処刑台のグラディウス
ザンに吹き飛ばされた騎士たちが仲良く地面に転がっている。
ただし、誰一人として血を流す者はいなかった。彼が剣を抜かず、鞘に納めた状態で薙ぎ払ったから鎧が砕ける程度で済んでいた。
「斬り伏せるべきだったか?」
「別にいいわ。それより早く縄を解きなさい」
私の体は流血と皮膚の損傷により軽くなっていた。たとえ解放されても、自力で歩くことはもう不可能かもしれないと勘繰り心が弱る。
それでも、彼の主君に相応しい振る舞いをしなくてはならない観念に囚われて、あべこべのプライドを無理やり保つ。都合の悪い展開はもう念頭に置かないということ。
「……承知」
彼は私の無様を見て一度だけ目を見開いた。
私の繊細さを彼は熟知している。このような目に遭わされ、自力で涙を拭うことさえできないくせに虚勢を張っているのを察し、改めて哀れな娘だと思ったのかもしれない。
「これからどうする?」
周囲の騎士たちを眼力一つで牽制し、磔にされた私の元へ徐々に寄る専属騎士。
相手が誰であろうと油断しない性だというのは稽古の際に散々思い知ったけど、それにしても何だか警戒が過剰な気がする。彼が懸念しているのは、まさか……。
「一先ずは逃げるしかないでしょうね。可能なら城に戻ってシセナと薬品を引っ張りたいところだけど。ええ、貴方がいるなら籠城戦も悪くないかも……ザン!」
彼に対する信頼が揺らぐことはない。最強の男が合流したのならどのような苦境だって乗り越えられる決定がある。体温が熱いのか寒いのかもよく分からなくなってきた今でさえ、これ以上の危機は起こり得ないと確信している。それでも……!
「来たか!」
流石の彼も剣を抜かざるを得なかった。
彼と同じようにどこから跳躍してきたのか理解し難い運動能力。ザンがトルネードを巻き起こすなら、その白い鎧は雷のような迅速さで壇上を襲撃し、他の誰にも不可能な最強の騎士との拮抗を可能とした。
「ロス!」
「お前こそやはり来たな!孤高の剣闘士が女に肩入れするようになるとは!」
銀色の長髪を後ろで一本に結ぶツキウ国のもう一人の益荒男。始めから全開で猛威を振るい、ザンがそれを迎え撃つ!
幾度かの撃ち合い。お互いの鉄と鉄がぶつかる度に壇上が軋み、私を拘束する鉄柱が振動を起こす。
振るうどころか構えることも困難で、私なんか腰に携えるだけでも苦痛な重剣は同じデザイン。15歳の妹と同じくらいの全長を誇る獲物同士が、怪力の剣客たちにより火花を散乱させている。
無論、白騎士に加勢することなど誰にも出来るはずがなく、正にコロシアムの観衆と化した広場の人々などは、息を飲んでかつて剣闘士の頂にいた男たちの死闘に刮目していた。
轟く剣戟は上質なハーモニーのようで、それを奏でて踊る二人から誰も目を離せなかった。
もしやツキウ国史で最高のカードなのではないかというのは、コロシアムを知る一部の者だけが察すること。
とはいえ、順に立ち上がる騎士たちも自分より格上同士の決闘には夢中にならざるを得ない。
特に、元々の身分に構わず至高の強さと矜持を併せ持つザンのことを尊敬していたチャーゼは、さっき私に石を投げた子供と同じように燦々と目を輝かせていた。
「いいのか?妹姫から離れても」
「これはその妹姫サマからの命令でな。お前が来たら止めろ、処刑は必ず遂行させろ、だとよ」
「「なっ!」」
これまで片手で剣を振るっていた妹の専属騎士が初めて両手でグリップを握り、豪快な縦の両断を試みた。
それを正面から受け止めたザンは膝の重心が僅かにぶれてしまい、今こそ攻め時と判断したロスが全力の殺人剣を何度も繰り出してきた。
もっとも、彼の発言に驚いたのはザンではなく拘束されたままの私と、みっともなく尻もちをついている騎士団長だったのだけど……。
「妹姫様がそのようなことを?そうか……」
「私に似て非道を覚えたのね、イレイヤ。私の真似ばかりする子だったけど、性根まで似るとは思わなかったわ」
妹姫・イレイヤ。私が葬られた後、面目上はこのツキウ国の女王となる私の妹。
同じ親から生まれ、血を分けた姉妹でありながら私のように意欲的には動けず、弱者を捨てる采配など到底できそうにない……身分を問わず誰に対しても礼儀正しくて謙虚な15歳の少女。
昔は勉強の際も稽古の際も、狭い歩幅で慌ただしく私の後をついてくるような子だった。両親が亡くなって、私がこのようになってからは距離が離れてしまい、いつしかそれぞれの派閥に分かれる関係となった。
私とは正反対の善性の持ち主だから、国情が温和であればあの子が指導者でも良いのかもしれないけど、今の情勢ではその能天気ぶりは通用しないと見ている。そも、お父様とお母様がいない以上は自動的に私が代表となるため、妹は正しく日の目を浴びることはなかった。
そんな妹が、自分を陰で操るブラケイドでさえ知らないうちに自分だけの専属騎士をこの場へ送りこむまで私の死を渇望するようになったらしい。
ザンと同じ元剣闘士の男を侍らせたのもブラケイドの反対を押し切っての決断らしいから、あの子が変貌したのはつい最近のことなのかもしれない。
……結局、私が死んだ後も野心家たちの騙し合い・足の引っ張り合いは続くみたいね。ストレスを増すばかりの停滞した国の未来が容易に想像できて、つい左側の目蓋も閉じたくなった。
「ザン!早く片付けなさい!」
唯一の味方に発破をかける。
妹と共に城に籠っていると聞いた強敵が乱入してきた以上、勝算が狂い始めてしまい動揺を隠せない。ザンが自分と同格の敵に足止めされている現状は非常にまずい。
既に態勢を立て直している騎士たちを横目に、足元に敷かれた薪のすぐ隣に転がる松明の火が視界から離れず、この身はまだ死の淵に晒されているのだと痛感した。死神はまだ私の傍にいる。
「今のうちに!」
私が余計に煽ったせいでブラケイドが覚醒してしまった。もういい歳だろうに、年下・身分下の騎士たちには頼らず、自ら松明を取りに走り出した。
部下ばかりに仕事を任せない姿勢には好感が持てるけど、たとえ天地がひっくり返っても私たちが協力する展開はあり得ないと分かるほどに、彼には潔さが欠けていた。
「どこまでも目障りな……」
一度はザンが間に合わせてくれたというのに、また貴方なの?
何が何でもこの場で私を始末したい騎士団長は再び人外の形相を浮かべて松明を求める。
今回はどうしようもない。ザンはロスに阻まれてもう間に合わない。そこから剣を放ってブラケイドを止めたとしても、その隙に斬り伏せられてしまう。
だから、そう何度も奇跡は続かないと諦めて瞳を潤ませた。その時だった……!
「ぎゃああああああああああああ!」
広場に悲鳴が木霊した。今日、この場において最も品のない不良の楽器。
その叫びは勿論、中年の騎士団長から発せられたもの。
私が苦肉の策だと却下した剣の投擲が為され、松明を掴むはずだった右腕の鎧に剣が突き刺さっていた。これでもう彼は碌に剣を振るうことが出来なくなった。
それは同時にザンが無防備な状態になったことを意味する。私はひび割れた楽器に構わず、崖の淵に立たされた彼の名を叫んだ。
「ザン!……え?」
しかし、私の心配は無用だった。彼の手には放たれたはずの重剣が今も握られているのだから。
珍しく驚いた顔をしているザンの目線を追うと、私もようやく事態の異常さに思考が辿り着いた。
「ロス!何のつもりだ!貴様も狂ったか!」
私の足元で狼狽えるものについてはただ鬱陶しいと感じるばかりでそれ以上の関心はない。
それより今は、私の処断を望む一員だったはずの元剣闘士が上司にあたる騎士団長に牙を剥き、ザンの間合いに立ったまま自身の獲物を手放した理由が気になって仕方がなかった。
「喚くな下郎。姉姫サマを裁くのはこっちの決着がついてからにしろ」
中位層の広場に集った誰もが予想外の展開に呆然としている。血迷ったとしか思えない、新たな女王の専属騎士が取った行動をコロシアムの観衆は黙って見届けるしかなかった。
この光景はつまり、彼もまたザンと同様……目的から遠回りをしてでも自らの矜持を全うする誇り高い英雄だったことを意味している。
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