空の怪物
九戸政景
空の怪物
「それでね、うんうん、そう」
今日もそんな声が聞こえてくる。声の主は隣の席の女子である
空は太陽が燦々と輝いている綺麗な青空だが、当然のように空に誰かがいても声なんて届くわけはないし、話し相手が小鳥といったようなファンシーなものでもない。けれど、青雲はいつも空に向かって話しかけているのだ。
そんな青雲の様子を見ている俺達は青雲は少し変わった子なのだという判断を下しており、特にそれをいじるとかバカにするとかそういう事はしない。一部を除いて。
「あははっ、またあの不思議ちゃんが空に向かって話しかけてるんだけどー」
そんなキンキンとした高い声が聞こえて俺は思わず耳を塞ぐ。そしてそちらに顔を向けると、そこにいたのは俺が学校生活を送る中で特に嫌いな相手達だった。
「ほんと青雲ってそういうとこキモいよねー」
「もう、
「そういうのは正直に言っちゃダメじゃな~い?」
「えー、だってキモいのはキモいじゃーん?」
「あははっ、言えてるー」
コイツらは
俺からすればコイツらの方がよっぽどキモいのだが、一応クラス内ではカースト上位に位置しているために表だって立ち向かえないし、変に青雲の味方をするような真似も出来ない。俺は平凡な日々を送りたいのだ。
「……青雲には申し訳ないけど」
そんな事を呟いてから俺は寝たフリを続けた。そんな俺の事を青雲が見ていたとも知らずに。
数時間後の放課後、辺りがすっかり暗くなった中で俺はゆっくりと家に帰っていた。季節が秋に移り変わったからか時刻が夕方頃でもだいぶ暗くなっており、空に至っては月が浮かんでいる以外は真っ暗になっていた。
「季節的にやっぱり冷えるなぁ……早く帰ってなんか温かい物でも……」
そう言いながら校門を出ようとしたその時だった。
「青雲さ~、本当に良い加減にしてくんない?」
そんな江上の声が聞こえ、俺は勘弁してくれと思った。そしてその内に、帰る時までこんな奴らの声なんて聞きたくないのにも関わらず、不愉快な声を聞かせてくる江上達に対して苛立ちを感じ、青雲を三人で取り囲んでるところだけでも撮ってそれを教師に突きつけてやろうと考え、俺は声がした方へと向かった。
声がしたのは中庭であり、気づかれないように息を潜めながら様子を窺うと、中庭の中心で江上達が青雲を校舎の壁まで追いやって囲んでおり、さっき聞こえた声やその様子から察するに遂に江上達は我慢の限界に来ていたようだ。
「ほんとさぁ……そうやって不思議ちゃん気取ってて何なの?」
「そんなやり方でしか周囲の関心を集めれないとかマジウケる」
「というかほんとキモい。目障りだからマジ止めてくんない?」
江上達の方が身長が高い事で青雲は三人に上から覗き込まれるような形になっており、正直見ていてキツイ物があった。そのため、俺はすぐに携帯を取り出したが、その時、江上は何も言い返してこない青雲に対して更にイラっとしたのか青雲の肩を強く押した。
「あのさぁ、いい加減にしろって言ってんの。黙ってないで何か言ったら?」
「あ、というかあれじゃない? 空に向かって話しかけてるのってお空の上に誰かいるからじゃない?」
「ああ、死んだ家族かダチか誰かに私は今も元気にしてるよって言ってる的な?」
「うわ、更にキモい。悲劇のヒロイン気取ってるって事でしょ? ほんと引くわー」
「アイツら……!」
もし本当にそうだとしたらその一線は越えてはいけないものだろう。そう思いながら携帯で録画を始めようとしたその時だった。
「そうだよ。お空の上、ううんお空にはお父さんがいるんだ」
突然青雲はそんな事を言い始めた。そしてその一言に江上達が怯んだ時、江上の体が突然“宙に浮いた”。
「え?」
「市子!?」
茂中達が戸惑う中、江上はまるで何者かにつまみ上げられるようにして空へと昇っていき、その姿がいきなり消えると、それと同時に固い物が砕けるような音や水音のような物が響き始めた。
「……ま、まさかこの音って……うぷっ!」
その音の正体が江上を食べる咀嚼音だと感覚的に感じ取った瞬間に俺は強い吐き気に襲われ、それを抑えるために口を手で覆った。
何故、咀嚼音だとわかったのかは俺にもわからない。だけど、江上が何か得体の知れない物にその体を牙で噛み砕かれ、口内で飛び散った血を舌で舐められている想像が頭に浮かび、その光景があまりにもグロテスクで気持ち悪くなってしまったのだ。
そして咀嚼音が終わると、突然の事にボーッとしていた茂中達はハッとし、青雲に詰めよった。
「ちょっと! 今のは何!?」
「青雲、市子は一体どこ……に……」
「珊那、どうしたの?」
「……市子って、“誰”だっけ?」
「……は?」
野下の言葉に茂中は何を言っているんだというような顔をしていたが、自分もすぐにポカーンとし始めた。
「いち、こ……え、本当に誰だっけ?」
「いたはずなんだよ……でも、声も顔も思い出せないし、どんな子だったかが本当に思い出せない……!」
「わ、私も……段々市子なんていなくて、私達二人だけだった気にもなってきた……」
茂中達が困惑しながら頭を両手で押さえる中、その体はさっきの江上のように宙に浮き始めた。
「え……」
「ま、待ってよ……このままじゃ私達まで……」
「うん。お父さんに食べられてそのままみんなの記憶や記録からも消えるよ。お父さん、久し振りに食べても良い人間がいたと思ってがっついてるから私も止められないしね。まったく若い子が本当に好きなんだから」
「そ、そんな……」
「や、止め……!」
「バイバイ、永遠に」
その言葉の後、茂中達はそのまま宙に吊り上げられていき、姿が消えると同時にさっきよりも大きな咀嚼音が耳を突き刺すようにして響いてきた。
「うぐっ……!」
さっきよりも大きな音だった事、そして茂中達が姿の見えない怪物に噛み砕かれていく光景が頭に浮かんだ事でもっと吐き気は強くなり、気を抜いたら確実に吐くだろうという確証があった。
けれど、不思議な事に俺は興奮していた。あの江上達がいなくなった事に対しての嬉しさなのか元々俺に人の体がぐちゃぐちゃになる事に対して興奮を覚える性癖があったのかは知らないが、俺の興奮は冷める事はなく、気持ち悪さと興奮の中で俺は咀嚼音を聞き続けた。
そしてそれが止んだ時、青雲は前屈みになって息を荒くする俺に近づき、俺を覗き込むようにしながらニコリと笑った。
「こんばんは。お父さんの姿は見えてないようだけど、お父さんが江上さん達を食べてるのだけはわかったみたいだね」
「はあ、はあ……」
「お父さんね、君の事も食べようと考えてるみたいだけど、それは私が止めるよ。君は私の事を否定してなかったし、今だって江上さん達の行いについての証拠を残そうとしてくれたから」
「……俺が青雲が姿の見えない何かの娘だってみんなに言い触らすとは考えないのか?」
「ううん。どうせ言ったって誰も信じないだろうし、君はそういう人じゃないって何となくわかるんだ。それと、ちょっとしたお礼をあげるね」
「お、お礼……?」
ようやく吐き気が治まってきた中で顔を上げると、青雲は俺の首元に顔を近づけた。その行為に何の意味があるのかと疑問に思っていると、突然首の肉を何か固い物で挟まれたような感触があり、次の瞬間に俺の腰は砕け、足はガクガクになった。
「あ、あっ……」
挟まれている首の肉が生暖かくザラザラとした物でなぞられてる間、俺は情けない声を出しながら全身を走る快感と再び高まる興奮を同時に味わっていた。
そんな不思議な時間が過ぎ、首の肉がようやく解放されると、限界だった俺はそのまま尻餅をつき、俺を見下ろす青雲を荒く息をしながら見上げた。
「あ、あおぐも……」
「ふふっ、かーわいい。今のでお父さんが見えるようになったから気づいた時には会釈くらいはしてあげてね。それじゃあ、バイバイ」
手を振りながら青雲はそのまま宙に浮いていくと、その姿は空の向こうへと消えていき、その場には首元に唾液でテラテラ光る小さな噛み痕を残された俺だけが残された。
翌日、俺はそれとなくクラスメート達に江上の存在について聞いてみたが、江上を覚えている奴は誰もおらず、そもそも江上達の席すら無くなっていた。つまり、青雲が言っていたように江上達の存在は本当に消えてしまったのだ。
それからというもの、俺は青雲の父親が少しだけ見えるようになった。うっすらと輪郭が見える程度だったが、それは大きな竜のような形をしており、どうやら太陽や月が目になっているようだった。
そのため、俺達は常に青雲の父親に監視されているわけだが、それに気づいているのは俺と青雲だけだった。
そして俺に生じた変化はそれだけじゃなかった。あの日から俺は青雲と付き合っている事になっていて、俺自身も青雲を意識するようになったのだ。いや、正確には意識するようになったというよりは、青雲を見ると体がゾクゾクするようになったのだ。
それは恐らくあの噛み痕が原因なのだろうが、それについて青雲に聞こうとしても聞く前に口が開かなくなってしまい、結局聞けずじまいになってしまうのだ。
だから、この噛み痕の正体も青雲の父親が何者なのかもわからない。ただ一つだけわかるとすれば、この先の人生は青雲とあの空の怪物に支配され続ける事だけだ。
空の怪物 九戸政景 @2012712
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