悪逆恋情・画竜点睛 Ⅲ

 窮地を救ってくれたのは黒い鱗で身を覆った巨大な蛇だった。

 背中に生えた翼は膜まで広大。獣のような顔面に爪の尖る手脚や長過ぎる気がする尻尾などが備わっているため、早速これを蛇と認識するのは間違っているように思えてきた。

 同じ飛行種であってもワームとはモノが違う。その全長は散開するワームたちと比べて4倍以上。正確には28メートルで、完全に人智の範疇を超えている。

 その容姿はどこを取っても荘厳で無駄のない芸術品。それこそザンのように逞しく、首から尻尾まで贅肉のない強靭な姿をしていて私の大好物だった。両翼が羽ばたく際の風圧だけで周囲の暗雲を払うスケールが琴線に触れた。


 ――ただし、錆びついた幾本もの巨大な棘に胴体を貫かれていることだけがとても痛ましく映った。

 

「あなたは一体……」

 私はこの大蛇に助けられた。大蛇は咥えた肉片を吐き捨てると、ワームの溜まる隣の暗雲を見据えて今一度アクセルを踏み込んだ。どうやら、やるつもりらしい。

「ま、待って!」

 助けられた身の上ながら、その果敢ぶりには臆してついて行けない。

 しかし、大蛇との意思の疎通なんて不可能だと思い込んでしまい、ワームの群れへ直進するその首にしがみ付くことしか今の私にはできなかった。アオザイの格好でよかった。ドレス姿だったら色々と終わっていたわ……。

「やる気なのね……もう!」

 自分たちを狩るつもりでいる格上から逃れることは叶わないと諦めたのか、向かいの暗雲に溜まるワームの群れはUターンを決めて一斉にこちらへ向かってきた。

 夜の闇が怖くて眠れなくなるほどのトラウマだった怪物たちで視界が埋められる。なんて酷い地獄絵図。思わず目を背けたくなる悍ましさ。拷問はまだ続いていたというの?

 そう。身の毛がよだつほどの不快感は確かにある。かつてこれほど忌避したい盤面などなかったほどに。青空の向こうに君臨する眩しい球体を目撃して以降、ずっと泣きっぱなしで視界が半端に潤んでいる分、ワームの口内が余計に歪んで見えた。

 

 ――走馬灯のようにマキュア先生の授業を思い出した。

 ワームとは本来、人類が不気味に感じる容姿などではなく、天空を駆る唯一の生物としての尊厳に満ち溢れていた凛々しい飛行種だったという。

 つまり、ひたすらに品格があった。一目でスケール差に跪き、古今東西の腕利きが容易く戦意を挫かれてしまうほどで、挑むことすら愚かと諦めるほどに。

 今では空を飛ぶ蛇といえばワーム一択だけど、これは明らかにそれとは違う。

 先生曰く、そのあまりに常軌を逸した生命のレベルから、捻じ曲がった伝承により創られたフィクションの存在なのではないかと疑う意見も多いらしいけど……。

 それでも先人たちは、どの種族よりも遥か高みを征くかの者へ、その圧倒的なスペックとみなぎる力に畏怖と敬意……そしてロマンを求めて『ドラゴン』と呼称した。


 見るに堪えない光景に私まで心が挫けそうになる。

 それでも、あいつらに負ける未来だけはどうしても想像がつかなかった。

 理由は単純で明快。今の私には神話の再来にも等しい反則技が備わっているからだ。

 どこの空かすら定かでない雲海の只中。ここにはザンも、シセナも、彼らもいない。

 それでも今の私は、この大袈裟ともいえるスペシャルゲストと共に在る。

 ワームに呑まれるはずだった私を救い、その太過ぎる首に巻きつくことを許してくれているこのドラゴンと一緒ならワームの大群が相手でも何とかなる気がしてならない。

 迫るワームの数は無数。数えるだけ無駄なこと。最早、この暗い雲海そのものと言ってもいい集合体。どれもこれも殺気に満ちて大口から唾液を飛ばして私たちに何かを叫んでいる。

 あなたたちには悪いけど、もうあなたたちの意思なんて考慮の必要がない。情けをかけるにはもう手遅れだった。この曇る世界の植物連鎖の覇者が諸共を灰燼に帰してしまう寸前なのだから。

 ドラゴンの前に姿を晒してしまったら最後……相手がどれだけの手練れで、どれだけの数で向かってこようとも、勝敗は一切の番狂わせもなく決してしまう。

 黒竜が冗談の通じない眼光で蠢く景色を睨み付け、絶叫した。ワームの存在そのもが小さく思えるほどのスケール差は首に張り付いていても分かる絶対だった。

 空の覇者の威圧に全てのワームが怯み、太くて長い体を痙攣させている。ただ一度の圧力だけで翼が使えなくなり地上へ落ちていくものもいた。

 しかし、今の咆哮は「見逃してやるから消え去れ」という警告ではない。落ちていくものたちも含めて一匹残らず殲滅する気満々だというのは分かり切っていた。

 初対面の別種族。加えて相手は人智の及ばないドラゴンだというのに、何故かその『意志』が明確に伝わってきた。

 ドラゴンの体の各部位に光が灯った。それはやがて線となり首を辿り、口内に集約された。

 尋常じゃない熱量。黒竜の歯に残っていたワームの肉片が解けていく音が微かに聞こえた。

 ……不思議と私の体は無事だけど、私の衣装はあまり無事じゃないので早く決着をつけてほしい。

「あなた、不潔!」

 

 ――異次元のエネルギーが黒竜様のご納得される分量まで達した瞬間、勝負は決した。


 ドラゴンはその大口を全開にして両翼を広げると、固定砲台のようにその場に留まり、雷を纏った炎の熱線を放って視界に蔓延る格下たちを溶かしていった。

 まるで清掃のように黒点の目立つ箇所へ集中的に熱線をぶつけていく。空気そのものを焼くほどの熱量のため、直撃を回避したところで死は免れない。先に落下していったワームたちさえもその熱気だけで絶命した。

 視界に映るワームの群れが見る間に小さくなっていく。

 私は熱線を浴びて散っていくワームたちが下へ落ちていくのを見届けることで掃討を確認した。あの球体のようにやり過ぎな閃光を至近距離で受けてしまい目の前の光景を直視できずにいた。

 接近するだけで死んでしまう熱量だというのに私(の体)は無事。それが何故かなんて分からないけど、これほどの爽快感は初めてで清々しい気分だった。

「凄いわ。凄過ぎよ……」

 戦力差……いや、格の違いについ引いてしまう。勝負にすらならなかったというのに、始めは私を食らうつもりでいたワームたちに同情するほどの完勝だった。

「ねぇ、あなた。どうしてあなたほどの存在が私を助けてくれたの?……私の言葉、伝わるかしら?」

 一掃中、聴覚を刺激した熱線の爆音とワームたちの悲鳴こそが拷問らしかった。ここら一帯のワームが全滅するのと同時に周囲は沈黙と化したはずなのに頭痛が酷い。いえ、頭痛で済んでいるのが可笑しいのかもしれないけど……。

 ドラゴンは何も答えずに大きな翼をスローモーションで扇ぎ、地上へ向けて降下していった。

 これがどんな性格かなんて分かるはずもない。狂乱にも等しい先程の戦いぶりから一変して大人しくなったけど油断はできない。

 人間とワームが決して相容れないように、ドラゴンとの友好的コミュニケーションなど成立するはずがない……なんて生前のつまらない偏見が今も残留している。

 ただ、本来ならもっと早く豪快に、その強靭な爪を大地に刻むことができるでしょうに……人間の脆さを案じてか、やたら慎重に降りていく気配りは紳士そのもので好感を持たざるを得ない。

 本来なら血気盛んな多種族なんて警戒して当然だろうに、この強者が私の敵に回るような事態が考えられなくなる。


 ――戦うことしか知らない肉食動物が、不慣れながらも精一杯の配慮で私に尽くしてくれる。この空気感、この安心感を私はよく知っていた。

 

「あなた……まさか……」

 当然、ドラゴンは何も答えない。言語が違うからか、あるいは歩み寄り方が間違っているのかもしれない。

 私たちはまだ繋がっていない。分かり合えていない。

 それでも私は無視されたことを不遜とは思わず、姿形のかけ離れた(よく似ている)大きな背中に彼の面影を重ねていた。

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