悪逆恋情・画竜点睛 Ⅰ
……。
…………。
………………。
……………………ふと、意識が回復していることに気が付いた。
何もない真っ暗闇の中にいる。黒焦げで葬られると視界までこうなってしまうものなのかしら。
これを景色として認識できる以上、私という一物質はまだこの世に留まっていることを意味するはずなのに、不思議と生きている実感というものはない。
寒くも、熱くもない。今の私は、ただそこに漂っているだけの幽霊みたいだった。
私の体は跡形も残らず焼き尽くされた。その出来事を知っている。ツキウ国の中位層に設けられた処刑台にて火炙りにされた末路を覚えている。記憶がある。
それならどうしてこのように自我を持って、私は私の意思で思考を巡らせることができるのか。
そして、ここがどこで、私はこれからどうすればいいのか……肝心な部分が欠如していた。
不思議な感覚ね。私とは今も『姉姫・アリリヤ』のままで、自分がこれまでどのようにその短い生涯を過ごしてきたのかを鮮明に覚えているというのに、これから目指すべき場所がどこなのかが分からないなんて。
知恵がある分、生まれたばかりの赤ん坊より面倒だわ。何もない世界で自由になっても退屈に苛立つだけじゃない。
何もない暗黒の中を漂流するばかりでそれ以上の進展がない。説明を貰えない。この虚無こそが死後の世界だというの?
私だけでなく、全人類が一度は思い描いた天界のイメージとは遠くかけ離れた無の世界。それでいて、冥界というにはその要素も足りていない。
「まさか……ずっとこのまま?」
そのため、何故か復活を遂げた私の思考は、この状況こそが地獄の刑罰なのではないかと考えた。この何も無い場所で、永遠に虚空を眺め続けることが私に与えられた試練なのかもしれないと。
その苦痛をより強めるためだけに……失ったはずの五感が、潰された右目が、叫び疲れた喉が、散ったはずの命が再生しているのかもしれない。
「それは、嫌ね……」
後か先かも定かではないこと。命を賭して私を助けに来てくれた真の騎士を目の前で失い、彼と始めるつもりだった革命は今も机に置きっ放しのまま全てが終わった。
あんな手遅れな国で、あんな悲惨な末路を辿ったのだから、せめてエピローグではゆっくり寛ぎたかったのだけど……私より偉い誰かがそれを認めてくれなかったらしい。
……理不尽なんて力尽くで覆せばいい。そういう考え方に固執していたから、日を追うごとに私の周りから人が離れていった。
それでも、真に強い自分たちに弱い彼らが遅れているだけだと解釈し、まともに寄り添うのも下らないと捨て置いた。
正式に女王となり、妹との関係が隔絶した後、私の陣営には専属メイドのシセナしか残っていなかった。
思えば国情や民の質がどうかという以前に、私は空気を読むのが下手だったのかもしれない。「歴史を塗り替えるのは賢者ではなく愚者に限る」というマキュア先生の歴史学で聞いた言葉が幼心に刺さり、その思想に囚われ過ぎていたのかもしれない。
今になって反省しても何もかもが手遅れだし、ただ偉そうなだけとも捉えられる私の極端な実力主義志向はザンの獲得によって更に拍車がかかり、敵対派閥や民衆の限界など気にも留めずに走り続けた。
処刑台送りにされなければ、沈没を待つばかりの情勢に一石を投じる計画があった。それを起こせなかったことへの後悔は今でも忘れられない。シセナだけでなく『彼ら』も置いていくことになってしまったのだから無責任にも程がある。
第三者からすればきっと、無辜の人々の営みを脅かす悪者が正義の心によって成敗された痛快なおとぎ話として成立しているのかもしれないけど、当の悪役にしか分からない苦難というものがあり、その未練はこのように怨念として留まっている。
恐怖政治が回避された世界へ。皆を救うつもりだった魔女が遥か及ばない故郷に向けて手を伸ばした。
価値の出ない行為。死して虚無に落とされた私の全ての思考と抵抗が意味を為さないのは分かっている。だから……。
「……はぁ?」
――まるで目蓋の裏側にいるような何もない暗闇を過ぎ去って、視界は見る間にコバルトブルーへ変化していった。厳密には水色だけど、今まで見たどのブルーよりも濃く感じた。
景色の方が頃合いを見て変化したのではなく、私の方が暗闇を脱出したのが分かったのと同じタイミングで……この体が重力通り真っ直ぐに落下していることが分かると、疲れた喉に無理やりアクセルを踏み込まずにはいられなかった。
「いっ!……あぁぁ……ぁぁぁぁぁ!」
実際は叫ぶことも儘ならず、声にならない声で五体の保証を懇願した。
このような体験は流石に覚えがない。いや、一生でこのような思いをした者など私の他にいるはずがない。
まさか、これが罰?体を修復させて、一先ず何もない空間で反省を促してから地面に叩き落として殺害する。それが、天使か死神のいずれかが私へ下した刑罰なのか……!
「う、そ……うそ……うそうそうそ!嘘でしょ!うそぉぁぁぁ!こんなの聞いてないわよぉぉぉぉぉぉ!」
抵抗しようにも私の体は正直に落ちていくばかりで狼狽えることしかできない。流石は死後の世界。規格外かつ埒外すぎる。
生前に予想していた死者の行く末とは毛色が違う。それ故に効果てきめんの拷問。未だに着用したままのアオザイに似た死刑囚の格好が皮肉にもこの醜態に相応しかった。
「ザンぅ……助けてぇ……」
情けないにも程があるのは百も承知。
それでも、窮地に立たされたら彼に助けを乞う癖は未だに直らず、軟弱な魂は死別した結果を忘れて彼を求めた。死ぬ寸前、彼の安らかな眠りを願ったことを思い出すには心の余裕が足りなかった。
当然、彼は来ない。万が一あの後でロスか誰かがザンを助け、一命を取り留めていたとしても……このような座標も地点も図り知れない空の彼方で孤独に弱る女を助けに来てくれるなど、いくら彼でも遂行不可能な無茶ぶりに決まっている。
――待って。ここが……空?
もう自分の情緒がよく分からない。死に際は大分荒れたみたいだけど、その時の状況もあまり思い出せない。思い出そうとすると、修復してもらった部位が疼くから止めておきます。
それより今は、この場所がどこなのかを知りたいと思った。勿論、その答えは一つに絞られているのだけど、誰かにはっきりと断言してほしかった。
あらためて、どうして私はまだ生きているのか。どうして私を復活させたその『誰か』はこの場所に私を飛ばしたのか。あと、その説明が一切ないとは何事か。
……なんて、疑問点が多く生まれては消えるのを繰り返すばかりで頭に血が昇るだけ。推理なんて私には向いていない。
だって、私は一国の女王でしかなかった。強い国を目指すと豪語しながら、その生涯をたった18年で散らした……決して語り継がれることのない歴史書のシミに過ぎない。
そんな私がこの環境下で頭を冷やした場合、初めに出てくる感想はこれと決まっていた。
「空って本当に青いのね」
私は存命のツキウ国出身者で唯一の青空を見た人間になった。あるいはこの星でただ一人、私だけかもしれない奇跡の体験だった。
雨が止まない世界の片隅で、小さな国さえ統一できなかった無知な女王は、誰かにとっては当たり前かもしれないこの景色に感銘を受けた。
真っ青な空と、先程まで漂っていた暗黒の中間点。
遥か向こう、どれだけ手を伸ばしても届きそうにない遠くの空には光を放つ球体があり、その過剰な眩しさを直視することができずに目蓋を半分ほど閉じた。
それは、あの醜悪な世界で生きる私たちでは到底辿り着けない雄大な天然であり、崇高なアートだった。
目蓋の裏に涙が溜まった。全ての困難を乗り越えた後で、この絶景を彼とのんびり堪能したかった。
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