悪逆恋情・画竜点睛

壬生諦

処刑台の空

 手持ち無沙汰にも程があるこの状況。何となしに空を見上げてみると、グレー単色の雲海が一面に広がって無数の雨粒を落としてくるばかりで退屈がより増した。

 毎日よく飽きずに降り続けるものねって、意思の疎通が叶うなら言ってあげたい。

 髪色と同じエメラルドのリボンを腰に結んだ黒のドレスとも、ワーム討伐の際に着用する軽い武装とも違い、この死刑囚の格好は歩きにくい上に水を吸って重苦しい。

 外国でアオザイと呼ばれる衣装に酷似したデザインで、雨に濡れる前からボディラインがよく分かる様相は悪くないと思った。彼を誘惑するのに使えるかもしれないけど、それを試すことはもう叶わず、用途と処理法があまりにも最低で勿体ない。

 記念すべき今日でさえいつも通りの雨模様。風は弱く、私に次いで人類の仇敵であるワームたちの襲来は下位層のみで確認されただけ。

 ……決行するには今が絶好のタイミングね。

 今日が18歳の誕生日だというのに、私は未だに晴れた空というものを見たことがない。

 昔は太陽と呼ばれる眩い球体が空に在って、夜以外はずっと地上を照らし続けていたのが普通だったらしい。作物は良質に育ち、国中が健康な人々の活気で溢れていたのだとか。

 雨が降る日の方が少なかったなんて私には信じられるはずもなく、そう力説する教育係のマキュア先生に意見しては彼女を困らせるばかりだった。

 昔は良かったと嘆く大人たちも青い空なんて見たことがないから、生意気な私を𠮟ることなど出来るはずもなく、不明瞭な過去は半信半疑のまま言い伝えられていく。

 もう何百年と雨が降り続いているから、私が生まれる前から国内のあらゆる経済・産業が文字通り沈没し、私たち上位層を除いて民衆の体力は衰弱の一途を辿るばかり。

 活気なんてものは始めから無く、誰もが憔悴して未来に希望を持つことができずにいるのがこの『ツキウ国』の常だった。

 確認が取れない分これも不確かなことだけど、浸水しているのはツキウ国の下位層だけでなく、外の世界も同じ様なのではないかとされている。

 それは、この暗雲が国外の遠い空まで余すことなく伸びていることから筋は通る。

 かつて為された外交は、こちらが外に出られないから潰えたのではなく、他所の国も同じような国情を抱えて行き来が困難になっているからだと言われている。

 ワーム退治に赴く時以外は滅多に外出しない私は、上位層に構える王城で中立のマキュア先生や、かつて良好な関係だった大人たちから聞かされる情報だけで世の中を知った気になるしかなかった。

 雨が止まない理由の一つとして、空から飛来するワームの存在があげられる。

 大半が全長6メートル前後で、頭部が巨大な口のみで構成されている蛇の姿をした怪物。背中に生えた翼が機能するものと、しないものがいる。

 一口で人間を呑み込むことが可能。機動力も個体差があり、ほとんどがノロマのくせして捕食時だけは俊敏になるから憎たらしい。捕食されたら最後、強力な胃酸に体を溶かされて無惨な結末を迎えることは免れない。

 民衆は避けて当然。腕利きの騎士でさえ討伐に赴くのなら覚悟がいる。

 黒い体色もいやらしく、夜間に複数を相手取ることなど自殺行為に等しい。私の知る限りでそんな無茶が通用するのは彼と……つい先日、妹が契約を交わしたあの子の専属騎士くらいに限ると思う。

 臆病な妹と違って武芸に関心を持ち、前線に立つこともあった私にもワーム討伐の記録があるにはあるが……かろうじて一頭を始末した直後、未確認だったもう一頭に背後から奇襲を受けて上半身までを呑み込まれた過去があり、当時の身の毛がよだつ恐怖体験と敗北感は結局この時まで拭い去ることができなかった。

 私を傷付けず、ワームの肉だけを断つ彼の技量がなければ私の生涯はあそこで幕を閉じていたはずだし、それを思い出して安眠できない時などは彼を寝室に招く夜もあった。

 ツキウ国の人々の恨み・憎しみをこの華奢な背中に受けながら、それでも今日まで生き永らえたのは……彼が私を守り抜いてくれたからに他ならず、そんな彼をスカウトした私の目に狂いはなかったということだけは誰にも否定させない今生で一番の名采配だったと自負している。

 そんな彼が最後の舞台に不在なのはあんまりだけど、それもそのはず。私は今までずっと皆を陥れてきた代償に、皆から陥れられたのだから。

 下位層に飛来した複数の大型ワームの討伐に彼が出向いた後、玉座でその帰りを待っていた私は妹派の連中に捕まり、この処刑台へ連行されることとなった。

 どこにいても味方より敵の方が数が圧倒的なのは分かっていたけど、気に入っていたドレスを乱暴に剥がされてこんな恰好にさせられるとは思いもよらず、計画を企てた何者かの準備の良さには感心すらした。

 これはきっと、妹の提案ではないはず。私をハメる決断ができるほどあの子は強くないから、おそらくは……。

 

 中位層の中央広場。ツキウ国の中心地と言っていいこの場所に処刑台は設けられていた。

 磔に使う鉄の柱の前に座す私を騎士たちが包囲し、そこから見える景色には溢れるほどの民衆が押し寄せていた。

 同じ中位層とはいえ当然彼らはここにおらず、今この時もあの暗がりから逆転の瞬間を待ち焦がれているに違いないはず。

 私が処刑されることは事前に知らされていたのかしら?私が広場に現れる前から既に大勢の人が集まっていた。

 この後すぐに行われる予定の『清算』をフライングしてしまう行儀の悪い野蛮人すらいたものだから、仕方なく驚愕のリアクションを見せてあげた。顔は躱したけど、アオザイはもう泥で汚れている。

 誰もが私に向けて怒号を放つ。暴動が起こらないよう配置された妹派の騎士たちが牽制に努めている。

 見知った顔も何人かいる。ワーム退治の際には共闘したこともあった者さえ知らん顔で仕事に励んでいた。それが騎士のあるべき姿ではないことに気付かないのかしら。

 私の両隣には騎士団長のブラケイドと、私の専属騎士と知ってもなお彼のことを尊敬していた若い騎士のチャーゼが立っている。二人とは交流もあったけど、所詮は有象無象と同類だったわけね。

 私と彼らが死地で育んだはずの友情は全て偽りだったと分かり、私の側につく騎士が彼しかいなかった私自身のこれまでの経緯を恥じた。


 ――本当に惜しかった。あと少しでこの処刑台に立つのは私ではなくあなた達にできる計略があったというのに、それが実現されることもなくストーリーは幕を閉じるなんて……。

 誕生日がそのまま命日になるなんて最悪ね。

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