第13話 彼が求めて止まぬ物

 雨が降り始めた共和国の景色は美しい。

 街並みもそうだが、街行く人間のカラフルな傘を見下ろしているとなんだかそれだけで楽しくなってくる。


 だがウキウキとする気持ちとは裏腹に、身体に当たるのは底冷えするような冷たさだ。

 雨が降っていることによって下がった気温が起因しているものではなく、気まずさとピリピリとした空気によって形成された心情的な寒さにリナは現実逃避せずにはいられなかった。


 アデルがヨナに対して興味を持ったことも何故か分からなければ、ヨナがまるでアデルが自分に興味を持つ事を知っていたようなそぶりも気になる。

 視線をチラリと送ってみればヨナは笑顔を向けてくるが、その笑顔にはどことなく違和感を感じずにはいられない。


 隣に座るアデルの顔色を窺ってみればいつも通り何を考えているのかよくわからない顔をしている。


「共和国の中でも隠れた名店として名高いここを選ぶとは、良いセンスをしていますね」


「いい匂いのする店に入っただけだ、コーヒーを一つ」


「私は何か軽食を頂こう」


 店員に注文をし、再び冷たい空気が辺りを支配するかもと思っていたリナの予想を裏切り口を開いたのはヨナだった。


「それで?君は私に何を望む?」


 その目は冷たく、実験動物を観察しているような目つきに、リナは咄嗟にアデルの方へと視線を向けずにはいられなかった。

 アデルが怒るのではという気持ちが半分、彼女がそんな目をしてしまうほどのアデルの秘密が気になったのが半分だ。


 そんな状況でアデルは喉に何かを引っ掛からせる様にしながら言葉をこぼす。


「呪いを解いてくれ。俺の呪いを」


「呪いを解く? どう言うことだ?」


「そうだね、私にも教えてくれ。最強の言葉で自らに疑問を感じる時どのような言葉が出てくるのか、私は気になる」


 呪いとはなんなのか、分からないがアデルの表情からしておそらくそれが、彼の核心をついたものなのだろうということは理解できる。

 なぜヨナがその呪いについて知っているというのか。


 彼女の持つ不思議な力が、アデルすら知らない事を彼女に知識として与えているのだろうか。

 だがおそらくは知っているであろう事をヨナはわざわざアデルの口から言わせる。


「何百だったか……下手すればもう千年は前か。俺がこの世界に生まれたあの日、俺はただの人だったはずだ。

 だが生まれて五十年をすぎた頃、自分の異質さに気がついた」


 人間の寿命は長くて120年、それくらいがこの世界の定説だ。

 だというのに千年は生きたというアデルの言葉にリナはギョッとするとともに、だから彼からは人らしさを時々感じられないのかと不思議に納得する。


 千年修業すれば確かに神業とみまごうほどの力を持つ理由も納得がいく。


「自分を産んだ時の親の歳を超えても、俺の見た目は20代の頃からぴくりとも動かない。

 体質の変化などはあるし生理現象も起きるが、寿命だけがいきなり引き延ばされたようになっている。それからの850年間はただひたすら力を磨いた、自分の寿命には意味があると考えたから」


 アデルには師匠がいると言っていた。

 いつその師匠にあったのかは知らないが、その師匠に会うまできっとアデルはたった一人で死んでいく知人達に取り残されて修行を続けたのだろう。

 世界最強と言われるだけのことはある。


 当たり前と言ってしまえば彼の努力を軽視するようではあるが、千年間鍛え続けた相手に人間が勝てないのは考えずともわかるようなことだ。


「修行をしながら人を助け、30年前に人と亜人の全面戦争を一人で止めた時に世界最強と呼ばれ始めるようになった」


「アデルって結構おじいちゃんだったんだなぁ……それの何が不満なんだ? 最強、いいだろう?」


 なやんでいる彼に対して何とも無神経なことを言っている自覚はあるが、リナの感覚からしてみればアデルが何に困っているのかすらもよく分からないのだ。

 鍛えた結果それで人と亜人の戦争を止められるほどに強くなり、世界から最強だと認められるほどの力を1000年に及ぶ修行の結果手に入れる。

 騎士として生きてきたリナらかしてみればそれは誉だ。


 世界が自分の努力の結果によって手に入れた力をほめたたえ、ありとあらゆるものを手に入れられるだけの力をその手にしたというのに何を困ることがあるというのだろうか。


 少なくとも王国では最強だったリナは最強だったからこその特権をいくつか貰っており、確かにそれに対していくつかのデメリットはあったがメリットの方が多かったようにも思える。


「最強に不満はない、俺が嫌なのはこの寿命だ。1000年は人には長すぎるんだよ、もう疲れたんだ。

 この力を貰ったのはきっと何かこの世界に大きな災いが来てそれを俺が守るためだと思っていたが、気が付けば1000年が過ぎていた。俺はもう嫌なんだ、これ以上待ち続けるのは」


 長い年月に加えてどれだけ守ろうとも寿命で死んでいく知人達。

 アデルが他人の名前を覚えようとしないのは、それだけ他者の死を恐れているからだ。


 100年の間に常人の軽く10倍は大切な者の死を経験しているだろう彼は、どれだけ強くなろうとも逃れられない寿命というものが相手をするせいで常に孤独である事を強いられていた。

 死ぬのが怖いのではなく死ねないのが怖いというのは、なんとも贅沢なことだと思われるかもしれない。


 だが他者から期待を寄せられ続け、常に警戒されながらも表面上は誰もが仲良くしてくれる大切な人のいない世界など誰が居たいと思えるのか。

 アデルが解きたい呪いは自分自身にかけられたそんな不老の呪いであり、それを解く方法を知るのがヨナという女性なのである。


「千年もの間よく耐えたね。この時代に生きて──いや、この先の未来だって、君の残した功績によって利益を享受していない人間はいないだろう。それほど君は未来を動かしたんだ、だがいいのか?」


 アデルのなした事を考えれば世界中から称賛されるのは当然のことだ。

 いまは歪な形でそれが行われているが、おそらく後百年もすればアデルは御伽話の中の人物に様変わりしているだろう。


 それを予感させるだけの功績を目の前の彼はしてきたのだから。

 ただそんな前置きをしながらも、ヨナはアデルに対してそれでいいのかと問いかける。


「呪いを解けばそのぶり返しがやってくる。世界に課せられた使命を果たさないなら、それ相応の対価を払う必要があるぞ」


「それでもいいんだ」


「……そういえば、アデルの本名はなんなんだ? 彼女に勝ったら彼女に教えてもらえる約束だったんだが、どうせならアデルから聞きたい」


 空気が凍り、なをか次の一言をアデルに譲ってはいけない気がしたリナは無理やり会話に割って入る。


 親の会話に首を突っ込む子供の様なリナの姿は側から見ていれば空気が読めていない様にも見えるが、いまのアデルにとってはそんなリナの気遣いが何よりも嬉しかった様だ。


 少し間をおいて笑みを見せると、アデルはゆっくりと喋り出す。


「一回しか言わないぞ。俺の本名はアデル・デア・ゼルドリエ、デアは死神の忌み名だ」


 五年も隠していた割には随分とさらりと教えてくれるものだ。

 アデルもゼルドリエも、どうやら偽りの名前ではなく本当の名前ではないというだけだったらしい。


「アデルもゼルドリエも本名だったんだな」


「本名の方が嘘ついてないから違和感ないだろ? 本名を公表してないのは忌名を無闇矢鱈に他人に教えたくなかったからだよ」


「呪われている名前なのか?」


「そうとも言えるかもな。少なくとも俺以外でこの家名を背負った人間はこの世界にもう誰もいない。」


 デアという姓を少なくともリナは18年間聞いたこともなく、となればこの世界にはもはや彼が親族だといえるような人たちは誰も生きていないのだろう。

 名前を重要視しているアデルにとって、自分の親族であることを証明してくれる家名が世の中からなくなっていくのはどんな気分だったのだろうか。


 少なくとも忌み名であると自分自身で口にしながら、それでもその名を名乗り続けているあたり何か思うところがあるのは間違いがない。


 何かをしてあげたい――心の底からそう思うリナだったが、彼女は自分がアデルにしてあげられることなど存在しないことを知っている。

 自分は彼の隣に並び立つどころか彼の為に何かをしてあげることもできず、覚えているかもわからない約束の為にいまもまだ彼を縛り付けているのだ。


 不甲斐なさに涙が出そうになり、いま泣いても何も意味がないと自分に言い聞かせながらなんとか涙が決壊しないように押しとどめる。


「……君が欲しいと求めてやまぬもの、それは彼女がキーだ。それは君も分かっているんだろう?」


「私か?」


 唐突に、話の流れをぶった切るようにしてヨナがリナのことを話題に上げる。

 自分が彼の為に何かをしてあげられるのだろうか、こんな自分でも最強と呼ばれる彼に対して何かを与えることができるのだろうか。


 期待感から少し目を輝かせたリナがアデルに目を向けてみれば、アデルはリナの予想とは違いどこか気まずそうな顔をしていた。


「なんとなく、それで本当に見つけられるのだからさすがだよ最強。彼女は死ぬはずだった、いまから起きる戦争でね。だけれど彼女は死んでいない、君のおかげだ。他人の死すら歪めるほどの運命の強さは驚きだよ」


「なんだかよく分からんが、助けられたのは分かっている。感謝しているぞ」


 アデルがいなければ自分は死んでいた。

 そんなことはわかりきったことであり、だからこそ改めてリナはアデルに対して改めて礼を言う。

 とはいえ一つ、疑問が生まれてしまった。

 

 自分がアデルの求める何かにかかわっているらしく、そしてそれは戦争で死ぬはずだった私を助けることによって彼がおそらく得られたものであるということ。

 だがリナにしてみれば自分がアデルに対して何かを与えたという思いではなく、むしろ与えられ続けているといってもいいような状態だ。


 この場で何もわかっていないのはリナただ一人だが、二人はそんなリナを置き去りにしてさらに会話を進める。


「それでもう一つは?」


「もう一つに関してはまだ見えないね、産まれてないのかもしれないし目覚めてないのかもしれない。ただそれも彼女が関わっていることだけは確かだ」


「なんだかよく分からないけど、願いが叶うのなら良かったじゃないか」


 世界を救った人間なんだ、わがままくらい聞いてもらって当然だろう。

 心の底から善意でもって、リナはアデルに対しておめでとうと口にする。


「ああ、よかったよ。本当に良かった、望みが全て叶いそうで」


「本当に嬉しいよ。君が生きている理由であり、唯一の希望である最後の望み」


 だがリナはそれから少しの時間もおかず、自分の発言が軽率なものであったことを自覚する。

 何もわかっていないのであれば、何も口にしなければよかったのだ。


 作戦指揮の時もろくに作戦がわからないから、とりあえず突っ込んで来いと言われるほどの自分が彼に少しでもいい気持になってもらおうと言葉を並べ立てるのではなかったと。

 後悔しても。もう遅く。


 一度はいてしまった言葉は訂正することなどできるはずもなく。

 ただただ最悪の結末に向かって彼の背中を押してしまうだけになる。


「──#自らの死__・__#を叶えてあげることができそうで」


 この日、アデルが抱いていた自らの死という願いは、どうしようもなく完遂される。

 それが彼女が背中を押した道であり、そして彼が歩もうとした道だからこそ。


 最強は今日この日--死ぬ。

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