第12話 忘却の過去

 これは少し昔の話。


 季節は秋の中頃、これから徐々に寒くなり太陽が出る時間も減るというころ。

 王国は実に面倒な事態に陥っていた。

 それは冬将軍がどうやら北の山脈の最も標高が高い場所で既に目覚めてしまったらしいというものだ。


 冬将軍とは本来冬に現れる意志を持たない精霊の通称であり、厳しい寒さで弱ったものの命を奪って行く代わりに、春に向けて大地の力を増幅させまた新たな季節のループへと誘ってくれる大事な大事な精霊なのだ。


 だが事象が絡み合い産まれるという性質上、秋頃でも偶発的にこの冬将軍が発生してしまうことが稀にある。

 これがたまたま冷える場所に冬将軍が出てきた分には何の問題もないのだが、山の頂上や谷の底のように一度冷えれば長い間寒い場所では冬将軍はむしろ徐々にその力を強める。


 もちろんその対抗策として王国も様々な手を打っているのだが、今回は状況とタイミングが致命的に悪かった。


「……なぜ龍種の大移動と東の森の王の失踪が被った上でさらには北の山脈に冬将軍なんか現れおるんじゃ。騎士団は国内外の対応に追われてどれもままならん」


「冒険者に依頼を出してはどうだ? 金を出せばなんとかしてくれるだろう」


「精霊を鎮魂するのにはソレなりの技術と力がいる。もちろんそんな力を持った冒険者も王国を探せばいるだろうが、山脈までの道中の危険度を考えれば依頼を受けてはくれんだろう」


 様々な依頼書が机の上に投げ捨てられ、それらを内容をわかっているにも関わらずなんとかならないかと頭を捻るために、男達は何度も書類を見直していた。


 側から見れば無駄な行為ではあるが、それだけ彼らが追い詰められていることの証明でもある。

 季節がいつもより早くやってくれば国民生活に支障をきたす。

 それはひいては国王に対しての不信感を抱かせるのも同義であり、最近国王が次期国王候補を選ぶために選定機関へと入ったばかりだというのにそんな面倒ごとで国王を悩ませるのは臣民としては恥ずべきことだ。


「──失礼します!」


「一応、会議中だぞ。無駄に時間が長引いているとはいえな。それでどうした?」


「冬将軍が消失し、東の森の王が討伐され、城塞都市の手前で旋回していた龍種が再び移動を開始しました」


「なんだと!? いったいなぜ!」


「まるで夢物語だな。誰から聞いた? 薬物でもやっていたんじゃないかそいつは」


 あまりにも多くの都合が良すぎる報告に、おそらく過労から現実逃避している奴か違法薬物にでも手を出したものがいたのだろうと男は考えた。

 無理もない、もし前者であれば休みを与え、後者であればいい医者を用意してやるべきだろう。

 だがそう考えていた男の思考を、兵士の言葉が破壊する。


「伝令の者が……覇王がやったと」


「覇王が!?」


「かの者がついに王国にもきたのか!」


 覇王という単語が出た途端に部屋の中を衝撃が駆け抜けていく。

 覇王とは人類の救世主でありこの世の最強を欲しいがままにする男の通称、国を転々と移動するその名を持つ者が王国へとやってきたのは#百数年は前のこと__・__#である。


「だがなぜいまここに……?」


「かの覇王は気分で滞在する場所を変える。我らが考えるだけ無駄というものだろう」


「して覇王殿はどこに?」


「中庭にいらっしゃるとのことです」


「では私が行こう」


 椅子から立ち上がったのはこの場において最も地位の高い男である公爵バルヘルム・ヘルマイン五世。

 王に次ぐ権力を持つ彼が覇王に合うのは何もおかしなことではなく、部屋にいる全員が頭を縦に振ったのを確認した後にバルヘルムは中庭へと向かった。


(この商談は王国の未来すら左右しかねん大事なものだ。何があろうとも失敗するわけには──)


 この商談が成功するかしないかで、王国の繁栄には相当大きな変化が訪れる。

 それはさもすれば百年続く金脈を掘り当てるよりも劇的な変化を王国にもたらすものであり、だからこそバルヘルムの身体はいつにもなく緊張していた。


 そんなバルヘルムの耳にふと、人の話す声が聞こえてくる。


(これは……子供の声?)


 王城に入れる子供というのは数少ない。

 他国や商人などが入ってくるため一応入ってこないというわけではないのだが、見回りの兵士などに厳しく管理されているため基本的に単独行動などは許されていないのだ。


 もし兵士がいたのであれば、最強がいま居るはずの中庭に子供を一人放置しておくような事をするはずがない。

 だがそんな考えのバルヘルムの目に飛び込んできたのは、驚きの光景だった。


「おじさんはなんでこんなお顔が怖いのー?」


(な、何をしておるのだあの子娘は!!?)


 最強の男、アデルの膝の上を地面と勘違いでもしているのか土足で上がり、ぴょんぴょんと飛び跳ねる少女の姿を見てバルヘルムの心臓が止まるほどの衝撃がやってくる。


 万の兵士を相手にして震え上がらせるほど男の上でドタバタとはしゃぐなど自殺行為だ。

 アデルの怒りを収めるため、彼女がもし切り捨てられても自分は何も口にすることはないだろう。


 そう考えかけたバルヘルムだったが、彼には最近生まれたばかりの小さな子供がいた。

 自分の人生の主役にいきなり躍り出たあの可愛い息子、自分がそうなのだからきっとあの娘にも親がいて、その親もいまの自分と同じくらい娘を愛しているのだとしたら知らないところで娘が死ねば、その理由がなんであれその胸の内は察することができる。


 自分が代わりに切り捨てられる覚悟を持ち、それくらいの覚悟で初めて自分程度の話に最強が耳を傾けてくれるのだと言い聞かせながらかれは最強の前へと姿を見せる。


「王国のものが大変失礼を! 私は公爵家のバルヘルム・ヘイルマン五世と申します。その子の失礼をどうか平にご容赦ください! 責任は私が取りますゆえ!!」


 長い人生の中で滑り込むようにして土下座をするなど初めてのことだ。

 人がやってるいるのを見たことは多々あるが、自分がやるとなるとなるほどこういう気持ちだったのか。


(もしここで死んだら、息子は私の顔を大人になっても覚えていくれるだろうか)


 謝罪をするだけで許されるなどあるはずもなく、代償と相手の許しがあって罪というのは初めて許されるのだ。


「……本当にあんたが公爵なのか?」


「いかにも」


「公爵が自分の命をそんなに蔑ろにするもんじゃない。家族もいるだろう?」


「最近息子が産まれた。あの子より大切なものなどこの世にはない」


「なら息子を悲しませるような事をするな。命あってのものだろう」


 言葉を交わせば貴族として生きてきたバルヘルムは相手のことをある程度理解することができる。

 アデルから感じたのは知性と理性、力を手にしたもの達が失うことの多いそれをアデルは確かに持っていた。


 どうやら自分は別として、少女が殺されることはなさそうだ。


「私の命は王国の為に使う、この地位に着いた時に決めた事ですから。家族もきっと分かってくれます……が、許してくれるというのであればそれ以上に嬉しいことはありませんね」


「許すよ、というより別にキレてない。人の事を短気みたいに扱わないでくれ」


「それは失礼しました」


 アデルの膝の上でこちらを不安げに見てくる少女が何を思っているのかは分からないが、顔を見てなんとなくバルヘルムは彼女が誰であったかを思い出せた。


「辺境伯のところのお嬢さん、申し訳ないがいまから大人の話があるんだ。メイドを呼ぶからメイドと遊んでやってはくれないか?」


「やーだ!」


 一度駄々を捏ね始めた子供は大変だと、知り合いの貴族が言っていた事を思い出す。

 気遣いや空気を読むなどと言ったことは大人がすることであり、子供の彼女にそれを要求するのはお角違いというものだ。


 チラリと視線をアデルへと送れば、アデルは少女の頭を優しく撫でる。


「別に彼女がここにいても構わないだろう。依頼だろ? 聞いてやるよアンタのその覚悟に免じて。ただ森妖種の国に行かないと行けない用事があるんでな、いれるのは二週間くらいだけだが」


「なんと!? それはありがたい!」


 贅沢を言うのであれば長期滞在して欲しかった。

 だが元から滞在する気のなかったらしい彼が二週間の間は依頼を受けてくれると言うのであれば、それだけでも十分ありがたい。


 欲を出さずに勤めて冷静に、いまは王国と彼の間に少しでも縁を作ることこそが大切だ。


「おにーさんいなくなっちゃうのー?」


「仕事の先約が入ってるからな。こう見えて忙しいんだ」


「私のパパよりもいそがしー?」


「そうだね。君の父親よりは忙しいかな、俺しか勝てない相手がこの世界には沢山いるから」


 視線を少女に向けてアデルがそういうと、少女はアデルの膝の上から飛び降りる。

 そしてアデルの方へと向き直り、彼の手を取ると上目遣いに視線を向けた。


「なら私が強くなるから。そうしたら、一緒にいてくれる?」


「──そうだな。俺と同じくらい強くなってくれたら、ずっと一緒にいるよ」


「指切りげんまんだよ。絶対だからね!」


 子供の積極性というのは末恐ろしいもので、世界一の強さを持っている男ですら振り回されてしまうらしい。

 困ったような顔をしているが言われた通りに手を差し出しているあたり、どうやら子供に対しての面倒見は随分といいらしい。


「お嬢ちゃん名前は?」


「私は#リナ__・__#! リナ・エルデガルト!」


「じゃあ約束だ。リナ・エルデガルト、君が強くなってこの約束を覚えていて、まだ俺と居たいと思うならずっと一緒にいよう」


 彼が約束を交わした理由は、果たして何故なのだろうか。

 人の身である彼女では、所詮自分の領域に辿り着くことはないだろうと思ったからか。

 はたまた孤高に見える最強も、心の中では他者を求めているからか。

 答えはまだ、誰も知らない。

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