第10話 闘技場

「え、えっとこちらの方は……?」


 戸惑ったような声音で声を出すのは冒険者組合で面倒な手続きを終え、アデルたちと会うために闘技場へとやってきたアイザックの目は見知った二人とは別のもう一人の大きな人物をとらえていた。


 大柄な体に上等な鎧を着こみ、歴戦を思わせる風貌はこちらを委縮させるだけの恐ろしさがある。

 人というよりは動物に近いその目つきに見つめられ、アイザックは自分の心臓が早鐘のように鳴り響いているのが感じられた。


「#破龍騎士団__ドラゴニック・ナイツ__#団長ガリオロード・バルクゼイだ、お前さんは?」


「ぼ、僕はアイザック・サイロン・ケリアと申します!」


 #破龍騎士団__ドラゴニック・ナイツ__#といえば共和国の治安維持のために作られた軍隊であり、龍王と呼ばれる共和国の実質的な統治者によって選ばれた実力者のみが入隊を許される選ばれた部隊だ。


 その力は他の国の軍隊とは一線を画し、一般的な騎士団長クラスが平隊員としてゴロゴロとしていると噂されている場所でもある。

 そんな恐ろしい部隊のリーダーが目の前に立っているという事を知ったアイザックは、恐怖ではなく憧れの感情を胸に抱いていた。


 立場も名前も知らない相手であるならばまだしも、人は相手の事を知れば恐怖心を和らげさせることができる。


「王国の辺境伯サイロン家の三男か、強運だな。最初に依頼をした人間が最強だったとは」


「その点については僕も本当にそう思っています」


 その上にっこりと笑みを向けられれば、それが熊よりも恐ろしい人物でも怖くないと思えてしまうのだから人というのは何ともおかしなものである。

 そうしてお互いがお互いの事をなんとなく把握した彼らが雑談をしていると、ふとアイザックの視界に向こう側からやってくる人の姿が見えた。


 先程やってきたバルクゼイに比べれば威圧感はないが、何処か冷たさを感じさせながらこちらへと歩いてくるのはリナだ。


「──受付が終わったぞ。30分後に試合開始らしい」


「30分後? 随分と早いな」


「バルクゼイに負けてからというもの強い奴と戦うのを待ち遠しにしていたらしい。名前を出したら直ぐに組んでくれた」


 事実上の敗北と彼は言っていたがリナが受付時に受付嬢から話を聞いたところ、どうやら戦闘自体は圧勝で終了したらしい。

 だがバルクゼイが手傷を追っていたこと、また利き手を使わないと言っていたにも関わらず使わされたという事はリナとしては貴重な情報であった。


 それは自分よりも明らかに格上であり戦闘経験も豊富であろうバルクゼイの予想を超えた能力を発揮できるほどの才能と力を相手が持っていることの証明でもある。

 才能を持った人間が対戦相手を求めることはそう珍しいことではなく、その結果対戦に敗れ運よく生き延びて更に対戦を求めるようになるのはもはや戦闘に関わる者達の常といってもいい。


 かくいうリナも、自分の才能を過信して何度か危ない目にあったことがあったので対戦相手の感覚は理解できる。


「おいおい戦姫、いきなり呼び捨てか?」


「私は私の事を戦姫と呼ぶやつは嫌いなんだ。それに立場は変わらんだろう?」


「お前がアイツに負けなかったらな」


「はいはい雑魚同士で争うな。にしても30分で客なんて呼べるのか?」


 強引に横から入って止めるアデルの疑問は当然だ。

 共和国の首都であるこの街は広く、いきなり何か行事をするといったところで町中にそれを知らせるのはそう簡単なことではない。

 それこそ何らかの仕掛けでもなければ――


 そう思って居たところ何処からかピンポンパンポンと何かを知らせるような音が聞こえてくる。


『闘技場バトルマッチについてのお知らせをします。挑戦いたしますは我らがチャンピオン、待ち受けたるは王国からやってきた聖騎士が一人。保証者はかの龍弟ゼルドリエ氏です! 30分後、中央闘技場で開催いたしますので奮ってご参加ください』


 街中に張り巡らされた魔力を通す糸と、それを用いて動作する声を拡散する魔道具の効果によって効率的にこの街全土に広がっていく。

 それと同時に街中から徐々にざわざわとざわめきが上がっていき、それはうねりのように徐々に大きくなっていくとこちらへと向かって進んでくる。


 土煙を上げるほどの勢いでやってきたのはこの首都で営みを行っている様々な人々。

 自分の仕事すらなげうっている者もその中に入るだろう。

 だがそれでも許される。


 なぜなら共和国の人間にとって闘技場での戦いというのはそれだけ大切な物。

 ましてや数年間一度も戦ってこなかったチャンピョンが世界最強の人間が認めた人間と戦うともなれば、その盛り上がりは異常なほどの物になるのはおかしなことではないだろう。


「と、とんでもない盛り上がりですぅ」


「街全体が揺れているな」


「有名になっちまったもんだよめんどくさい」


 悪態をつきながらアデルはフードを深くかぶる。

 自分の事を見ず知らずの人間に知られるのは彼にとってみればこの世界でもっとも嫌なことの一つだ。


 唯の一回たりとも自分と会ったことのない人間が、さも当然かのように自分を知っておりましてや勝手に価値観を押し付けてくるなど地獄以外の何だというのか。

 認識を阻害する機能の付いたフードをかぶったアデルの横で、リナは自分が負けることの意味を再確認する。


 負ければ最強の名を汚し、彼に対してありもしない言葉を許してしまう事になるという事を。


「これは……負ければお前の顔に泥を塗ることになるな」


「負けたら俺にこれからついてくるの禁止にでもしようか?」


「構わんよ。私は負けないからな」


 それは決意の言葉。

 自分自身に言い聞かせるための言葉であり、自分が逃げられようにするための言葉である。


 お互いの視線が交差し、そこに何を見出したのかは分からないがアデルはどうやらソレに納得したようだ。

 ふとそんな所に闘技場の関係者であろう人物がやってきた。


 闘技場員関係者である赤い帽子を被った係員は、全員の顔を見てから少し悩んだようなそぶりをしながらも、フードを被って認識を阻害しているアデルへと話しかけてくる。


「ゼルドリエ氏とお見受けしますがお間違い無かったでしょうか?」


「そうだけど」


「闘技場の管理を任されている者です。貴賓席をご用意させていただきましたのでどうぞこちらへ」


「ありがとう。じゃあ期待しないで見てるよ。頑張って」


「任せろ。あっと驚かせてやる」


 背中を軽く叩き、アデルはリナの元を離れる。

 そうして案内されるがまま貴賓室へとやってきたアデル達は、立ち見席すら完全に埋まり切りあきからに人が座ることを想定されていないようなスペースまで占領している人々の群れを見ていた。


 騎士団の人間がどうやら人の流れを最低限整理しているようなので怪我人などは出ていないようだが、それだっていつまで持つのかと思えるほどの人混みである。


「満員御礼、どころの騒ぎじゃないねぇ。まったくどこからこんなに人が出てきたのか」


「共和国の最大の娯楽はここの戦いだ。共和国は連合国と同盟を結んでいる関係上戦争が起きなくなって既に500年近い。

 小競り合いこそあれど大きな戦争を経験していない国民たちは闘争を本能的に望んでいるんだ」


 人の本質も所詮は動物のソレなのだから、血を求めてしまう衝動は誰だって多かれ少なかれ胸の内にあるものだ。

 ましてや自分が到底辿り着けない局地に辿り着いた者同士の戦いというのは、それだけで他者を惹きつけるだけの力がある。


 戦闘だけではなく交渉や競争、目に見えないものだって優劣を付けたがる我々人というのは、どうしたって最上位同士の争いには手に汗握らずにはいられない。


「それにしても共和国の貴賓席はなかなか設備が整っていますね」


 ふとアイザックが視線を動かしながらそんな事を口にした。

 王国にも一応闘技場はあるが、そこまで流行っていないので当然それだけ設備に投資される金額というのは高々知れている。


 やはりというかなんというか一商人の身分になっても貴族の頃の感覚があるのか貴賓室でも堂々としているアイザックに対し、アデルはようやくなんとなく名前がうっすらと思い出そうとすれば出てくる程度には定着し始めていた。


「王国にはそもそも闘技場は少ないからね。それで? 才能に溢れたその噂の子はどこにいんの?」


「まあそう急ぐな最強。一応今回はチャンピオン側が挑戦者であるとはいえ、登場するのは戦姫よりあとだ」


 なんだそうなのかとつまらなさそうに椅子に腰をかけ、見下すようにしてアデルは早く現れないかと戦士達の出入り口に視線を向ける。


 そうしているとふと管楽器の音色が聞こえ、われんばかりの感性が辺り一体を支配した。

 貴賓室がその歓声に揺れ、足踏みで闘技場自体を揺らすほどのソレはこれから巻き起こる戦いの熱を上げていく。


 そんな歓声をその背中に一心に受けてリナは堂々とした態度で闘技場の中央に立つと、己が持つ剣を天高く掲げる。

 ソレによって耳をつんざくほどの感性が湧き上がり、倒れるものすら出てくる始末だ。


「さあ分かる人が見ればわかるあの人! 聖騎士の登場だぁ~ッ!!」


「さすがに堂に入った態度だな。騎士団長なだけはある」


「装備はそのままでいいのか? あれなかなかにいいものだぞ」


「装備を含めてその個人の戦闘能力だとチャンピオンが考えているから、今の闘技場は装備の着用が禁止されていない」


 装備も含めて本人の実力と考えるということは、相当実践形式の戦闘が好きな人間なのだろう。

 下手をすれば闘技場という枠組みすらなければ不意打ちでの戦闘開始すらも許容するほどに、相手の実力を全て食い切って倒したいという欲求が透けて見えるようだ。


「初参戦でアウェイにしては尋常じゃない盛り上がりですね」


「それだけゼルドリエの名前が強いという事だ。俺が保証人をやったとてああはならん」


「そりゃ最強だからね俺。そこら辺のやつと一緒にされたら困るよ」


「それではチャンピオンの登場だ! お前達準備はいいか!!」


 ──ピタリと歓声が止む。

 そしてドンドンと、リズムに合わせて足踏みが始まった。

 これがこの闘技場の王を迎え入れるための儀式であり、王の登場が近くなればなるほどに観客達の足踏みは大きくなっていく。


 もはや先に出ていたリナの姿など掻き消え、いまや観客の視線は全てチャンピオンがやってくる出入り口へと注がれている。


「龍王がその技を認めし最強の人! もはやこの共和国内に敵うものなし!! 最高の技術者にして才能の化身! チャンピオンアフルレイド・ヨナ・ゼリアの登場だァァッ!!」


 真紅の瞳に黒い長髪、吊り上がった瞳は人相を悪くさせるものだがどちらかといえば美しさを感じさせるのは#彼女の__・__#その端正な顔つきがあるがゆえだろう。


 着込む装備は確かに相手の装備がなんでもいいと言えるだけの素晴らしいものであり、その立ち姿はなるほど天才と呼ばれるだけのことはある。

 いまのリナの勝率は良くて2割から3割、勝てるとすれば戦闘経験の差が活きた場合のみと言った所だ。


 そんな相手に対して勝利を収めた辺り、流石は共和国の最強集団をまとめ上げるだけの男ということか。

 だがそんな事はいまのアデルからしてみればどうでもよかった。


 アデルが驚いていた理由は自分の視界の先に居るのが#女__・__#だったからだ。


「女ァ!? あのババアが!? そんなわけ──」


 悪態をつきながら目を凝らし、アデルは違和感を感じ取る。

 呼吸方法や細かい動作が見れる距離ではないが、ソレでも違和感を感じ取るには充分なほどの可笑しさが、彼女の体から充満していたからだ。


「なんだアイツ?」


「ふむ、さすがは最強か。この距離で違和感に気が付くとはな」


「どこがおかしいんですか?」


「説明すると長いですけど……」


 さて、そうしてアデルが違和感に気が付いていた頃。

 闘技場のど真ん中で二人の戦士達が相対していた。


 お互いがお互いに既に抜き身の武器を手にしており、油断はないが開始の合図がされていない以上は攻撃もできないので均衡を保っているような状況だ。


 そんな緊張感の中でふと目の前の女の口が開く。


「初めまして。紹介に預かりましたヨナ・ゼリアと申します」


「随分とご丁寧なことだな。王国騎士団第三師団団長リナ・エルデガルトだ」


「噂はかねがね。リナさんが全力を出せる戦場を今日はこちらでご用意させていただきました」


「おおっと? 新たな扉が開いて誰かがやって来るぞ!!」


 自分が全力を出せる環境を用意されたと言われて訝しんだリナの目の前で扉が開く。

 自分たちが入ってきたのとは別の大きな扉が開かれると、中から異形のもの達が現れる。


 緑の体に小さな体躯、だがその全身は筋肉質であり油断をすれば致命傷をもらいかねない小さな亜人と魔物の中間にある生物。

 そしてソレよりも巨大で茶色の体に首元を長毛で覆っている巨漢の大男。


 それらは異形種と呼ばれるこの世界で忌み嫌われる生物達だ。


「この世界で最も矮小で繁殖する亜人種と魔物の中間、緑鬼種を100匹ほど、数匹のオーガと共にご用意させていただきました。まさにこれでこの闘技場の中は戦場、これで貴方は120%の力で戦えますね」


 にっこりと笑うヨナを見てリナは警戒度を先程までよりも更に数段上げる。

 戦場において無類の功績を誇ったリナだが、己の能力のことを誰かに見せた覚えはない。


 何故ならばリナが能力を使う時は味方が全滅した時であり、そして一度能力を発動させたリナはたとえ相手が何千キロ逃げようが確実に追いかけて殺してきた。


 だからこそリナは戦姫と呼ばれ恐れられており、国によってはリナの入国=即殺害であるところもそう珍しくはない。


「よく知っていたな私の事を。それに魔物が逃げる可能性もあるのによく許可が出た」


「龍弟ゼルドリエ……氏が居れば逃げたところで緑鬼種に未来はありません。彼らには私達を殺して生き残った者だけが助かると教育していますので全力で殺しに来てくれますよ」


「よく知っているのだな。あの男の事を」


「彼の事だけでなく、他にもいろいろと知っていますよ。貴方がどんな約束を彼としたのかも」


 試合開始の合図はもう鳴ってくれたのだろうか。

 鳴ってくれていると祈るしかないだろう。

 視界の端でこちらへと向かってくる異業種達よりも、いまは目の前にいる女を撃ち倒して自分のことを知ったふりをする女の鼻っ柱をへし折ってやりたいという欲求しかリナの胸のうちになかった。


「そうか。なら私が勝ったら、言い淀んだ彼の名前を教えてもらってもいいか?」


「構いませんよ。賭け事は私も好きですから」


 大地を踏み締め、絶対に殺すという思いだけを胸に両者は対峙する。

 いつどこで戦うのだって戦士達は譲れないのものを賭けて戦うのだ。


 己の勝利と褒美を求めて、そうして二人の騎士は殺し合いを始めるのだった。

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