走馬灯(第二印象) Ⅰ

 ザンが正式に私の専属騎士となるための段取りは滞りなく進んだ。

 騎士団長の立場ながらその実、宰領と呼べるまでにツキウ国へ貢献してきたブラケイドなどは、私の決断を狂気と訝しんでいたけど別に構わない。

 ザンが王城に来るより前からその武勇を知る騎士も多くいた。コロシアムにて数多の剣闘士やワームを屠ってきた強者だと。たとえ腐臭のする奴隷であっても同じ剣士であれば認めざるを得ないみたい。

 彼を私の専属騎士とする旨を公表した際は上位層の人々を中心にやかましいほど驚かれた。過剰にも思えるリアクションが鬱陶しくて、敵対派閥を出し抜いた手応えなんて得られなかった。

 しかし、どれだけ腕を認められていようと彼は下位層の出身で、昨日まで奴隷剣闘士だったという境遇は払拭されない。

 ツキウ国の最上に位置する清廉な王城に不潔な血の匂いを撒き散らす戦闘狂は、身分格差の偏見により周囲から忌避されていった。

 多くの騎士が妹派に傾く中で彼を連れてきたことにより、まだ中立だった騎士たちも程なくして私のもとからいなくなっていった。

 奴隷剣闘士は外見だけの騎士たちより遥かに高潔な男子だと信じている。

 私の思想にも関心を持ち、ただそこにいるだけで別格と分かるザンへ怖れより憧れの念を強く抱いていた若い騎士も、結局は私たちから離れていった。


 まず、私が用意した契約書にサインをするところから専属騎士になる手続きは始まる。

 鍛冶師たちに彼専用の鎧を造らせ、完成次第それを身に纏わせて騎士たちの集う王の間へ移る。

 そこでブラケイドが語るツキウ国に尽くすことの誉れやら、騎士とはかくあるべしといった長話を聞き流した後、玉座の私から眼前で跪く彼へと歩み寄り、手の甲へ口づけをしてもらう。

 そして、あらかじめ預かっていた彼の愛剣を傍に控える専属メイドから受け取り、私から直々に彼へ返還することでようやく契約が成立する。

 やることは単純で、難しいことなど何もない。実際、トラブルは何も起きなかった。気が抜けたのは中年の説教くらいなもので、敵対する騎士たちからの妨害も特になかった。

 最も苦労したのは王の間にて儀式を済ませるよりも前の段階よ。

 閉鎖された環境で戦いに明け暮れるばかりの半生だったとはいえ、ザンがあれほどまでに教養の足りない常識知らずだとは思いもよらず……シセナは憔悴し、私すら柄じゃないツッコミを連発させられる羽目になるなんて想定外どころの騒ぎじゃなかった。

 契約を結ぶ際も、生まれて初めて男性の唇が自分の肌に触れる経験をしたというのに、当時の波乱が呼び起こされるせいで平静を装うのに苦労したわ……。


 ツキウ国で生きていくと、雨に濡れることなんて一々気にしていられなくなる。

 女王の私でさえ城に帰ってすぐお湯に浸かる習慣はなく、自室で着替えを済ませてからシセナが用意してくれたホットティーで体を温める程度で済ませている。

 ただし、それはいつでも体を綺麗にすることができる環境が整っているからこその余裕であり、彼の場合は血と汗の臭いが酷くて優雅にティータイムとはいかなかった。いかせなかった。

 人間に管理された方が健全でいられることを知らない野生の獣。

 私について来ないなら奴隷剣闘士から戦力を補強すると妹派の面々にも伝わった以上、彼を私の部屋で匿う必要もないのだけど、城内を好きに闊歩させては私の品格まで損なわれてしまう気がした。

 剣闘士が台頭する時代を創ったとしても、体臭の酷い男が認められることなどは決してないはず。それは私も嫌過ぎる。その革命の中心に姉姫・アリリヤ在り!と語り継がれるのも、ボサボサの長髪を真似する子供たちが街に溢れる未来も嫌過ぎる……。

「お風呂を準備させたから入ってきなさい。こびり付いた臭いを一気に落とすつもりでね」

 浴室から戻ってきたメイドのシセナと視線を交わし、壁際で偉そうに腕を組む男にそれを伝えた。

 もうこの時点で採用取り消しモノだけど……世間知らずなのだから仕方ないと、頭に血が昇りながらも何とか堪えた。

「ご案内します。こちらへ」

「ああ」

 私と違ってシセナは流石の振る舞い。

 コロシアムへ赴くことを唐突に伝えた時みたく、慌てふためくことも珍しくない女性だけど、一度決めたことは最後まで全うする忠義の持ち主でもある。私が奴隷剣闘士を専属騎士として採用することがどれだけ本気だったのかを理解して以降は覚悟を決めたらしい。

 シセナとザンが上手く付き合っていけるのかという一抹の不安は杞憂だった。信念ある者同士、尽くす相手が共通していれば諍いは起こらないみたいね。

 今頃、脱衣所と浴室にそれぞれ設置されている物や私のNGなどをシセナが細かく説明し、ザンの方は格差に戸惑いながらも何とか受け入れている最中に違いない。

 

「ザ、ザン様?あああ、あの!まだ私が……ぁ……アリリヤ様ぁぁぁぁぁ!」


 ……なんて、楽観していた私が甘かった。

 脱衣所の中から女の悲鳴が聞こえた。彼女の切羽詰まった叫び声なんて初めて……ではないけど、非常事態に私の体は素早く反応し、豪快に脱衣所の扉を開いた。

「何事!シセナ!」

 そこには腰を抜かしながら両手で顔を覆うメイドの姿があった。

 彼女の様子からして間違いない。恐れていた事態の発生に震撼する。男女二人だけの密室。何が起きたかと言えばそれはもう……。

「本性を現したわね剣闘士!随分良い身分になったじゃない!」

 やはり飢えた獣……。

 これまでの厳かな佇まいも達観したセリフも全てが撒きエサに過ぎず、隙あらば獲物を捕食するワームの如き仇敵を相手に、私も臆さず食って掛かった。

 しかし、肝心の獣はというと……。

「よく分からんが、すまん。何が悪かったか教えてほしい。ここは君たちの住処だろう?君たちに従う」

 ……食事も儘ならなかっただろうに、どのような鍛錬を積めばそれだけの筋肉美になるのか。微塵も贅肉のないマッスルが上着を脱ぎ捨て、下半身のセーフティーを解除する直前のところで私たちの様子に気付いて静止していた。

「本当に一から躾ないと駄目みたいね……」

「ああ、そうか。普通は女性相手なら配慮すべきだったか」

 ……あら。どうやら私たちのリアクションだけで罪状が読めたらしい。優秀、優秀。

 厳か?達観?それらは彼が本領にいる間に限ることで、いざ慣れない世界に足を踏み入れればこのように無知な幼児と化す。それを可愛いと思うには、ガタイを除いても髭面がマイナスだった。

「ここに来る途中、どうしても髪は切らないと言っていたわね。それなら髭の方は遠慮なくいかせてもらうわよ」

「その話か。俺は別にこのままでも構わないが、そんなに嫌なのか?」

「口答えしない。罪人の意見なんて受け付けられないことさえも教え込まないと分からないのかしら?」

「むぅ……」

 はい勝った。何よ、こっちの領域ならいくらでも白星を稼げるじゃない。断髪は諦めてあげるけど、それ以外のところは遠慮なくツッコませてもらうとするわ。

 ドレッサーから取り出したカミソリを男の足元に放り捨て、失神寸前のシセナに肩を貸して脱衣所を出る。

 結局、説明はないのかと。裸のまま女子二人を見据えて立つ男を蔑みながら豪快に扉を閉めた。

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