走馬灯(第一印象) Ⅱ
「待ちなさい、貴方」
すれ違い様に声を掛けた。その鋭い眼光で睨まれると、ワームに捕食される騎士の末路が連想されて息を呑んだ。
そうはならないだろうけど、もし私と彼が試合をすればこちらの首が一瞬で吹き飛ぶ結果は目に見えている。
母が亡くなり、世間を知るようになった頃から、守られるだけのお姫様でい続けることを恥じて鍛錬を積んできた。
それでも、先程のような本気の殺し合いを何度も繰り返してきた彼の剣と比べたら私の剣はあまりにも軽い。
私の方が目上だから優位に立てるですって?それは違う。
強い方が偉い。そういう時代を創ると決めた。
――だからこそ私には彼しかいないと直感した。
「貴方、何のために戦っているの?奴隷剣闘士に未来なんてないでしょう?未来がないのに戦う意味ってあるの?」
「……」
稚拙な聞き方をした。それでも真理のはず。
彼にはこの面接を通過してほしいから一味違う回答を期待したのだけど、返事はなく、僅かな機微も窺えない。
シセナは私のやり方を知っているから身を強張らせるだけで済んでいる。対して騎士たちは、よりにもよってこの男を選ぶつもりなのかと絶句していた。
「ちょっと、聞いてるの?」
あまりにも沈黙が長いためつい苛立ち、その強面を睨み返す。
これだけやっても彼の方は私に興味を示さず、そのまま立ち去ろうとするものだからつい声を荒げてしまった。
「ま、待ちなさい!どういうつもり!」
私がこの国の最高位に立つ存在だと知らず、コロシアムに迷い込んだ町娘がちょっかいを出してきたと勘違いしているの?
これほど他者から相手にされないのは生まれて初めてのことなので、思わず涙腺が緩んだところ、彼は大きな溜め息を吐いてから仕方ないようにこちらを振り返った。
「御託はいい。俺の意思を君に教えてどうなる?疾く要件だけ言え」
「なっ!」
何なのこの不遜ぶりは!私がこの国の女王だと知らないのかしら!まさか本当にコロシアムに迷い込んだ町娘だとでも思ってるのかしら!
格下のほこり臭い異性に散々な扱いをされて頭に血が昇ってしまう。スマートに交渉(拉致)するつもりだったけど、ここが我慢の限界だった。
「貴方をスカウトしに来たのよ!貴方はもうここで戦わなくていい!私だけの騎士として、私が創る真に誇り高い国の象徴になりなさい!」
「……なんだと?」
私がこのように取り乱す様を初めて目の当たりにした騎士たちが目を丸くしているが、肝心の彼は私の発言が気になった様子で、眉間の皺をより深くしながら私の目の前まで戻ってきた。
その威圧感に不覚にも後ずさってしまった。……あれ?これ、彼の携える重剣の間合いじゃない?
「……何よ?」
「君は女王なのだろう?国の色を変えるつもりでいるのか?」
彼は私の身分を知っていた。コロシアムの地下に監禁される生活でも情報は流れてくるものらしい。
斬撃が飛んでこなかった代わりに投げられた疑問は私の望むところでもあった。
まだ彼を獲得する段階までは進んでいないけど、少なくとも私の考えに興味があると分かっただけでその見込みは十分あると分かった。後は私がいかに彼に相応しい主君の振る舞いができるかどうかね。
「そうよ。何の根拠もアイデアもなく、未来に光があると信じて待ち続けるだけの現状では近いうちに必ず破滅するわ。国が沈没するより先に国民の心が溺死するの。リスクを恐れる者ほど危機感が足りず、想定外の出来事に慌てふためき、勝手にネガティブになっていくものだから。
これからは優れた力と精神性を併せ持つ真に誇り高い強者だけが脚光を浴びる時代に変わる。私たちで変えていく。止まない雨による衰弱も、ワームの強襲も関係ない。強い人はどのような情勢でも強く在れる。
残酷な運命を乗り越えて、充実した生涯だったと満足して逝けるのは、そういう誇り高い人だけに限ると思わない?」
……要するに、救世主など現れないから現実を受け入れて忍耐強く生きていこうということ。
平和主義の寝ぼけた人たちには届かなかったこの想いも、奴隷剣闘士などという理不尽にその身を落とされた彼になら届くと信じて告白してみた。
「……俺には政治など分からない。君と違ってコロシアムの外を知らない。教養がない。物心がつく頃にはコロシアムの地下で訓練を強制され、ずっとこのように戦い続けてきた。だから、君が今喋ったこともその本意までは理解できなかったはず。それに……」
彼は父性にも近い温かな眼差しで静かに私の話を聞き、それに答えてくれた。
男なんて興味を引くことさえ叶えばこっちのものよ。私と彼が同調することだって、始めから確信があるからここまで手間をかけたのだから。
「それに?」
だけど、お互いの条件が合致しながらも……私と彼では見て、触れてきたものに致命的なまでの差異があることを失念していた。
「君が哀れでならない。噂を耳にしただけだが、君はまだ二十歳にもなっていないのだろう?そんな若い娘が国の責任を負わされて、俺のようなドブネズミ同然の底辺にまで縋らなければならないところまで追い詰められているのがひたすらに不憫だと思った。本当に酷い世界だな」
私も貴方も酷い世界に生まれてきてしまった。そんなことは今更どうでもよかった。
それよりも、本来なら私が格下の貴方に同情し、その反応を愉しむべきこの場面で、まさか私の方が同情されるなんて納得がいかなかった。
パンッ!と、渇いた音が響く。観衆にも聞こえるくらいのボリュームだったはず。
急激に胸が苦しくなり、顔が燃えるように熱くなったことに気付く頃、私は彼の頬を思い切り叩いていた。
その次に背後ではドサッ!という音が控えめに鳴った。シセナが尻もちを着いたのね。体を張るつもりだった彼女も、私たちの間に割って入ることは出来なかった。
「……私が哀れですって?」
「ああ。誇り高いとよく言っていたが、肝心の君にはそれが欠けているように見える」
「……は」
反撃してこないのならもう一発お見舞いしてあげようかと思ったけど、何とか拳を強く握って堪えた。戦う気のない強い男を弱い女が一方的に虐めても余計に哀れになるだけだから……。
根拠はなくとも彼の指摘は的を射ていると思う。図星だからこんなに呼吸が荒れて、尊厳を崩されたような屈辱感に苛まれているのだから。
「気に入ったわ。やっぱり貴方がいい。名前を教えてくださる?」
だからこそ、面接の合否は決した。
騎士団の精鋭を秒殺する腕と、私を相手にこれだけ言えるその不遜さは、理不尽な運命に屈してこなかった我の強さ故だと解釈してもいいはず。間違いなく彼こそが私の国に必要な騎士の器に他ならない。
「俺は……ザン」
「そう。知っているみたいだけど、私はアリリヤよ。じゃあ、ザン。早速ついて来てもらえるかしら?」
「待て。俺は君に従うとは一言も言っていない。それに、皆を置いて俺だけが出世するわけには……」
「細かい話は後回しよ。それより先にやることがあるでしょう?」
「なに?」
無理やりなのは承知だけど、長引くと無断でシセナと騎士たちを侍らせたことが融通の利かない大人たちにバレてしまう。奴隷から解放してあげると言えば簡単についてくるものとばかり思っていたからこれほど手間取るのは予想外だった。
「体を清潔にして身だしなみを整えなさい。私の隣に立つのだから、そんな容姿のままでは私の品格にも悪影響だわ」
「勝手に話を進めるな!俺は――」
「『俺』じゃなくて、一人称は『私』でしょ!……ふふ!」
穢れ知らずの未熟な細腕で、ベトベトする屈強な腕を引っ張ってコロシアムを出る。
簡単に振り払えるはずなのに、彼は私を裏切ることなく……やがては黙してついて来てくれた。
それが1カ月前の出来事。姉姫・アリリヤと、その専属騎士となるザンの出会いの記憶。
正式に契約を結ぶ際、彼は私にある条件を提示してきた。その条件は私の狙いと通じていたから快く了承した。
その後、彼は段階を踏んで私好みの格好となり、コロシアムから解き放たれたことで自動的にツキウ国最強の騎士に成り上がった。
革命の準備は順調に進み、妹派……もといブラケイドたち有権者が辛うじて維持してきた軟弱な時代に終止符を打つXデーがすぐそこまで近づいてきていた。
……かつてはその確信を持っていた。
だからこそ、革命を起こせず処刑台送りにされる日の方が先に来てしまうなんて酷過ぎる。
ワーム討伐に出たザンの帰還を玉座でのんびり待っていたところを包囲された時の私の慌てぶりは、客観的に見てあまりにも滑稽だったはずよ。
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