処刑台のフィナーレ Ⅰ

「アリリヤ!」

 処刑台より遠い地点。私の騎士が、私だけの名前を叫んだ。

 全く、躾が足りないというか……期待にはいつも応えてくれたのに素行だけは直らなかったというか……。

 いつもは個人名でなんて呼ばないくせに、公衆の面前で貴方に私の名前を叫ばれるのは恥ずかしい気持ちになるから止めてほしい。

「ザ、ン……」

 剣戟のハーモニーも気付けば聞こえなくなった。

 ただし、薪とアオザイが焼かれ、物質が弾けて消える音がうるさく聞こえるから私の聴覚がまだ機能しているのは確かだった。

 つまり決着がついたということでしょう。勝ったのね、ザン。さすが私の専属騎士だわ。


 ――黒騎士はなりふり構わず処刑台へ真っ直ぐ駆け出した。これまでの不退転の姿勢など微塵も窺えない慌てようで、道を塞ぐ騎士たちはその猛進にあっさり散った。

 白騎士はそれを追わなかった。役目を果たして充実した表情をこちらへ向けてきた自らの主君に舌打ちをして、その疾走を許した。

 彼らの決闘はまたしてもマナーの悪い連中の妨害によって阻まれた。ツキウ国最高のカードは中途半端な形で幕を閉じたのだ。


 当初の予定とは違う形だけど、火刑は確かに実行された。いえ、私としても苦手な騎士団長よりは妹に処断される方がまだマシだと思っていたからある意味これが正解なのかもしれない。

 だからこそ、この身を余すことなく焼き剥がし、他界へ運ばれる途中の私を見て涎を垂らしながら歓喜する中年の姿は見るに堪えない。妹には何とかあの男に翻弄されないようマイペースにその儚い一生を過ごしてほしいものだわ。

 不思議なことに自分を殺める仇への憎悪はなかった。それどころか死に至ることへの恐怖すら感じていない。ザンが助けに来てくれる前と比べて大分落ち着いている。

 その理由はきっと、救済の可能性が完全に断たれたからこそ最期を受け入れる決心がついたからかもしれない。

「――!――!」

 遥か遠くで私の騎士が何かを精一杯に叫んでいる。

 五感が機能を失くしていくのが実感で分かる。だから、彼が何を求めているのか上手く聞き取れなかった。

 代わりに、その悲鳴が先程より傍まで近づいてきているのは最後に残った直感で理解できた。おかげで過剰な熱さを帯びていた胸の炎が程良く温まった。

「――――!」

 それは紛れもなく彼の温もりに違いない。ワーム討伐を済ませた私の専属騎士が、いつも通り私の待つ玉座へと帰ってきてくれた。

 出来ることなら私も、いつも通り不敵に構えて彼の帰還報告を受けたいところだけど、それはもう叶わない。革命の日は訪れず、その時を目指して共に戦い抜いた過程こそが私たちの栄光の日々に他ならなかった。

 ごめんなさい、ザン。私は貴方と、貴方が信じた者たちとの誓いを果たせずここで退場する。この嘘つきな女をどうか許してほしい。

 あるいは、貴方が最期を迎えるその時まで私のことを恨み抜くというのも悪くないかもしれない。許されないからこそ、貴方の中で私は永遠に生き続けられるのだから。

 貴方という最高の男を侍らせておきながらこの始末。これでは眩い貴方の誇りをも貶す羽目に……。

 

「アリリヤァァァァァァァァ!」

「…………ぁ」

 

 愛する人の悲願は、炎に包まれる私の足元から聞こえた。彼がそこにいるおかげで私はようやく瞳に灯火を取り戻した。

「ザン……?」

 重く固まった首を無理に動かす必要もない。彼の姿は私の眼前にあった。私がまだ眠っていないと分かると、その堅物が安堵の表情を浮かべた。そんな顔、初めて見た。

「すぐに助ける!」

「剣を……」

「駄目だ。君まで斬る恐れがある。今はあまり冷静ではないからな」

 そういってザンは自らの愛剣を壇上に突き刺し、勢いを増す炎にも怯まずその逞しい両腕を火の海へと突っ込んだ。

 消火する術がないとはいえ、まさか自力で縄を解くつもりとは思わなかった。そういえば彼の本質はこういう感じだった。

 両手以外の結び目が全て前に来ているのが不幸中の幸いとはいえ、鎧で身を守っていても火傷は免れない。長引けば貴方も諸共に焼死しかねないわ。

 でも……そんなことより、これだけの火力を以てしても焼き尽くされない固く結ばれた縄を、力任せに解こうとする彼のゴリ押しぶりが可笑しくてつい口元が緩んだ。

 私のために男が命を費やしてくれているというのに、その必死さには何だか愛嬌すら感じた。そんな風に感じるのはこれが初めてだった。

 ザン……貴方そこまで……。

 私の背後にはイレイヤがまだいる。勇気を振り絞って松明をかざしたとはいえ、これ以上ザンを刺激するような真似は到底できないようで大人しい。あの子が私の知る臆病で繊細な妹のままなら、飛び散る火の粉すら怖ろしくて近づかないはずだもの。

 そう、だからイレイヤはもう何もしてこない。

 そして、あの子の専属騎士もザンの決死の覚悟を阻害することはない。敵勢力とはいえ、この状況において二人は信用できる。革命が成された際には二人も共に高みへ連れていくつもりだったから別に不思議はない。

 ……しかし、そうでない他の人たちには私たちの想いなど関係がない。

 私たちの信じた未来がまだ完全に閉ざされていないとしても、役者不足たちはお構いなしにこの輝く舞台を汚れた靴で踏み躙ってくるのだ。

「ザン!逃げて!」

 彼の背後……つまり、ザンを挟んで私の正面から多数の剣が突貫してくる。ブラケイドの号令で動いた騎士たちの一斉突撃だった。

 そんな脆い剣、ザンであれば一振りで薙ぎ払える。

 だけど、今のザンは燃える縄を引き千切るために剣を手放しているため余裕がない。

 それなら躱すか、剣を引き抜けばいい。そう考えるのも分かるけど、後者はもう間に合いそうになく、前者を選択するとその剣山が私に届いてしまうため論外となる。彼がそれをやるはずがない。

 よって……。

「ぐおおおっ!」

 必然的にこうなった。

 彼は燃える縄から一度手を放し、その図体がより大きく見えるように錯覚する大の字の体勢で全ての凶刃を受け止めた。私を庇うために。

 騎士たちもザンを討つにはこれが最後の好機だと判断したのか、決死の特攻だった。最高級の鉄で覆った黒騎士の鎧は、並の騎士たちが扱うブランドだけの剣たちにより砕かれ、強靭な肉体をも真っ直ぐに貫通していった。

「ザァァァン!」

「……おのれ!」

 忘れていたわけじゃない。ただ、最初から諦めていた。

 この国の騎士たちは『彼ら』とは違い、美学も矜持も無いということを。彼らの上司がいかに下賤であったとしても、その命令には黙して従う。意思を持たない空っぽの連中なのだった。

「あ……あぁぁ……」

 万全の状態ではあれば容易に一掃できる脆い剣山にザンの体は串刺しにされた。これではもう……。

 私のせいで、私以上に無惨な最期を迎えることとなった彼の無念に嗚咽した。

「お……おおお……おおおおおおお!」

 しかし、それでもなお不屈。

 背後から自身の体を貫いた数多の剣により回復不可の損害を受けても尚、彼はまだ絶命していなかった。彼は私の要求を遥かに上回る空前絶後の猛者だった。

「貴様ら……許さん!」

 あろうことか、ザンは上半身に剣が刺さったまま騎士たちとの交戦に臨むつもりでいた。騎士たちは常軌を逸した脅威に怯み、一斉に剣のグリップを手放してしまった。

「ザン……」

 大粒の汗を流しながら懸命に命を繋ぐ男に私は何もしてあげられない。別に今に限った話でもない。私の方は今まで一度たりとも彼の役に立ったことなどないのだから。

「アリリヤ……助けに、来た……」

 それでも、彼の方はまだ私の期待に応えようとしていた。

 かつての鋭い眼差しは度を越えて肉食動物の殺意に堕ちている。もう、彼は帰ってこない。

 目障りな雑兵を片付けるために動き出すバーサーカー。

 体に刺さる剣をそのままにして、愛剣を再び握るために真っ黒に焦げた腕を所在なくフラフラ伸ばしている。おそらくもう視力か、あるいは脳が機能していない。その手は空を掴むばかりで、彼の求めるものは彼が思うより遠い位置で主人の末路に涙を流していた。

 放っておいてもいずれは息絶えるだろう瀬戸際。もう並の騎士が相手でも碌に相対することさえ叶わないだろうから、せめて最後は好きにさせてあげてほしい。

 私の願いは遠くで呆れ果てているロスにだけは届くかもしれない。この際、彼にザンを送ってもらおうかと考えると……。

 そのロスが顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げているのが見えたので何事かと、重い頭をもう一度ザンに向き直すと……。


「裏切りの黒騎士!討ち取らせてもらう!」

 忘れていたし、諦めていたこと。

 本当に、相手にするだけ無駄だから記憶から抹消したかった下衆の長がザンの後ろを取り、横一閃の斬撃を首に繰り出した。

 死神の鎌にその身を八つ裂きにされてもなお折れなかった騎士の鑑へ、分不相応の脇役がトドメを刺してしまったのだ。

 

「…………あぁ」

 ザンの首筋から赤い飛沫が散る。最高の専属騎士が命を断たれる瞬間と、その幕を引く者の下手クソさに上手く反応できなかった。

 ブラケイドは今ので首を落とすつもりだったようだけど、慣れない左腕で振るった刃は半分しか通っておらず、男の顔はまだその体と繋がったままだった。

 しかし、トドメの一撃としては成立した。ザンは苦痛を堪えるような素振りさえなく、その場で膝をついて停止してしまった。

「ザンを……よくも……」

 敗れたこと自体は結果として認めるしかない。無論、私もすぐに彼の後を追うことが決定しているからこそ受け入れられるのだけど……。

 それはそれとして、決して許せないことがあった。

 ブラケイドやその配下たちにより命を散らされることも不服だが……そんなことさえどうでもよくなるほどに私の胸を焦がす抑え切れない怒りの要因は……!

「よくも……よくも彼の誇りを貶したなぁぁぁぁ!」

 ザンが決して譲らなかった大切なもの。私の専属騎士となっても尚、それだけは出来ないと断り通した誇りの証明。

 彼の信条の体現とも言える長い黒髪。

 どうして伸ばし続けていたのかは私も知らないけど、よりにもよって最も鬱陶しかった男の手でそれが断たれてしまっては平静でいられるはずがない。燃え盛る憤怒にもう歯止めが効かなくなっていた。

「殺す!殺すぞ!ブラケイド!貴様らも!必ず呪い殺してやる!全員!いや、一息に殺すことはしない!最大限の恐怖を植え付けてから……私たちを陥れたことを心の底から後悔させて、絶望させて、順に、丁寧に……諸共を呪い殺し尽くしてやるぅぅぅぅぅぅ!」

 雷鳴のような怒号でツキウ国を脅かす。五感も喉もとっくに終わっているはずなのに意外と出来るものね。

 背後で妹がブツブツと何かを呟いていた。騎士団長は涎を垂らして苦笑し、騎士たちも愚民も平等に私の豹変ぶりに恐れ慄いていた。若い騎士は泣きじゃくっていた。

 本能に任せて溜まっていたストレスを余すことなく吐き出した。

 これが最後になるから悔いが残らないように、出せる鬱憤は全て曝け出しておこうとしたところ……まるで蝋燭の火が消えるようにあっさりと熱が冷め、私は何も喋れなくなった。

 刻限が来た。

 私は既に全身を焼かれてその生を終えようとしているのか、それとも既に終えているのか……。現実の出来事について何も考えられなくなる深淵へと沈み落ちていった。

 だから最後に、私より先に雲海の向こうへ旅立ったザンを視界に残すことにした。

 初めて会った日のように前髪が乱れてどんな表情をしているのか分からないけど、今生がこれだけ酷い世界だったのなら、きっとその後には平穏と安寧が待っているに違いないわ。

 理不尽な運命に屈さず、主君への忠義を全うした貴方のことをきっと誰かが見ていたはずよ。

 

 ――だから、安心してお休みなさい。私だけの騎士。誇り高き逆境のザン。幸せになるべきだった不幸な男。

 そして、さようなら。もう二度と私みたいな悪い女には騙されないでね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る