもアデルは強い。
身体能力だけで考えても世界随一、それに加えて技術を持つアデルを倒すことなど不可能だ。
相手が龍王でなければ、という注釈を付けずにはいられないが。
アデルの足止め、最近王国の周りをうろついていた不穏な影、そしてグノシーを抑えるために消耗しきった今の状態は全て龍王が作り出したもの。
一度戦闘を始めれば積むことを分かっていた龍王はアデルが戦闘を始める前に積ませるという選択肢を取り、事実アデルに出来ることは何もない。
だがそこで素直に引けるのであればもとよりアデルは龍王の弟子になど選ばれていない。
「でも俺は止めないといけないんだよ、師匠が人類から敵視されることは避けないといけない」
「死んでも止めるでアデル。お前を人の国の――それもあんな国のために死なせるわけにはいかへん」
「やめろっ!」
お互いに譲れないものために戦おうとする二人を前に、リナは声を荒げて制止する。
戦いという手段は最後に使うものであって相手を説得するために行使するための物ではないのだ。
「やめろ二人とも。いまはそんな事を言い争っている時間はない、アデルはとりあえず休んでいろ」
「ダメだ、俺は俺の役目のために王国を――」
「それは命を賭けてまですることか? 違うだろ。お前がするべきことは怪我を直して、龍王になぜこんなことをしたのか聞くことだ。王国を助けるのは王国の人間がするべきことだ」
他者に助けられなければその機能を維持することができない国家など滅びればいいのだ。
たとえ相手が神に近しいとまで言われるほどの存在であったとしても、その対処をしなければいけないのは王国に住まう人間であって間違えてもアデルではない。
他者の為に100年もの間戦い続けた彼がようやく自由に生きると決めたのに、再びその身を戦火にやつさなければいけないなどあんまりではないか。
「私に頼れ。私に任せるんだアデル。お前が私の事を庇ってくれたように、私はお前のために頑張る。だからお前はここでゆっくりと休んでいろ」
誰かに待っていろなどと言われたことのないアデルはリナの言葉に驚いて目を見開く。
他者が自分の為に何かをしてくれることなどないと、アデルは心の底から本気でそう思って居たのだ。
ここまで言われればさすがのアデルも何も言い返すことはできず、長い人生の間で数えるほどしか口にしていなかった言葉を口から漏らした。
「……頼んだ」
「しゃあない。それならウチも同行する」
「意外だな、ついてこないのかと思って居た」
「ウチが付いていくのはリナちゃんを守ってあげるためや、王国なんかどうでもええ。リナちゃんが何か命の危険に瀕していると思ったらその時点で即時撤退すんで」
アデルが動けないのであればリナに万が一が起きないように監視する人員が必要だ。
龍王が王国を潰すためにどんな札を切ってくるのか、本人が出張って来ないのであればグノシーは問題なくリナを回収できる自信があった。
たとえ真の魔王の力を使えずともアデルとの戦闘で見せた王特権威ですら人の世界では対抗できる人物などほとんどいない。
「任せろ。私は王国で起きているであろう問題を無事解決し、裏で糸を引いているであろう龍王を引きずり出し、無事に今回の出来事を解決して見せる」
「ほなこっから無理やり転移門を王城に繋げるから下がり」
「任せたよ二人とも」
「ああ、任せておけ」
転移門を広げて王国へと転移していく二人の背中を見送ったアデルは、ハイベリアの元へと足を伸ばす。
この屋敷にあって彼の知らないことはない。
つまりこの呪いも、そしてこれから起きるだろう龍王の謀もハイベリアは知っているはずだ。
自分を待っているだろう魔神の苦笑いを思い浮かべながら、アデルは壁に体を預けながら廊下を歩くのだった。
そうしてアデル達が動き出すより少し前のこと。
王城の中で最も大きい部屋である謁見室で兵士達に膝を突かされながらそれでも必死に抗議をするしょうねんのすがたがそこにはあった。
「王よ! なぜ戦争などするのですか!! 領土を侵されているのであれば分かります、商業で戦争を仕掛けられ、どうしようもなくなったのならば理解もしましょう。
ですがなぜ我々から帝国に攻め入らせるための口実を作らせる理由があるというのですか!!」
「うるさいっ! 黙れ黙れ黙れ!! 貴様らは臣下の癖に、愚民の癖にまるで自分の方が偉いとでも言わんばかりの顔で我に意見をする!!! 貴様は何様のつもりだ!」
帝国は一代前の皇帝の時点で積極的な他国への侵攻を控えるという旨の発信をしており、実際いざこざこそあれど帝国は今日に至るまで侵略行為を行っていなかった。
そんな帝国になぜ戦争を仕掛けるのか、実際のところ国王本人ですらもはやその理由を忘れてしまったのだ。
中堅国として国家間でも安定の地位を持っていた王国は、残念なことにアデルという武器を手に入れて近年稀に見る発展を遂げた。
文化産業経済ありとあらゆる面で軒並み急成長を迎えた王国は慢心し、そしてアデルに帝国との戦争すら依頼しようとしていたのだ。
だがアデルは国外に逃亡し、この世界のありとあらゆる記憶からその存在を消去した。
整合性を保つために改ざんされた記憶にはアデルが残した功績は全て国王のものであるというものにすげ代わり、国王本人も自分が知らないうちに自分がした功績があると思い込むことにした。
故に慢心は増長しもはや暴走という形で彼を突き動かしていた。
「自らの過ちを受け入れ、反省する。人ならば誰だってそうして成長していくのです、王は人を辞めてしまったのですか!?」
「うるさいうるさい!! 騎士団長ッこいつを殺せ!!」
「御意に」
「僕は死ぬことを恐れていない、なぜなら覚悟を持ってここに来たからだ。他者を簡単に殺そうとするお前こそがもっとも死を恐れているんだこの愚王ッ!!!」
「死ねッ! どこの馬の骨とも知れぬ小僧!!」
舞い上がる熱量はとどまるところを知らず。
己の命が無為なものとして浪費されようともアイザックは己の理念を貫き通すことを選んだ。
拘束されるアイザックの首に今まさに振り下ろされんとしている剣が振り下ろされる瞬間、部屋の扉が吹き飛ばされアイザックに剣を落とそうとしていた兵士が巻き込まれて吹き飛んでいく。
「――次から次へと! いったい何事じゃ!!」
「ふむ、龍王はまだか。ほな一旦この場の事はリナちゃんに任せるわ」
「まさかあれほど馬鹿にしてやったというのに、それでも騎士団長を続けているとはな。つらの皮の厚いやつらだ」
国王はその人物が目に入った瞬間に己の血が沸き立つのを感じた。
馬鹿にし嘲ったうえで忽然と何処かへと消えてしまった憎き女騎士団長がそこには居たのだ。
「リナ・エルデガルトッ貴様ァァァァッ!!!!!」
「助けに来たぞアイザック君。革命の時だ」
龍王の手先がいない事を確認しながら、リナは剣を抜き去った。
この場にグノシーを除いて王国以外の人間がいないのは龍王がこの国に最後の温情を与えてくれているのだろうか。
そんな事を考えながらリナは吠えたてる男たちに向かって進んでいくのだった。
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