処刑台の魔女

 隙のない敵の配置と身動きの取れない私の体。

 後方の民衆なんかは半ば喧騒に流されて集っただけの呆けた顔をした者ばかりだけど、前列に迫るほど私へ向ける怒りが熱を増しているのは明らかだった。

 顔を真っ赤にした巨漢が石を握る手に力を込めたのが目に留まり、思わず口に溜まった唾を呑んだ。

「ふ……うふふふ……」

 ここまでね。あまりにも為す術がないため、パニックにも放心状態にも陥らない。その代わりに唇が震えて笑いが漏れた。

 こういう展開もイメージはしたけど、いざそうなってみると体は正直に怖れを露わにするというもの。もう天候を嘆く余裕もなく、冷たい雨のせいで思考が冴える自分の頭が憎かった。

 しかし、このような状況下でも笑っていられる私の態度が皆には不愉快だったようで、誰もが怖ろしいものを目の当たりにしたように顔を強張らせた後、より苛烈さを強めて怨嗟の言葉を吐き出した。

「「「殺せ!殺せ!死ね!殺させろ!悪逆なる姉姫はここで捨て去り、善光なる妹姫と共に我々はやり直すのだ!」」」

 品性のないカエルさんたちが罵詈雑言の大合唱。碌な教育を受けず大人になってしまった者たちの末路には不満よりも同情が勝った。

 皆が同じ顔色で主演の私に熱烈なコールを送るものだからつい手を振って応えたくなるけど……生憎、両手は縄できつく縛られているためそれは叶わない。

 やるせない思いは声音に変換され、広場に轟くほどの笑いが込み上げた。

「うふふふふ……あははは、あははははははははは!」

 まるで時間が止まったかのように一帯が静まり返ってしまった。思えば、これほど笑ったのは生まれて初めてかもしれない。

 生まれた時から最高位の身分を約束されていたとはいえ、私のこれまでの生涯は常に湿気に満ちた花のない日々だったのだから当然よね。

 今、世界で最も不幸な立場に置かれた人間はこの私だと言っても過言ではないはずなのに、私自身はこの時間が永遠に続いても構わないと思えるほどに充実した気分だった。

 狂っている……と、四肢を震わせながら呟いた最前列の雄カエルがそそる表情を浮かべている。それだけで胸が熱くなれる私はきっと、こういう悪役が適任だったのかもしれない。

 他のカエルさんたちはどんな顔をしているのかしらと順に窺おうとしたところ、これ以上エスカレートしては収拾がつかなくなると判断した騎士団長が狂乱にピリオドを打った。彼とは最後まで嚙み合わなかった。

「静粛にせよ!静粛にせよツキウ国の誇りたち!これより姉姫・アリリヤを火刑に処し、ツキウ国の未来に安寧がもたらされるよう願う儀式を執り行う!これは決して残酷な罰などではない。我らが再び日光を獲得するために必要な制裁なのだ!」

 好き勝手に言う騎士団長のブラケイドは、若い騎士のチャーゼと共に私を鉄柱に縛り付けた。

 この若者が私の専属騎士を慕っていることを承知の上でここに配置させたのだろうから陰険ね。

 騎士団長とはいえ、妹派の采配の全てを彼が決めているのだろうから、ここにいない妹はどこまで事態を知っているのやら。

「彼とシセナが今の貴方を見たら幻滅するでしょうね」

 そう言って私の体を鉄柱に縛る若い騎士を睨むと、彼は私と同じくらいの汗を吹き出しながら慌てて目を逸らした。確か私より1つ年上だったはずだけど、そのような反応はまるで健気な弟のように思えて愛らしい。

 ただ、目上の指示に逆らえない臆病さはいただけない。いかにも育ちの良いスマートな容姿も私の好みとは違う。貴方では永遠に彼の背中には届かないでしょうね。

「まず始めに『清算』を行う!代表者は前に並びたまえ!」

 ブラケイドの号令により、処刑台へ登壇するまであと三歩くらいといった地点に代表者とやらがズラリと並んだ。

 顔見知りもいれば、全く覚えのない者もいる。上位層で見かける面々ではないから、全員が共通して貧困層であることは間違いないはず。

 つまり彼らは、これまで私に虐げられてきた者たちの中で選抜された復讐者の代表ということだろう。

 ……くたびれた外見の母親に連れられた幼児まで共に参列し、穢れを知らない澄んだ瞳で磔にされた私を見つめている。

「火刑の前に、姉姫には民たちが受けてきた苦痛と苦難をその身で体感していただく。

 この者は恐怖政治を敷き、皆を更に虐げるつもりだった世紀の狂人であり鬼畜そのものだが……全ての元凶というわけでは断じてない。恨み、憎しみを受けたまま旅立つこともないだろう。

 我らが生まれるより前からこの国はこのようになっていたのだから、全責任がこの狂人にあるとは言い難い」

 いよいよその時が訪れたのだと実感して血の気が引く。死神の招きか、魔女裁判を良しとする民衆の流されやすさに対しての呆気か。

 ブラケイドの進行に一部から野次が飛んでいるけど、彼らのお気持ちを受容できるワーム並のキャパシティは今の私にはなかった。

 

「――では、石を与えられた者たちは姉姫・アリリヤのこれまでの献身に敬意と感謝を込めて――」

 

 雨に打たれる中でこのように身動きが取れず放置されては風邪を引いてしまうじゃない。

 その結果で私を案じる彼の顔色が拝めるなら悪い気もしないけど、薬の在庫が限られたこの国で体調を崩すのはいくら私でも一興とは思えないわ。

 死神から逃れるためか。外の出来事への感心を閉ざして彼の厳かな顔を夢想していると……。


「――御身へと石を放て!」

「……え?」


 だから、分かっていたくせに。

 視界から不景気な街並と民衆が消え去る代わりに、たくさんの石つぶてがこっちへ飛んでくるなんて……非情な現実を受け入れる準備が出来ないままでいた。

「「「殺せ!殺せ!火刑の前に殺してしまえ!」」」

 再度の怒号と共に執念とも取れるほどの想いを込めた殺傷武器が飛んでくる。

 予想以上の数と速度だった。前に出てきた代表者たちなど関係なく、誰もが石を隠し持っていたのだから。

「「「死ね!死ね!報いを受けろ!我々の怒りを思い知れ!死んでしまえ!」」」

「がっ!……おごっ!」

 これは想定外。石粒の投擲なんて所詮は火刑の前座に過ぎず、怖れる必要もないと侮っていた。

 だから、成人の男が全力で放ったものが頭や腹部に直撃すると視界が歪み、吐き気まで催された。アオザイは徐々に引き裂かれ、そこから血が滲み出てきた。

「はぁ!……あっ……うぅ……」

 一国の姫君が乱心した民衆に惨殺されようというのに、騎士たちは揃いも揃って曇った眼差しで私が破壊されていくのを傍観していた。そう、彼らは始めからそういう連中だった。

「「「――!――!――!――――!」」」

 ……いよいよ本当に何も聞き取れなくなってきた。下民たちの鬼気迫る表情で視界が埋め尽くされて気持ちが悪い。

 こんな穢れた世界なら目を閉じて過ごした方がマシね。そう閃いて両目を閉じようとすると、既に右目が機能していないことに気が付いた。

 あと、これまで神経質になって美しさを保ってきた私の身体が、こんな汚れた蛮族たちのせいで台無しにされるなんて許せないと……最も不満を感じたのが美容の点だということには私自身も驚いた。

「本当……私たちと違って美しくないわ……」

 おそらく今生で最後となる姉姫・アリリヤのほころびを、この暗い世界へ賜わせてあげたのと同じタイミング。

 母親に連れられて私の前に立った幼児が、変わらず瞳を輝かせたまま石を投げつけてくるのがぼんやり見えたところで私の意識は奈落へ沈んでいった。


 ――貴方、まだ来ないの?このまま一人きりで終わるなんて嫌だわ。

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