走馬灯(第二印象) Ⅱ

 私の飲みかけを与えると、シセナは少しずつ落ち着きを取り戻していった。昔から私たち姉妹の奉仕役を担当してくれていた分、雄々しいにも程がある男性の素肌には耐性がなかったらしい。

 それでも、ザンの着替えを失念していたことに気付いた後の行動は早かった。

 脱衣所のドアをそっと開き、彼が浴室に移ったのを確認してから入室。脱ぎ捨てられた激臭の衣類をカゴに回収。鎧のインナーとして着用する長袖のシャツとセットの下衣をそれぞれ特大サイズで用意し、それらをドレッサーに置いて無事に帰還した。

 私はそんな彼女の懸命な仕事ぶりをティーカップ片手に堪能していた。

 怠慢な女王になりたくなくて、ワーム討伐に直接赴くほど自ら率先して行動する意識は私も持っている。シセナだけに任せるより私が手伝った方が効率の良いことも多く、何より私としても黙って見ているのは性に合わない。

 しかし、いざ私が身の回りのことを自分だけで何とかしようとすると、シセナの機嫌が見る間に悪化していくのがこれまでの常だった。

 仮に今から「ザンは私の騎士なのだから私が全て面倒を見る」なんて言い出したら、きっと彼女は泣き喚き、不毛な口論が始まってしまうに違いない。ワーカーホリックは黙って見届けた方が穏便に済むというケースがここにある。

「ご苦労様。貴女も座って休みなさい」

 とはいえ、手際の良さ故に時間は余る。

 慣れない相手に仕事をこなすメイドに労いの意も込めて、向かいの椅子にかけるよう促してからザンのために用意されたカップに構わずホットティーを注いだ。

「お、お手を煩わせてしまい申し訳ありません。あの、ザン様の着ていた衣類はどうしましょう?」

「とりあえず外に置いてきなさい。全て処分したいところだけど、勝手に捨てたらケダモノが暴れ出しそうだわ」

「分かりました……」

 シセナは私の指示通り、汚物の詰まったカゴを部屋の外に置いてから私の前に座り、カップの取っ手を摘まんだ。

 先程のように取り乱さないうちは、ただ熱いからではなく、私に遠慮して微量を口に含んでいく。毎日見る謙虚過ぎる彼女のスタイルだった。

 ただ一人、私の元に残ってくれた奉仕役。他にも中立の教育係、説得の見込みがある若い騎士。そして……。

 それぞれの顔を思い浮かべた。大型補強に成功した以上、情勢はこれから大きく揺れ動くことになり、想定外の事態は正しく想定できないほどに起こりうるはず。

 それでも、シセナが私の敵に回ることだけは絶対にないと思っている。これまで私に尽くしてくれた経験と、おそらく上位層で私しか知らない彼女の精神性からして信頼は不動。

 両親を失い、自動的にツキウ国の頂点となっただけではブラケイドたちに操られる傀儡のお姫様で終わってしまう。妹のように。

 その不自由を避けるように他者とは違う観点を持ち、女王と認められて以降は私なりに意欲的に動くようにした。特に、今日の出会いを境に私はもう立ち止まれなくなった。

 そういう立場だからこそ、心許せる相手と寛ぐ時間の大切さが身に沁みるようになった。

 こうしてはいられない、すぐ次の行動に移らなければ出し抜かれてしまうと、焦る気持ちを抱えながらもこの幕間は譲れない。

 力をつけた有権者はかつての情熱を失い怠惰を貪るようになる。それこそ、若い頃に憎んだあの大人たちみたいに。

 よくある現実のストーリーだけど、彼らはただ、野望よりも元からあった思い出の方を優先しただけなのかもしれない。


 ――私には強い国を創る野望がある。相応しい指導者になりたいと願い続けている。

 だけど、それを為し得た後の私は、為し得る前の私へ誇れる雄姿を示せるのか……。


「アリリヤ様?」

 物思いに耽ったまま硬直していた私をシセナが案じてくれた。これもいつも通り。ただ、ザンの加入により思考を巡らす時間も長くなってしまった。

「今後はよりお忙しくなりそうです」

「望むところよ。むしろ今までが退屈過ぎたくらいだわ。こうして二人で寛ぐ時間も減っていくでしょうね」

 本心とは違う言葉を口にしてしまう。直らない癖。ありのまま、素直な想いを伝えることがどうにも照れて出来なかった。

 切り離すように言ったせいでメイドの表情が曇っていく。その暗雲を晴らす術が今の私にはなかった。

「それで、ザンはまだ上がらないの?まさか湯浴みのやり方すら知らないわけじゃないでしょう?」

「浴室の扉の音が聞こえましたので、今まさにお着替えの最中かと。アリリヤ様も次いで入浴されますか?」

「私は後でいいわ。浴槽が汚染しているのは目に見えているもの。悪いけど綺麗に洗ってもらえる?その間に私は彼の部屋を案内しておくわ」

 二度手間だろうに、私なら嫌がる非効率をシセナは嫌な顔一つせずに受諾してくれる。

 彼女からすれば私から面倒を押し付けられる事こそが本望なのかもしれないけど、世話をする相手が増えたことによる疲労で倒れられては敵わない。箱入りの私より常識知らずの彼の方が負担は掛かるだろうし、拒まれてでも分担すべきね。

 シセナは黙したまま自分を見つめる主君に首を傾げている。私たちのこれからが半ば決まる頃、脱衣所からその男が戻ってきた。

「おかえりなさい。気分はどうかしら?」

「爽快だ。君の言う通り清潔な方がいいな、これは」

 目を閉じてホットティーを堪能するタイミングだったので、シセナとは時間差でその異変に気付くことになった。

 珍しくメイドが赤面していた。男の裸に対する初心な反応ではなく、より深く異性として衝撃を受けたような恍惚の表情を浮かべていたので、もう少しで口内のものを吹き出すところだった。

 ときめく彼女の目線を追うと、当然その先には破廉恥なケダモノが右も左も分からず佇んで……。

「はうっ!」

 ……本当にギリギリのところで吹き出すのを耐えた。結果、咳き込んでシセナを心配させてしまったけど、そのおかげで変な声が漏れたことには触れられなかった。

「どうした?言う通り髭は全て剃ったが、まだ悪い部分があるだろうか?あらためて断っておくが髪は決して――」

 当のザンは事態を理解していない様子。奴隷剣闘士は皆こんな感じなのか。美意識が高過ぎるのも癇に障りそうだけど、彼に限ってはそれが許されてもいいくらいだった。

「あああ、貴方!それ!その顔立ち!」

 そう。むしろそれを維持してくれないと見ているこっちの気が収まらないほどの美顔を誇っていた。余計なものを取り除いてようやく思い知らされた。濡れた長髪などは色気を醸し出し、首より下に目を背ければそのまま絶世の美女が出来上がるほど。

「うん?何か付いているか?」

 そしてこの無自覚。

 これまで女性とは縁がなかったのか、それとも裏では肉林を貪ってきたのかは定かじゃないけど……どうやらイメージした年齢よりずっと若いらしく、過去の苦闘を呼び起こすシワや切り傷すらも武器にするこの美丈夫が他の女に渡らなくて本当に良かった……。


 彼と二人、他に誰もいない廊下を歩く。

 目的地はザンの部屋。中に置いてある物の用途も順に教えてあげなければならないので気分はもう萎えている。シセナのような世話人は向かない。

 衣類と共にカゴへ突っ込んでおいた愛剣を取り出したザンは、衣類は破棄してもらって構わないと言ったきり無言のまま。あとは沈黙が続くばかりだった。

 聞きたいことは山程あるけど、彼の美貌を意識して踏み出せない。寡黙な男というのは第一印象から変わらないため、結果このような重たいムードとなっている。

「貴方だって聞きたいことが沢山あるでしょうに……」

 私の後に続く彼との距離感を考えて、聞こえるか際どい声量で不満を漏らした。実際にそれが聞き届けられたのかは不明だけど、直後に言葉が返ってきた。

「……君の目的は分かった。その手段は悪逆そのものとなるが、私たちにとっては好ましい。故にそれが果たされるまでは付き合おうとも」

 不意なタイミングでの決意表明だった。進むべき道を決めた男の意を汲んであげたいところなのに対面できず悔しい。

「ええ、よろしくね。貴方にとっても、貴方の信じる彼らにとっても好都合なのだから私に従う方が賢明よ」

「ツキウ国の大半……あるいは世界中が敵でも関係ない、か。それで、俺はその日が来るまで君を守ればいいのだな?」

「それが第一だけど、他にも色々やってもらうことになるわ。貴方向きの仕事をね。向かないことは私とシセナに任せても構わないけど、最低限の常識は入れておきなさい」

 碌に顔を見ることすら出来ないくせに見栄を張る。そんな私の背中に溜め息が吐かれたので、まずはそれを注意してから話を続けた。

「貴方の態度からしてアドリブにも強そうだし、仕事の内容についてはその都度伝えればいいでしょう。まずは契約書を作るから、それにサインをするところね」

「契約書だって?勘弁してほしいな。そんなものが何のためになる?証拠など残さずとも期待には必ず応えるとも」

 意外なところで反対された。出会って間もない上に、これまでの暮らしてきた環境があまりにも違うため、彼のOKとNGがまだよく掴めない。

「私としても面倒なことだけど、手間を省くと不機嫌になる大人がいるのよ。難しく考えるより適当に片付けた方がストレスにならないわ」

「そういう意味ではない」

「え?」

 説得に足ることを言った気になっていたので、尚も反対されたことに驚いて立ち止まり、彼の顔色を窺った。……まだ慣れず、頬が熱を帯びてくる。

「俺が尽くすのはツキウ国でもなければその民草や歴史でもない。君だ。俺は君に賭けるのだ。そこを履き違えないでもらいたい」

 体格の違う美丈夫から情熱の眼差しを向けられて鼓動が早まる。これでは主従関係がメチャクチャになりそうだわ……。

 それに、国情の全てを理解した上での否定ならまだしも、血気に満ちた狭い環境で過ごしてきただけの不審者に好き放題言われてはこちらも黙っていらない。

 国を変えたいと思うのは、国を愛している故だという悪逆の情熱で反撃しなくてはならない。それも、彼に伝わるシンプルなやり方で。

「子供の駄々ね。剣闘士とはいえ理知的だという印象だったけど、勘違いだったみたい」

「別に君に従うことに依存はない。勘弁してくれとは言ったが、それほど機嫌が悪くなるのなら我慢する」

「なっ!」

 一発で逆転された!やっぱりアドリブに強い!

 いえ、臨機応変。まるで子供みたいだと挑発した私こそ、大人に癇癪を鎮められたような形となりあえなく惨敗。頭だけでなく全身が燃えるように熱くなってきた。

「わ、分かればいいのよ!それと、貴方の図体に合う鎧を造らせるから後で鍛冶屋へ向かうわよ。それらが済んだ後で……」

 佇むザンの元へ私から歩み寄り、その場で跪くようにジェスチャーで促した。彼は黙して従ってくれた。

「皆の前でここに口づけをしてもらうから。できる?」

「……」

 それは正しく挑発ではなく、堅物な大人を揶揄う童女の悪戯そのものだった。

 床に膝を突いたことで初めて険しくも整った彼の相貌が私より低い位置に来た。それに愉悦を感じるのも束の間、彼は躊躇なく自身の唇を私の手の甲へ捧げようとしてくるため、私の方から飛んで逃げた。

「ほ、本番だけでいいわ!」

「そうか?君がそれでいいなら、そうなのだろう」

 忠誠心のテストをするつもりなど毛頭ない。

 ただ、彼の渋い表情を崩したくて話の流れに適した誘惑を選んだだけなのにあっさりカウンターを返された。不退転の要塞。流石、私の目に狂いはなかったわ……。

「ねぇ、馬鹿にするつもりはないのだけど教えて。そも、貴方って文字は書けるの?」

「……だから勘弁してほしかったのだ」

「ああ、そう……ふふ」

 ほら、やっぱり彼で良かった。言ったでしょう?中身が空っぽなら私と共に歩む資格は与えられないって。

 余計な要素がなく落ち着いているのは美点だけど、それだけではあの暗雲を見つめるよりも退屈になりそうだから、彼の常識知らずをユニークと思えて良かった。

 これから充実した日々が始まる予感がしてならない。専属メイドなる昔からの宝物に、専属騎士なる最強の至宝が加われば面白くなるのは明らかだもの。

 今後は妹派の騎士たちも含め、こちらに鞍替えする可能性のある人々にザンの武勇を示し、私たちの敵に回ることがいかに愚かなことかを分からせて騎士団を根底から揺さぶっていけばいい。

 勝算を揃えてから革命の火蓋を切り、ツキウ国は見る間に生まれ変わる。その新時代の中心に私とザンがいる。

 そのような未来が空想から形を成すまでの時間は意外にあっという間なのかもしれない。大切な時間ほどすぐに去っていくからこそ刹那の幸福を噛みしめなければならない。

 かつてないほどの充実を得た。彼の存在は私の中で次第に大きくなり、もっと彼のことを知りたいと『■』を知らない心が初めての胎動を起こし始めている。

 彼となら何だって出来る。そう思うのは仕方のないことでしょう?


 ――だって、革命が為された後の私はきっと、悪逆の女王であることなど忘れて唯一人の男性に心を奪われる純粋な……。

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