55話 神様と人間
オレたち文芸部は、各々が仕上げた短編小説を読み合っていた。
テーブルの真ん中に四つの小説が四部ずつ置かれて、手に取って問題がないかを確認するのだ。坂本と西園寺さんは、木曜日だからいないので、生粋の文芸部で読み合いをしている。なんだ生粋って……。
オレは、窓から差し込んだ夕陽が色付き始めた時に全員分を読み終えて、中央へ本を戻した。
三人分の短編小説を読み終えるたびに、仏壇の鈴を鳴らすように余韻に浸っていた。そして、その音が空気に浸透して止むと中央へまた違った物語へ手を伸ばした。
全員の熱量が伝わってくる、作品ばかりだった。
暁さんが描いた物語は、やはり心温まるもの。
二階堂は、ミステリー色の強いサスペンス。
やはり、人というのは、自分が描きたい物語の軸は変われないのだと思う。
ただ、神様が書いた『神様の日常』にはオレが知らない神様の姿があった。
いつもは、冷淡にラットのように扱うあの神様が……もしかしたら、こう生きているのでは? と考えさせられるほど。
内容はこうだった。
_________上から眺めるのは、退屈だろうか?
義務も無ければ、やり甲斐もなく、権利もないそんな人生は退屈である。
退屈は、神なのだ。
神という特権などない。
あるのは、人間の生き様を羨ましがりながら覗き込むだけ。
必死で踠き苦しみながら、それでも明日を生きる逞しいほどに輝く人間。
あぁ、なりたかった。
人間として生まれたかった。
眺めているここから飛び降りて、一緒な時を過ごしたい。
時間や空間などいう概念がある人間が羨ましい。
悩みや夢があるのがなんと羨ましいことか。
ずっと眠ったように横になりながら、彼らを見る事ぐらいしか、楽しむ娯楽がない。ここには、何もないのだ。喜怒哀楽も。傲慢や嫉妬、怒りや強欲、怠惰や暴食、色欲。
そんな色とりどりの自分から湧き出るものが一切ない。
なんと美しいのだろう、そして、なんと愚かなのだろう。
それがとても、愛おしいほどに、羨ましい。
この世界には、明日があるという。
明日で何かが変化するという、期待があるという。
昨日をバネにして、進む勇気があるという。
私には、わからない。
進むことも止まることも、後悔することもない、私には、理解できない。
選択と決断ができる人間が羨ましい。
この世界には、上手い言葉があるという。
隣の芝生は青い、と。
井の中の蛙大海を知らず、と。
大方、私はそれなのだろう。
彼らの明るい所ばかりに目が入って、苦しみや葛藤を軽視しているのかもしれない。ただ、それすら羨ましいのは、神ゆえだろう。
だから、一人の青年と話をした。
なぜ、君たちは前を歩くのか、と。
そしたら、彼は答えた。
あなたが前に明日があると、教えてくれているから、と。
明日が前なのだ、と。
可笑しなことを言う青年だと、私は笑った。
すると青年は、素敵な笑顔ですね、と言った。
そこで何かが私の中に芽生えた。
きっとそれは、本来私の中に生まれてはいけない感覚……感情……?
その日から、私は、その青年を見ていた。
無邪気に笑いながら周囲の人間を楽しませ、笑顔にさせる。
でも、家に帰って一人になれば、『ふぅ〜〜はぁーーー、疲れた』という。
なぜ、だろうと思った。
_______疲れるのに、何故するのだと。
一人になった彼は、ゲームやら漫画やらを黙々と楽しみ、笑みをこぼしていた。
笑顔の光度は誰かといる時の方が強いのに、一人で素で笑っている時の笑顔は心地よさそうだった。
わからないものだな、人間というのは。
芝生を見すぎていたからか、益々謎が深まっていく。
その青年は、死んだ。
余りにも唐突なことだった。
病に侵されていたのだ。
彼が人知れず、病院で亡くなった時、誰も周りには居なかった。
______なんだ、これは。
私は、そこから目を離して、全体を見た。
何事も無かったように、世界は回っていた。
明日に向けて、準備をしているのだ。
私は、病室へ戻り、霊暗室へと向かう。
銀色でできた部屋に収納された彼は、目を閉じたままだった。
今、彼はいるのに、彼がいないことに心が疼いた。
火葬場へと移動された彼は、親戚数人に囲まれながら棺桶に入れられていた。
髪の毛や髭が綺麗に整えられている。友人や恋人もいないただただ行われる儀式。
駆けつけた親戚は誰一人、彼の死を悲しまなかった。泣かなかった。
彼が周りを笑顔にさせていた人々もここに集まりもしなかった。
なんと、無情なのだろう。
なんと、最後に似つかわしくない最期なのだろう。
高齢の男性が、頷くと、彼を乗せた棺桶が台車に運ばれて火葬炉へと向かっていく。初めて見るものだった。
そして、知らない私でもわかる。
今から、彼は本当に死ぬのだ。
肉体も精神も魂もなくなるのだ。
ここで終わりなのだ。
高齢の男性は、火葬炉へと近づき、赤いボタンをゆっくりと押す。
ごーごーごごー。
ごーごごごーごごごごー。
ごごごごごーごごごーご。
バーナーで彼は焼かれているのだ。
その焼かれている最中、黒服で包まれた参列者は、両手を合わせていた。
途中、彼の呻き声が聞こえた気がすると、黒服は必死で両手を擦り合わせた。
______なんだ、これは。
そして、完全に焼き切られると、黒服達は散っていった。
後を少し追ってみると、食事をしにいっていた。
そこでは、一切彼の話など上がらずに、酒を飲んでははしゃいでいる。
私は、そこから離れた。
元の自分の居場所へと戻った。
その際に、彼の笑顔と『素敵な笑顔ですね』と言う言葉が聞こえた。
私の中だけに、彼はまだ潜んでいた。
そこに潜んだ彼は、嬉しそうにまた笑う。
______あんなにも、辛い最期だったのに。
______なぜ、君は笑うの?
そう問いかけた。
彼は、笑って答えた。
それが人間です、と。
私は、その時初めて、人間を知った。
神様の顔を見ることはできなかった。
むず痒い話だからだ。
仮にだ……オレが神様が神様だと知らずに読めば、いい作品だと思っただろう。だけど、オレは、それを書いたのが神様だと知っている。
「
「誰かの明日を生むために僕たちは生きている……そんなメッセージ性があるように感じたよ」
そんな素敵なメッセージを読者に届けているのならば、いい作品だ。
読み終わった後も、スルメを食べるみたいに、一文字一文字に意味を求めるだろう。
「明智さんは、どうでしたか? 神さんの作品は」
暁さんが部長らしく意見を聞く。
神様からの視線を感じたが、オレは言えなかった。
自分の本心の感想は。
『…………』
「良かったんじゃないか? この後、神様はどうするのだろうか? という考えを読者に委ねているのも良い終わり方だし。物語の発想も豊かで、新しく入る新入部員ものびのびと物語をかけるだろうし」
「…………嬉しい。みんなの感想もらえて」
ニヒッと笑いながら礼を述べる神様はオレには顔をむけていないのがわかった。
「明智さんの作品も良かったですよっ?!」
「あぁ、うん、ありがとう」オレの機微が少し暗かったのか、それを察して話題を褒める方へと促したのだろう。
「そうだね。僕も今回も明智君にやられたなと思ったよ。うん、いい作品だと思うし、見てくれた人の心を掴む作品だと思うよ」
素直に自分の作った作品は初めてで、不安だったが、最低限読める作品なのだと知り、安堵する。首尾一貫して自分で紡いだ物語だから、余計嬉しかった。
『……』
そんな作品をオレはもう一度手に取り、パラパラとめくった。
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