走馬灯(第一印象) Ⅰ

 母は物心がつく前に他界していた。父はつい先日、何者かの手により寝室で殺害された。

 事件の真相は不明のままだが、おそらくあの陰気な騎士団長が裏で糸を引いているに違いないと見ている。

 打開策なしの八方塞がりな国情であっても国の象徴となり、民衆のヘイトを受け持ち、調整できる存在が必要だということを教育係のマキュア先生から教わった。

 王位が空いている以上、私に白羽の矢が立つのは分かっていたことだから、誰かに頼まれる前に自ら率先して女王を名乗るようにした。

 私がその決断をした時、マキュア先生と専属メイドのシセナがやるせないように憐れむ表情をしていたのを鮮明に覚えている。

 暗雲を払い、かつての眩い繫栄国を取り戻す夢物語などに憧れはなく、私は単に強い国を創りたかった。

 剣の腕に自信があればいいわけではない。生まれつきの富や名声に恵まれた権力者であればいいわけではない。たとえ優れた長所があったとしても、中身が空っぽであれば私と共に歩む資格は与えられない。

 私が創りたいのは、ツキウ国を蝕む外敵を悉く薙ぎ払う力と、その実力に見合う不屈の精神を兼ね揃えた真なる猛者が台頭できる時代。

 算段も無しにこの腐敗した国を復興させようとするのではなく、どれほど苦難な環境でも不退転の姿勢で誇りを全うできる強靭な男たちを揃えたいと思った。

 だから、その条件に当てはまらない者と、私の方針が理解できない者は、貧富を問わず近づいてこなくなった。刃を向けてこない限り私もそれを咎めることもしなかった。後でまとめて一掃すればいいのだから。

 私につく姉派と呼ばれる極少数の精鋭と、相対する妹派なる多勢の派閥が生まれたのも古い話ではない。

 もっとも、妹派を騙る者たちの一体どれほどが妹に心からの忠誠を誓っているのかは対岸にいる私でも見当がつく。あの子は元々、人の上に立つより隣同士で寄り添う方が向いているから……。


 正式に女王となった後で私の方針を上位層の人間に伝え、中位層・下位層へも瞬く間に話が広がっていく頃……私はシセナと、当時まだ派を決めきれずにいた二人の騎士を連れて中位層を訪れていた。

 今に思えば、私の陣営が不足していることを国中にばらして「姉姫は口だけで慕われていない」と悟らせる失態だった。脇の甘さを自ら晒していたことに当時は気付けなかった。

 今日の目的は中位層の広場に隣接しているコロシアムにあった。

 かつてはツキウ国が誇る一番の名所だった精工な闘技場。奴隷の剣闘士たちが命をかけて殺し合う祭りが催されており、蓄積された日々の鬱憤を晴らしたい民衆にとっては薬物に等しいスリルを体感できる痛快な見世物となっている。

 大きな円形の戦場を収納するより大きなドーナツ型の観客席で囲った構造。全盛期には遠く及ばないが、興行として成立する程度の集客力は今でも維持されている。

 私たちは特別に剣闘士が入退場するためのゲートから観戦している。

 雨を避けられるだけでなく、血風を肌で感じられる特等席だけど……その分、命の保証が約束されない危険な場所。ただ、時には捕獲したワームを剣闘士に狩らせる酔狂もやるらしく、ゲートに張られた鉄格子は堅牢だった。

 旧態依然の呑気なツキウ国内とは思えない狂気の業界。

 妹は怖ろしくて中位層にさえ来ようとしないけど、その気持ちはよく分かる。私もコロシアム中に染み付いた血生臭さと観衆の獣面には偏見があった。

 それでも、私の求める条件に合った猛者を発掘するにはコロシアムが最適だと思い城を発った。

 そして、その判断は間違っていなかったと答えがすぐに出た。

 今まさに始まったばかりの試合は、違反行為により剣闘士堕ちした元騎士団員と下位層生まれという黒いマントを纏った奴隷剣闘士の一騎打ち。好カードだと言う声が聞こえたけど、それは見当違いね。

 前者は国内でも名の知れた精鋭で、ワーム討伐の実績も十分だから私も一目置いていた。名前は忘れたけど、彼の剣捌きには惹かれるものがあり稽古で真似をしたこともあるほど。

 しかし、女癖が最低で、身分を弁えず上位層の貴婦人に手を出してしまったことで剣闘士に落ちぶれる羽目になったケダモノでもある。私や妹にも手を出すつもりだったと、審問の際に本人の口から直接聞いたわ……。

 それでも、もし私が早く王座に着いていれば無罪放免にして配下に置いても良かったと思えるほど、彼は優れた剣術と美しい肉体を兼ねた私好みの男だった。

 対戦相手の力量なんて知らないけど、彼を凌ぐ存在などそうはいないはず。

 彼こそが私の専属騎士の最有力候補なのだから、勝負の結果も目に見えている。だから……。

「……なんですって?」

 開始から一分も経たないうちにその美丈夫が、得体の知れない黒衣の男に呆気なく斬り伏せられて命を散らすなど想定できるはずもなく、つい隣に立つメイドと同じタイミングでお互いの顔を見合った。

 目の前で起きた想定外をすぐに受け入れることはできなかった。

 しかし、この結果に驚愕しているのは上位層から来た私たちだけで……コロシアムに集った観衆は当然の結果だと、仰天よりも安心の獲得に歓喜する者ばかりで更について行けない。

 万来の喝采は散り去った花ではなく、それに応える素振りも見せない不愛想な貧乏人へと向けられた。

 ツキウ国の騎士団は誰もが上位層か中位層の生まれで、恵まれた環境下ですくすくと成長した男子たちのみで構成されている。悪く言えば温室育ちで、裕福なら誰でもなれる選ばれざる者たち。

 

 ――下位層生まれはどれだけ強くて高潔でも騎士にはなれない。この生まれつきのハンディキャップが私はずっと嫌いだった。

 

 そんな彼らの筆頭が、下位層の生まれで……きっと両親に売られて奴隷剣闘士にさせられたはずの男にあえなく敗れる展開は私からしても痛快で、コロシアムの喝采を独占してもなお動じない彼の厳かな姿勢にいつの間にか釘付けになっていた。

 私はその男のことをまだ知らない。このツキウ国で最強は彼なのかもしれないというデータしか手元にない。

 筋肉隆々で、身長が180を軽く越えているのは遠くからでも分かる。悪くない。

 ただ、腰まで伸びたボサボサの黒髪と、ナイフで邪魔な分だけを適当に剃る習慣が身に付いていそうな髭面はいただけない。清潔な方が良いに決まっている。

 それでも……生まれや環境に挫けず、格上相手でも当然のように勝利を収め、驕らない。そんな男の姿に多くの人類が高揚し、憧れの眼差しを向けているこの状況は美しいとさえ感じた。

 マキュア先生から教わった通りなら、熱狂する舞台の中心に立つ彼こそが英雄と呼ばれる時代の主役なのではないかしら。私が欲してやまない誇り高き猛者こそ正に……。

「アリリヤ様……アリリヤ様!」

「うん?どうしたの、シセナ?」

 黒衣の男を見つめたまま硬直していた私をシセナが案じてくれた。

 誰もが妹派にまわる中でただ一人、最後まで私に従うと言ってくれた専属のメイド。このような場所でもいつも通りツキウ国伝統のエプロンドレスを着用している。心配性で過保護なものだからよく言い合いになるけど、彼女のことを嫌いになるはずがない。

「いえ、気分を害されたのではないかと……。これほど物騒な場所はアリリヤ様には刺激が強過ぎるのでは……」

「確かにそうね。けど、気にしないで。ワーム討伐に比べれば安全なくらいよ。それに、物騒なことになるのはこれからだもの」

「それは……」

 役目を終えた黒衣の男が退場する。

 鬼気迫る険しい顔が常の益荒男。私たちの方へ迫る彼を警戒して同伴の騎士たちが私の前に立った。そういえば、彼ら奴隷剣闘士にとって私は暴君に他ならなかったわね。

「アリリヤ様!」

 シセナも素早く反応した。戦いの心得すらないくせに、体を張って私を守るつもりらしい。

 この子のそういう献身は気に入っているけど、あなたたちが想像する展開には決してならない。彼の眼差しが私に向いていないことからそれは明らかだった。

「大丈夫よシセナ。だって……」

 彼は私のことなど眼中にないのだから。

 これ以上ない好機を逃すわけにはいかない私としては、その態度を無礼に思いながらもこちらからアプローチを仕掛けるしかなかった。

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