処刑台のおひめさま
拘束された私と、悶絶する騎士団長の元に白い鎧の男が近づいてきた。
周囲の騎士たちは彼を責め立てることすらできず、ザンもその隙だらけの背中を捌くことはしなかった。
今よ!仕留めなさい!……そう指示したくても出来ない空気だった。
これだけ追い詰められた状態で、信頼する騎士にまたあの哀れなものを見る眼差しを向けられでもしたら……ギリギリで堪えている心が粉微塵になってしまいそうだから止めておいた。
「奴隷剣闘士が!このような真似をしてイレイヤ様が許すものか!」
「生憎だが己の信条に違うやり方は拒否すると伝えてある。貴様こそ、そのイレイヤサマが見ていないところで好き勝手にやっているようではないか」
私たち姉妹の専属騎士たるザンとロスは立場上、騎士団長の配下という扱いになる。
だからこそ、地位に固執するブラケイドと身分を顧みないロスは相性最悪。このように牙を剝かれる事態を怖れて剣闘士の出世を拒んでいたのかもしれない。
右腕に突き刺さった白騎士の重剣が勢い良く引き抜かれると、そこから多量の血が吹き出してより下品な悲鳴を上げた。
その慟哭に構わず役者たちが再び向き合う。
敵勢力の凶刃がすぐそこにあるというのにまるで脅威と思えない。彼が私に手を下すような事態はあり得ず、本来なら主君の危機に慌てる場面だというのに、ザンも彼のやり方を信用していた。
「ロス……」
「勘違いするな。俺はお前との決着をつけたいだけだ。今のお前はその娘がいる方が強く在れるのだろう?」
ある意味で私はこの喧嘩師が満足するためのエサという見方もできる。助けてもらったのはあくまでザンと好条件で戦えるからというだけで、彼は私個人には用がない。
「何故そう思う?万が一の話、彼女を失い荒れ狂った私の方がお前の好む熾烈な命の駆け引きができるかもしれんぞ?」
「ただ面白ければいいというわけではない。お前のことは少なくともこの場の誰よりも知っているつもりだ。俺の方が遅く剣闘士になったが、同じ境遇で生きてきたのは変わらないからな。万全で、充実した状態のお前と剣戟を交わしたいのだ」
あまりに清々しい魂の所在と戦いの意志。
これがザンと同じ領域にいて、真の強さを誇示できる猛者の姿勢。厳かなザンと比べてやや獰猛で自分勝手だけど……彼も私の望む強い国に必要な逸材に他ならない。
他の剣闘士を碌に吟味せず、ザンを獲得した時点で満足してしまったのは痛手だった。イレイヤに譲ってほしいと頼むには時計の針が進み過ぎている。
――ただ、計画を実行するその時までコロシアムを敬遠していたのは悪くない判断だったはずだけど……。
「見事だ、誇り高きロス。妹姫の騎士となってもその矜持は猛るままか」
「当然だ、不退転のザン。お前こそ、女にハマり腕が鈍っていないようで嬉しいぞ!」
「ちょっと!」
……ただ、先程からこの国の女王を弄るような文言が多いのは気になる。まるで私がザンをたぶらかしているように聞こえる冗談が納得いかず、文句の一つも言いたいところ。
それでも、真面目なザンとシセナの中に彼が加わったら、私の陣営は大分賑やかになりそうだなんて未来図を思い描けるくらいの余裕ができてきた。
絶対に認めたくないけど、ザンより先に彼を見つけていたら私はやられていたのかもしれない。
――それと、これは嫉妬から来る否定ではなく、あくまで長い間イレイヤと共に過ごしてきた私の経験則だけど……あの子とロスが主従関係として成立するのはとても難しいような……。
白騎士がその場で跳躍した。
空中から両断の構えを見せてザンの待つ地点を目掛けて一直線に落下してくる。マナーの悪い観客の妨害もあったけど、第2ラウンドはこうして幕を開けた。
相変わらず同じ人間とは思えない凄まじい闘気と敏捷性だが、ザンなら対応できる。それを躱した後の隙を突けば勝負を決められるのでないかと、命懸けの対人戦に臨んだことのない素人目にはそう映った。
「ザン、今よ!」
しかし、私の騎士はそこから一歩も動かずロスの豪快な一撃を素直に受け止めた。その衝撃が刃から全身へ伝い苦渋の表情を浮かべている。
好機だったはずなのにどうして?ザンはその重力に押されて膝を地につけた。むしろ彼の方が追い込まれる形になってしまった。
ロスの方は、着地と同時になおも身を半回転させて勢いを増す斬撃を容赦なく半身のザンにぶつけると……間一髪で上半身と下半身が分かれるのを免れる代わりに、黒い鎧が壇上から観衆の散らばる広場へ吹き飛ばされてしまった。
「あっ……」
思わぬ劣勢に言葉を失う。
それだけじゃない。彼の卓越した戦闘センスがまるで発揮されていないこの状況が理解できない。同格とはいえ、当のロスがザンのことを対等だと認めているというのに、一方的にやられただけの今の攻防は何だったのか。
「どうなってるの?ザンなら簡単に対処できたはずなのに……今の鈍い動きはなに?」
「鈍いのはアンタの方だろう、お嬢さん」
「何ですって!」
いつ処されてもおかしくない中、これ以上の不敬が許せずつい噛みついてしまった。
私自身はこの白騎士が無粋な真似などしないと確信しているから不安はない。むしろ、ブラケイドや他の騎士たちの方が未だに強気でいられる私に驚いていた。
「ザンはわざと俺の攻撃を受け止めたのさ。そうすると分かっていたから俺も後先考えずに思い切り突っ込んだ。形の上で俺はアンタを一度助けたわけだからな。その礼を『清算』するためだろう」
「それは貴方たちの矜持?」
「……みたいなものだ。アンタ、奴の主君として全然だな」
「……ッ」
ロスの指摘もまた図星だった。威勢よく挑んだ分だけ言い負かされた時の反動は大きく、安心し切っていた心がまたも揺らいだ。若さと理想を振りかざすばかりで中身の伴っていない者への正しい批判に挫けそうになる。
私は彼の在り方をただ曖昧に理想的だと称えるばかりで、非常時に彼がどのような行動を選択するのかを把握していない。
これまで何度もこの未熟者を助けてくれて、唯一人の仕えるべき主君だと認めてくれた偉大な彼のことを……事ここに至っても分かってあげられないでいた。
「なるほど。こっちも悲惨なものだ」
その眼差しの意味を私はよく知っている。
だからもう、何も言い返すことなどできず、これ以上この無能の相貌を誇り高い彼らに晒すことが堪えられなくなって俯くしかなかった。
落ち込む私を見て彼らが何を感じるかなんて考える余地もなく、鉄同士がぶつかる音が先程より遠くで鳴り響いていることにさえ興味が薄れていく。
――私は貴方が命を賭して守るほどの価値ある女でもないし、貴方の主君どころか隣に並ぶことさえ能わない飾りのお姫様だったという結論が出た。
根拠もなく救いを求めていた人々を蔑んでいた私の方こそ、結局は何の政策もなく、ただ誇り高く在れば何とかやっていけるなんて夢物語を記すつもりでいたのだから、処刑は当然の報いなのだと痛感する。
未来に期待していない若者が指導者になるなんて、傍から見たら確かに『哀れ』な話だわ。
ネガティブ思考は慢性的なものでそう珍しいことでもない。それでも、これまで誇示してきた綻びばかりのプライドが崩れて私の精神が深淵まで落ちていった……その時。
死神は待ちわびていたかのように、諦めた私の首へ大鎌を振り下ろした。
「…………は?」
低気圧、雨に打たれ続けた体は寒気を越えて熱を帯び始めていた。風邪の症状ならまず頭から汗を流して怠くなるのが普通のはずなのに、その異変は下部からやって来た。
俯く首はそのまま、私の足元がキラキラ輝き出した。
それがまだ見たことのない太陽の光であれば良かったのに、現実というものはどうしても私に厳しい事この上ない。
「おお!自ら手を下されるとは……」
憎きブラケイドが死人のような顔色のまま僥倖を得ていた。半信半疑の味方に腕を穿たれた苦痛と屈辱はもう過ぎ去ったことらしい。
ただ一つの決行により派閥の中心人物を瞬く間に本調子に戻せる存在など、このツキウ国には一人しかいない。それが私の背後に立っているのは明らかだけど、残念ながらこの格好では振り返って確かめることができない。
それでも、そこにいるのが誰かは分かりきっていることだから、その子が名乗るより先に私から答えてみせた。
「イレイヤ……貴女ね?」
「はい、アリリヤお姉様。悪魔に憑かれたお姉様を妹の私自らが裁きに来ました」
震える声で応じたのは、現在この世界で唯一血の繋がりがある実の妹だった。
平和主義の臆病な娘が空気を読まずに火刑を開始してしまったのは、先程まで傍に転がっていた松明がなくなっているのと……薪から両脚へ、腰へと順に、私の体をメラメラ焼き尽くさんとする業火が証明していた。
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