第21話 地下への扉
魔族を退け、国王との決別を果たしたリナたちは王城の地下へとやってきていた。
何かに気が付いたらしいアデルの跡を追いかけていただけのリナは、人が一人やっと歩けるような道を何分か歩くと急激に開けた空間に出た。
空間の端までおそらく100メートル以上、高さは実に20メートルはあろうかというほどの開けた空間を王国にいる誰にも気が付かれずに作っていた魔族の計画力は驚愕に値する。
思えば先ほどから歩いてきた道はそれほど傾斜が急ではなかったので道中に転移のトラップか何かがあって、この空間は王国の地下ではないのかもしれないが。
「王国の地下にこんなところがあったとはな」
「壁の感じからして作られたのは二十年前ってところか。灯つけるぞ」
「魔法の灯か。私も詠唱さえ使えば出せる」
アデルが無詠唱で魔法を使用してあかりを出したのを見て、リナも長ったらしい詠唱を噛まないように気を付けながらどうにかあかりを付けることに成功する。
改めて明るくなるほどにこの空間がどれだけ広いのかを実感すると同時に、どこからか漂ってくる血の臭いにリナは目を細める。
注意深く辺りを見てみるリナだったが臭いの発生源がどこかまでは特定できずなんとなくでふらふらと歩いているとアデルに突如腕を掴まれ止められた。
「なんだ?」
「足元、隠してあるけど穴がある。ちょっとどいてな」
何処からどう見ても地面があるのだが、アデルがそういいながら地面に触れると地下へと続く大きな穴が出現する。
そこに元からあったのだろうが、リナの目からしてみればいきなりそこに穴が現れたような感覚だ。
人類の魔法技術は随分と遅れているといつか聞いたことがあるが、魔法にここまでの応用性を持たせることができるというのはさすが魔族といったところだろうか。
あかりをその穴の中に入れてみると、際限なく下へと落ちていく。
「随分と明るくなったが……途方もないくらい深いな」
穴のふちまで近づいて下を覗き込み、リナは無意識の内にほんのすこし後ずさった。
生物というのは目視に絶対の信頼を置いている。
そんな人間が暗闇に向かってダイブしろと言われれば恐怖心を抱いてしまうのは当然の事だろう。
深さがどれだけか分からないが、もし地下に何もなければ戻ってこれるかどうかも怪しい。
ロープを用意し、道中の安全を確認し、地下に空気があることを確認した上で、死ぬことを覚悟に入れて潜るという事をしなければとてもではないが触れてみたいとは思えない深遠である。
「話によればこの世界の中心に魔界はあるらしい。穴を掘っている理由は物理距離を近づけさせようとしているんだろう」
「降りるのはまあまだなんとか我慢できるとして、上ることを考えると頭が痛いな」
「ならせめて降りるのを早くするか?」
無理だと言ってしまいたかったが、アデルがいる手前そんなことはとてもではないがリナには口にできない。
強がりから行は何とかなるなどと大言壮語を口にしたリナに対して、アデルはまるで妙案を思いついたとでも言いたげな視線と共に妙なことを口走ってくる。
この男がこう言った言い方をしてくるとき、ろくなことが起きない事をリナは理解していた。
理解していたが会話の流れから聞かざる負えず、リナは嫌な予感を勘違いであってくれと祈りながらアデルへと問いかけた。
「一体どうするんだ?」
「こうするんだよ」
ジリジリとにじり寄ってくるアデルから距離を取ろうとしていたリナは、アデルのその巧みな足捌きによって気がつけばいつのまにか縦穴のそばへと誘導されていた。
そうして流れる様にリナの首筋を掴むと、縦穴へとアデルは足を進める。
「まてまてまてまて――ッ!」
これから自分に起きることを理解したリナは、他の手段を模索するべきだと考えなんとかアデルを踏みとどまらせようとする。
だがアデルの引き摺る力はまるで龍のそれだ。
人間がどうやっても争うことなどできない力に、リナは縦穴へと引き摺り込まれた。
身体中に襲いかかる浮遊感は自分がいま中に浮いているという事実を認識させられる。
「大丈夫かこれ!? 私達死なないか!!」
頭身自殺をする人間は大抵その恐怖に耐えかねて空中で気絶する。
落下を初めてすでに10秒ほどが経過した。
少なくとも人が無事に着地できる高さというのは既に経過しており、一秒を積み重ねていくごとに生存確率というのは極端に低下していく。
なんらかの手段を講じるために頭が様々な事を考えるが、もはやこうなってしまってはリナにできることなど何もなくアデルに身を任せるしかない。
「大丈夫だって」
アデルがそう言った瞬間、身体がいきなり上へと引っ張られる。
性格には急激に減速したことでその様に感じただけなのだが、暗闇の中で落下していたリナには自分のことを客観視できる情報がない。
突如として止められたことでそれなりの衝撃が体に跳ね返り、リナは情けない声が漏れ出るのを止められなかった。
「ぐぇっ」
「リナちゃん、潰れたカエルみたいな声出てるけど」
「~~うるっさい!」
憎からず思っている相手の前で乙女にあるまじき声など出そうものなら、精神が図太いことで知られているリナとしても羞恥心というものは湧き上がってくる。
楽しそうに笑うアデルの身体を押し除け、周囲を見回してみればなにやら小さな空間へと出た様だ。
呼吸ができているということは空気があるのだろうが、一定以上の深さまで掘り進めた場合普通は酸欠のリスクというものがついて回る。
なんらかの魔法的要因でどうやら現時点においてはある程度の酸素料が担保されている様だが、いつまで続くとも限らない。
リナが懐から取り出したのは酸素生成用の魔道具であり、消費魔力の多さに悪態をつきながらもマスクの様な形のそれを口元へと取り付けた。
「周囲の空気を粘性の高いものと変化させることで移動速度を極端に低下させる。これでどれだけ高所から落下しても問題ない。酸素もそんな感じで生成してるよ」
「原理は分かるがこれに命を賭けるというのはちょっとどきどきするな」
「まあなれるよその内。それでこれが噂の扉か」
光をつけて少し歩けば、木製の扉が現れる。
特にこれといった装飾もない扉だが、一つおかしな点を挙げるとすれば壁に取り付けられていないところだろうか。
扉はまるでそこに壁でもあると言わんばかりに空間の真ん中に鎮座しているが、実際問題なにもないのだから怪しいとすればこれしかないだろう。
「一見普通の扉だが何か仕掛けでもあるのか?」
「まあ見てなって」
言うが早いがアデルが扉に触れると、ほんの一瞬だけ扉がブレる。
幻影が解ける時に起こる視覚の違和感によって巻き起こされたそれは、それほど時間もかからずに治ると隠されていた扉が現れた。
「うぉ。一気にまがまがしくなったな」
禍々しい黒で作られたその扉はまさしくイメージ通りの魔界へと続く扉である。
なんらかの生物の骨によって形成されたその扉は見ているだけで精神を削られている様な感覚に陥ってしまうほどだ。
だがそんな醜悪な見た目の物ですら見慣れているのかアデルは躊躇いなく近寄ると、直接触れて何かを確かめている様だ。
「……なるほどね」
「なにか分かったのか?」
「ここに書いてある文字読める?」
「いや、私にはわからんな。見たこともない文字だ」
アデルが手でなぞった通りに骨の形を見てみれば、確かになんらかの規則性は感じられるが言われなければ文字だと認識できない程のものだ。
一応王国語に加えて共通語や亜人種の言葉も多少は覚えているリナだったが、これほどまでに読めないとなると随分昔の言葉だろう。
「これは昔の人間が使ってた暗号文だ。それも俺当てのな」
「何と書いてある?」
「話がしたいからこの扉を通ってもすぐに攻撃を仕掛けてくるなと。随分と警戒されたもんだね」
誰だって戦闘状態に入っているアデルを相手取りたくはない。
だがそうなると不思議なことだ。
この扉を作った人間はアデルがここにやってくることを知っていたと言うことになる。
いま現在アデルの本名を知らないありとあらゆる生物から記憶と記録が消えていることは確認済み、ならばこれは事前に用意されていたのだろうと言う予測だ。
「事前に用意された物だろうな。じゃないと昔アデルと戦った魔族がまだ生きていると言うことになる」
「それがそうとも言えないんだよな」
「千年も生きるというのか? 長寿で知られる森妖種ですら500年が関の山だぞ」
「身体構造的にあいつらに寿命というものは存在しないんだよ。俺の本名をどうやって手に入れたのかは知らないが、まぁ向こうに行けばわかるだろう」
「準備とかしなくていいのか? 装備を整えるとか」
「いいんだよ、最強だから」
千年以上も生きている魔族を相手にすればアデルとて苦戦するのではないか。
そう考えたリナは、そういえばアデルも千年以上生きている最強であるということを思い出す。
そうして一切の躊躇いなくアデルは扉を開けると、黒く澱んだ空間へと一歩足を踏み入れた。
そのあとをついていく様にしてリナも扉を潜れば、転移魔法に巻き込まれた時の様にパッと周囲の景色が変わる。
目に入ってきたのは天井から吊るされたシャンデリアと精巧な家具の数々、踏み出した足は柔らかい絨毯の感触を感じておりそんな状況にリナの頭は混乱してしまっていた。
「ここは本当に魔界なのか?」
「魔界だよ。確実にね」
なんの自信があってか、断言したアデルの言葉を聞いてもリナはいまだに信じられずにいた。
リナの頭の中にある魔界といえば荒地という様相こそが正しいもので、大地は枯れ果て空は紫色に染まり凶悪な生物たちが闊歩しているというのがリナの頭の中にあった魔界だ。
だがいま目の前に広がっているこの部屋の様相はどうだ。
王城と同じかそれ以上の文化が感じられ、掃除の行き届いた室内は小国の貴賓室を遥かに凌駕している。
王国や帝国などといった大国と比べても遜色ない文化を、あろうことか魔族が作り出したというのは御伽噺でしか魔族を知らないリナの価値観を足元から瓦解させた。
ふとコツコツと部屋の外から足音が聞こえ、咄嗟にリナは戦闘体制を取る。
だがそれに対してアデルは特になにもせず、足音が部屋の前で止まるとゆっくりと扉が開かれていく。
「――お待ちしておりました、デア・アデル・ゼルドリエ様。我々の王がお待ちです」
執事服に身を包み、優雅な立ち居振る舞いを見せる目の前の人物はリナが初めて見る魔族だった。
綺麗な銀の髪、森妖種の様に長い耳、そして表情を貼り付けるはずの顔に広がる無限の闇。
狂気が服を着て歩いている様な見た目に叫び出したくなるほどの恐怖が感じられるのは、人が潜在的に魔族に怯えているからだろう。
アデルの本名を覚えているということは千年前から生きているのか、それと魔族の間では口伝されているのか。
「俺が来ることは分かってたって事か。名前は?」
「これは自己紹介が遅れてしまい申し訳ありません。ですが私には名前がございませんので、#執事__バトラー__#と、そう呼んでいただければ」
「私はリナ、苗字は捨てたからリナとそう呼んでくれ」
「……リナ様ですね、承知いたしました」
ほんの一瞬、視線がないはずなのに蔑む様な視線を向けられた感覚に襲われ、リナは自分が敵地へと来ていることを改めて認識する。
隣にいるアデルとは違い、自分は何かが起きた場合に対処する術を持たない。
招かれるままに後を追いかけながらも、リナは必死になって周囲の状況を把握することに努めていた。
揺れ動く草木、微かに耳に入ってくる何かの音、全てに気を張っているリナとは違いアデルは武器すら構えずに気楽そうに廊下を歩いている。
「なかなか広いな、それに綺麗な中庭だ。手入れが行き届いている」
「魔王様自慢の庭園です。あそこには我々でも許可が下りなければ入ることはできません」
「前に来た時よりも随分と景観がよくなっているとは思ったが魔王の趣味か。なら納得がいく」
「先代の魔王――デリバルト・グランデ=ライレント様は城とは寝床であるとおっしゃっていましたが、いまの魔王様は城とはこの魔界そのものであるとおっしゃられています。
この城が美しく強く保たれている間は強く美しく、逆にこの城がけがれてしまえば魔界も汚れてしまうと」
先代の魔王と言えば人の世界ではその名前を出すことすら忌避され、名前の情報が失われて久しい人物である。
リナが聞いた御伽噺では暴虐の魔王として知られ、歳を増すごとに凶暴になっていく魔王を前に人々は怯えるしかなかったという。
城を寝床と口にしたのも、戦争に出るまでのしばし休息を取るためだけだと考えたのかもしれない。
その時の魔界の姿を見てみたかったものだ。
「魔王とはそれだけ魔族に影響を与えることができるのだな」
「……正直私はあなた方人という種族があまり好きではありません。しかし魔王様はそんなあなた達と国交を結ぼうと考えている。その期待を裏切られませんように」
会話している様に見えてリナと魔族は会話を成立させることができていない。
なぜならば魔族のことを心の底で嫌っているリナと、心の底から嫌っている執事は表面上はどうであれ仲良く肩を組むことなどできるはずもないのだから。
そうして案内されるままにリナ達は大きな扉の前に連れて来られる。
おそらくは謁見の為に作られた部屋だろう。
この先に魔王が、かつて人類が恐れた外敵がいるのだと思うとリナの手にも力がこもる。
「では私はこれで」
そう言ってどこかへと消えていった執事を見送り、リナは部屋の中を見回す。
まさに童話の中で見た様な部屋の内装に、中央にあるのは大きな玉座。
だが肝心の魔王が見られなかった。
「魔王が居ないぞ?」
「いや、いま見えるようになる」
リナがつぶやいた言葉に対して、アデルはそんな言葉を返してくる。
すると玉座に向かって徐々に闇が集まっていき、そして人の形を形成していくではないか。
すらりと伸びる足、引き締まった身体、整った顔、容姿を引き合いに出してその者の素晴らしさを語ることは良いことではないが、それでも目の前の王の姿はたとえその能力がどのような物であったとしても、上に立つ人間として違和感を感じさせないほどの力を持っていた。
三白眼の目は白めの部分が黒く、黒目の部分は赤く染まっており、たれ目の目からは冷たい視線が向けられる。
長髪は綺麗に整えられ編み込まれており、身を飾る服や宝石たちはかなりの金額がかかって居そうだ。
見た目から受け取れる印象は優しそうなお姉さん、だがその体からほとばしる魔力量は共和国で神のように崇め奉られている龍王すらも超越している。
「よくきたな魔の天敵、デア・アデル・ゼルドリエ。グノシー・メガロフィアが魔王として、この城に来たことを歓迎しましょう」
魔王の言葉は冷たく部屋の中へと響き渡る。
龍王に続いて二度目、超越者同士の会話を前にしてリナは臨戦体制へと入るのだった。
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