悪逆恋情・画竜点睛 Ⅱ

 光る球体を見送ると、またして世界が色を変えた。天罰などと思い込んでいた素敵な体験が終わりを告げた。

 次に来たのはグレー単色の空間だった。私の体はその息苦しい世界へ抗うことなく沈んでいく。

 これは知っている。最も馴染みがある。見上げればいつでもあった空の色。先程の夢のような時間を一気に台無しにする現実のカラー。大きく溜め息を吐いた。

「何もかも分からないわ。一体どうなってるのよ……」

 現在進行形で地上へ向けて真っ直ぐに落下中とはいえ、その時間が長引けば気分も冷めてくるというもの。正直、飽きてきたわ……。

 スリル満点の絶叫アトラクションは短時間だからこそ楽しめるのに。私を復活させた者が誰かは知らないけど、私の国のコロシアム運営を見習いなさい。

 これまでは常に高みに在った暗い雲海。そこへ上から飛び込んでいくことに何の感慨もないのは自分としても意外だった。いつもの調子が戻るほど、これまでの絶景と比べてカルチャーショックがない。

 しかし、斜に構えていられのも束の間。見慣れた雲海の中に、見慣れたシルエットがいくつもあるのが窺えた。

「ま、さか……」

 敷き詰めるほどと言えば大袈裟だけど、数え切れるほどの量ではないのは明らか。

 こっちは猛スピードで落下しているのに中々それらと直撃しないのは、距離感が麻痺しているせいかもしれない。徐々に近づくことでシルエットの正体は鮮明になっていき、それだと確信した途端に身の毛がよだつのが分かった。

「何で、こんなに……」

 蠢く無数のシルエットの正体はワームだった。

 全長6メートル前後の顔のない蛇。人類共通の仇敵であり、ツキウ国の営みを脅かす害獣。その憎き怪物が蔓延るエリアへ無防備な格好のまま突っ込んでいく私は自殺志願者に他ならない。

 あまりの非常事態に嫌な考えがよぎる。地面への落下死というのは私の勘違いで、ワームに吞み込まれることこそが本当の罰だったのではないかと。私の生前のトラウマ第1位だからこのように設定したの?お生憎様、そのデータは死の間際に更新されたわ。

 ワームが空からやってくるのは常識として知っている。

 私自身がワームと戦えるようになる前から、それらがツキウ国の領土に襲来する様子を安全圏から見てきたのだし……何より奴らには私たちと違って翼が生えていて、飛行能力もあるのだから何も可笑しくはない。

 ただし、翼が機能しなくなって着地すら儘ならずに墜落してくるケースもある。そういう個体は既に弱った状態だから発見した騎士たちにメッタ刺しにされ、あえなく葬られるだけなのだけど。

 そのワームたちがこの雲海の中に生息していたなんて……。

 空からやってくるとはいえ、それは曖昧な比喩で、具体的には人の手が届かないどこかに巣穴があり、人々の匂いを察知して食事にやってくるのだと教えられてきた。

 ツキウ国に生まれた者は皆、自分が生まれてくる前からあった世の中の常識や仕組みについて疑問を抱くことが少ない傾向にあると感じていた。

 これは彼らに限らず私にも刺さる課題だからこそ、このように今まで知らなかった新たな事実に直面すると惑い、動けなくなってしまう。まあ、動けないのは元々ですけど……。

 ただ落ちていくばかりの無防備な私は、翼を揚々と羽ばたかせるワームたちにとって都合の良いエサでしかない。他者の痛点を非難するにはあまりにも説得力が足りず、何より皆から遠い場所にいるため正しく話にならない。

 ……うち一匹が真下で私を待ち構えている。顔のない蛇が大粒の涎を垂らして食事に備えている。どうやら私はあいつに食べられるらしい。

 何もできない。四肢を激しく振ったところで抵抗にすらならない。

 だから、諦めて捕食を受け入れた。かつては上半身まで呑まれたところでザンが助けてくれたけど、奇跡は二度も起きない。彼はもういない。何より、捕食される私の方が望んで吸い込まれていく勢いなのだから、この場に彼がいたとしても救助のし甲斐がないでしょう。

 騎士を呑んだワームを殺した後、その肉体を切って開くのを見たことがある。捕食から短い時間だったため、中にいた騎士はまだ人としての原型はかろうじて保っていた。だからこそ、全身を半端に溶かされたその姿は他に例のない惨さだった。

 私も消化される前に一旦はあのように溶かされてしまうのだと想像し、吐き気を催した。

「いい罰し方ね。センスあると思うわ」

 だから、これではあまりにも女王としてみっともないので、何とか虚勢くらいは張り通すことにしてみた。

 結局、私を好き放題に弄んだ者の正体は分からず終い。雲海には無数のワームが蔓延るばかりで、ここには私と同じ種族がいない。処刑台の方がマシに思えてくる。

 ……しかし、こんな私をどこかで誰かが見ている気がしてならない。突拍子もない予測。あり得ないことだとは分かっている。

 それでも、これだけのデタラメが次々と巻き起こるのなら、そのようなデタラメがあっても不思議はないはずでしょう?

 

 ――それならせめて、その誰かのために。

 そして、私自身が試練に臨む心構えで最期を迎えるために。ワームの養分にされる終わり方なんて最低だから、せめて火刑の時とは違って潔く散りたいと思った。

 私と彼が初めて出会ったあのコロシアムで……理不尽な環境に産み落とされて、望んでもいない闘争を強いられても尚、己の自我と矜持を、その誇りを最期の瞬間まで見失わなかった……18年という短い生涯で敬愛した彼らのように、最期まで己の尊厳を守り抜きたいと願った!

 

 ……つまりその想いは、まだ終わりたくないという本音の裏返しだった。

 そういえば私は諦めが悪かったのよねと、自分の意地汚さを今際の際でぼんやり思い出した。ブラケイドと相性が悪かったのは要するに、鏡を見せられていたからなのでしょうね。

 ただ、おかげで至近距離に迫るワームの大口を怖ろしいとは微塵も思わず、生前のトラウマがあっさり克服されたことにより気分が充実していた。そして……。


 ――ガアアアア!


 彼らの大きな背中を自分の軟弱な心臓にコーティングして、誰にも頼らず独りで試練を乗り越えることができた私に報酬を賜すように……獣の呻きに似た重低音が大空に響いた。

 鼓膜を裂くほどの轟音。見聞がなくても分かる桁違いのスケール。食料の到来を待ち焦がれる真下の一匹を除いて、周囲のワームたちは一斉に翼を翻して私から遠ざかっていった。

 逆に私はそれを脅威とは思わず、むしろ鐘の音のように神聖で縁起の良いものとさえ感じていた。

 例えば、姿を現した重低音の正体が私を食らうためにやって来た未知の狂暴生物だったとしても、別に取り乱すことはない。

 だって、どうせもう間に合わない。

 その存在を確認するより、私がワームに食べられる方が早いに決まっている。空気を読めず、本能に自らの命運をかけた『哀れ』なワームの大口はもう目の前。次の瞬間には吸い込まれる。

 復活後に体験したデタラメを何一つ理解できないまま果てていく。

 暗い雲海のどこから叫んでいるかも定かじゃない……遅れてきた何者かに対して「全然間に合ってないじゃない」と𠮟責することも叶わず、地上への復帰を夢見たまま第2の人生は幕を引く。

 好き放題に翻弄されただけでまるで意味がなかった誰かの脚本への呆気と、未だ忘れらない未練の数々を思い出してはそれに苛まれ、最後は目蓋を閉じて独りになった。

 諦めきれなくても受け入れられる。そんな私の覚悟を嘲笑うかのように(手放さなかった『願い』に応えるように)……轟音が姿を現した。


 ――ガアアアアアアアアアアッ!


 一度目より遥かにうるさい咆哮だった。それもそのはず。先程は厚い雲が騒音を僅かに遮断してくれていただけで、本来ならこれが当たり前なのだから。

 耳を塞ぐことができなかったのは、余裕がなかったからというわけではなく、きっとまだ『何か』を信じていたから。

 そして、その期待はまたしても私を裏切らなかった。全く、これだけ尽くされては何度殺されても改心なんて出来そうにないわ。

 散開するワームたちの飛行速度も、私の落下速度も、真下のワームに私が呑まれるまでのコンマさえも……それにとっては止まって見えるほどの鈍さだったのかもしれない。

 復活してから多くのデタラメを目の当たりにしたけど、一目で異次元のレベルだと分かるそれは、同じ飛行種のワームたちに同情を覚えるくらい生物としての価値が別格だった。

 超速で飛来したそれは、魚みたいに頂点へ頭を伸ばしていたワームを巨大かつ鋭利な歯でひとえに嚙み千切ると、一瞬で息絶えたそいつに呑まれるはずだった私を極太の首に乗せて徐行した。

 あまりにも完璧なタイミングだったため、落下ではなく着地として成立した。腰に痛覚を感じなかったのは死んでいるからではないらしい。

 その上、飛行速度を緩めてくれたおかげで私の軽い体はこの巨体から転がり落ちずに乗り込めた。見た目に反する安全運転。慌てる必要もなく、私は慎重にその首へ四肢を絡ませてしがみついた。

 結果、このような地獄においてもそれは間に合ったということ。

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