処刑台のフィナーレ Ⅱ

 人間をやめた恐るべき悪魔の怨嗟だった。

 頭まで炎に包まれても尚、自身を処刑台へ追いやった者たちに畏怖を刻み込む底なしの憤怒に誰もが戦慄し、言葉を失った。

 その分、荒れ狂った魔女が静まる瞬間は呆気なかった。

 火刑に処すことは予定通りだったはずなのに、共犯者の騎士たちはお互いの顔を見合わせては酷く憔悴していたので、騎士団長と同じように苦笑いを浮かべるしかなかった。

 しかし、騎士団長のブラケイドはそれ以上に参っていた。

 ツキウ国の覇権を握るために排除しておきたかった姉姫・アリリヤと、その専属騎士をまとめて始末できたにも関わらず心にゆとりがない。アリリヤの断末魔と狂気の眼差しが脳裏に残留し、激しく呼吸を乱していた。

 だからこそ、意外な事に次の災厄の到来に一早く気付いたのは、何もできず自身の無力を憂うばかりだったあの若い騎士だった。

「……ザン殿?」

 忠誠を誓った女性を目の前で失い、自身も剣山に貫かれた後、トドメの一撃を首筋に受けて停止していた断髪の黒騎士。

 もう静かに息絶えるのみ。もしくはアリリヤより先に逝っていたか。生死を確認していないとはいえ、決して復活するはずがない欠陥だらけの要塞が……今!

「ぁぁ……おおおお……」

 誰もが目を疑うあり得ない事態。彼は動き出した。

 主君のいない黒騎士が唸り声を上げている。その声帯が振動するたびに腹部から漏れる血液は濃くなっていくが、それでも止まらなかった。

 呪いの魔女を凌ぐ現存の脅威に誰もが底なしの恐怖を覚えて身を震わす中、彼を慕うチャーゼと、お互いを認め合うロスだけがその再起動に高揚していた。

「ぁぁぁ……あああああああああ!」

 死してなおもその美しい体を燃やされ続ける己が主君と、そんな彼女を守り抜くことができなかった己自身への怒りは収まるはずもなく……やがて嗚咽は慟哭となり、絶叫と共に男の両目から赤い涙が流れた。

 

 ――誰も知らないことだが、姉姫アリリヤの専属騎士・ザンが29年の生涯で涙を流したのはこれが最初で最後だった。

 

 燃える魔女の背後で腰を抜かすイレイヤを、燃える瞳が睨み付けた。

 肉食動物が眼力だけで草食動物を麻痺させる狩りの手法と同じだ。何もできない新たな女王は泡を吹いてその場で気絶した。

 張り合いがない。元よりザンはこのようなケダモノに堕ちる前から妹姫・イレイヤには微塵も興味がなかった。姉姫と同じ第一印象のまま留まった無関係。剣を振るうに値しなかった。それよりも今は……。

 愛剣に手を伸ばすのが(誇り高く在り続けるのが)面倒になったため、諦めて自身に突き刺さる剣山の中から獲物を引っ張り出すことにした。

 背中側からグリップを握って引き抜くのではなく、表裏とか、柄の太さなど構わず正面から血の池に手を入れて適当な一本を取り出した。腹から噴水が発生して両脚が震えたが、そんなことはどうでもよかった。

 臆病者の妹姫になど用はない。どうしても関心が湧かない。時間を掛けたくない。

 黒い鎧が真っ赤に変色した狂人は、痙攣しながら眠る小動物より、燃やされたまま放置されている目の前の主君への無念に再び咆哮した。

 そして、アリリヤを業火から解放する術も、安らかに眠らせてあげることさえも自分には果たせないのだと嘆くと、彼女をこのようにした憎きツキウ国の全敵勢力を一匹残らず殺戮することを……視界を染める全ての紅蓮に誓った。

「ううううう……」

 獣の呻きと共に広場の方を振り向いた瞬間、まだ残っていた民衆が一斉に悲鳴を上げた。

 その常軌を逸した形相を羅刹と怖れ、それが今から何をやるつもりでいるのかを本能で理解すると、誰もが命の危険を察して全速力で散開した。

 剣山を背負いながら前傾姿勢で一歩ずつ前進する獣はその喧騒に反応を示さなかった。

 理由は単純。このツキウ国の下位層はすでに浸水しており、外界への行き来が不可能となっているからだ。

 つまり、逃げ場などどこにもないということ。どれだけ速い足で逃げようともいずれは追いつき、斬り伏せればいいだけだ。慌てて追う必要もない。

 何より今は、最優先で片付けておきたい相手がその首晒して転がっている以上、他のすべての事柄が後回しになる。

「ひぃ……」

 獲物は当然、この事態の首謀者である騎士団長だ。

 必殺の剣幕でゆらりと接近してくるザンを相手に、ブラケイドは戦意を削がれて怯えるばかりだった。

 妹姫と同様、ザンはこの男にも関心はなかった。立場上の上司とはいえ、彼はあくまでアリリヤの専属騎士だったからだ。

 しかし、だからこそ、その彼女を火刑に追いやった主犯は真っ先に成敗しなくてはならない。自身の首を半分断ったことなど、身を焼き焦がすほどの憎悪と比べれば正しく塵に等しかった。

「ロス!何をしている!イレイヤ様の危機であろう!役目を果たせ!」

 仕事熱心ではあると、アリリヤから一定の評価を貰っていたブラケイドでも流石に臆した。面目を保つために妹姫を利用する狡猾さに、より大きな舌打ちを漏らしながらも白騎士は仕方なく動いた。

「くだらん。確かにこれなら向こう側についた方が良かったかもしれんな」

 愚痴をこぼしてから欠片も尊敬していない上司を助けに行くロス。そんな彼の愚痴をチャーゼだけが確かに聞いていた。

「ロォォォォス!早くしろ!早く!」

 慌てふためくブラケイドに迫るザンは、まだ間合いに届いていないとはいえ十分な鬼気と威圧感。誰であれ、純然な殺意を抱く異形の怪物に迫られてはパニック状態に陥るのは仕方ない。

 しかし、それを外野から見ていた騎士たちは上司の狼狽えぶりに笑いを我慢している様子だった。

 形勢は変わった。今やザンこそがブラケイドの執行人である。意識を取り戻したイレイヤの目にはそのように映ったことだろう。

 そんな彼女の専属騎士が二人の間に割って入ったのを確認すると心から安堵した。ロスの方は、新たな魔女の誕生と、それを許したこの国の歴史に心から失望していた。

「ザン、そう憎むな。お前のお姫サマの言う根性論は確かに俺たちには合っていた。だが、こいつらにそれは無理だ。潔く――」

 怨霊そのものと化した宿敵に引導を渡す直前で、彼はそのズレに気付いた。

 自らもザンと同じで、運良くコロシアムを卒業できた立場だからこそ疑問に思わなかったこと。いや、間が悪くて知らされなかったのか、あるいはロスが二人の革命の全容を知るのを怖れて騎士団長は処刑を急いだのか。

 ロスがコロシアムを出た頃には既に18歳の娘がこの国の女王となっていた。

 そして、その王道は本格的な展開を見せるより前に潰え、これからは自らが従う15歳の臆病者の時代が始まろうとしている。

 そも、政治の専門家が他にいないものかと疑うべき部分は多々あるが、それらもこの際は些事だ。

 そんなことよりも今すぐに知りたいことがロスにはあった。亡き姉姫・アリリヤが掲げた強い国。その具体的な政策を。

 ……その新世界で脚光を浴びるのは誰なのかを。

「ザン……お前と、お前が信じた娘に共通する『意志』とは何だ?」

 お互いに間合い。抵抗がなければ一振りで首を切り落とせる距離にありながらも白騎士は構わず問うた。

 ロスに戦意はない。遠い空へ送る前に確かめたいことがあるから、それを知るまでは動かないと決めた。しかし……。

「ザン、お前はそこまで……」

「ザン殿……」

 何事かと状況の把握が儘ならない脇役たちを他所に、対面のロスとその最期を見届けるチャーゼだけが察した。

 悪逆の女王。雨の国の魔女。

 今や骨まで焼き焦がされている最中の彼女のため、その忠誠を捧げた専属騎士の名を冠する悪鬼は、自身と同じ矜持を背負うロスに対してだけは堕ちた状態で剣を振りかざすことが出来なかったのだ。

 

 ――下衆を狩るだけならまだしも、お前が来たならこれ以上の醜態は晒せない。

 

 魂が抜けたように脱力し、殺気に満ちたケダモノの相貌は緩やかに落ち着きを見せた。

 次の瞬間、彼の背後で小さな爆発が起きた。火炙りにされた死体の頭部が弾けたのだ。

 爆発の後、それを救い出すために孤独の戦いへ赴いた騎士は、まるで主人の元へ帰還を遂げたかのように優しく剣を手放してから赤い体を地に伏せた。

「事切れたか。いや、まさか剣を放す前から既に……」

 絶命したザンを見下ろすロス。二人の最後の掛け合いを近くで見るため、チャーゼは自分でも知らない間に壇上の前まで来ていた。

 そしてまた涙が零れた。彼らのような矜持を持たず、崇高な存在同士の礼儀に憧れるばかりで、その領域に遠く及ばない己の未熟を恥じて若者はたくさん泣いた。

 ロスはその姿に、この国がまだ完全に終わったわけではないという微かな期待を芽吹かせた。

 チャーゼもそうだが、二人の生還を信じて城のどこかに隠れている姉姫の専属メイドや『彼ら』がまだ残っているのなら……悲願を遂げられないまま旅立った彼らに代わってその革命を起こしてみるのも悪くないかもしれないと思った。

 雨を落とし続けるばかりの空を見上げてそのように耽る彼の元へ、一人の少女が駆けてくる。

「ロス!お見事でした!剣を抜かずにあのケダモノを退けるなんて……これでツキウ国を脅かす脅威は諸共に去りましたね!これで良いのですよね?これでみんなは喜んでくれるのですよね?」

 罪を知らない無垢な笑顔が、赤く染まった二つの死骸をそれぞれ一瞥してからそのようなことを吐いた。自らが犯した過ちを、これから負うことになる業の重みを欠片も理解していないのだ。

「哀れ、だな」

 それだけ言ってロスは城へ帰ろうとした。事後処理など雑兵の仕事。自分がそこまで付き合う義理はない。だから……。

「あっ!待ってくださいロス!この国の害悪を掃除できたのです!まだ帰らないで、皆と一緒に喜びを分かち合いま――」

 その小さな両手に腕を掴まれた途端……ザンや姉姫の陣営ではなく、この腐敗した連中と同類でいる自分に無性に腹が立った。

 ワームのようにしぶとく絡んでくるイレイヤの笑顔が鬱陶しかったので、分かりきった周囲の反応など構わず繊細な頬を思い切り叩いた。

「何と恐れ多い!無礼者が!」

「黙れ!文句があるなら相手をしてやる!ザンと違って情けはかけんぞ!」

 予想通り激昂したブラケイドにそう言い返し、泣き崩れる自らの主君を見向きもしない。

 これ以上は付き合いきれないと、早足で退場するところ……雑兵の一人がザンの愛剣を無下に扱うのが目に留まり、迷わずそいつを殴ってからそれを持ち帰った。

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