53話 三年分の

 私は、彼女の元へと戻った。

 どうなるかわからないのに、彼の言葉どおり実行しても良い未来が描けるとは限らないのに、私はまた彼女に向き合った。

 

「どうしたんですかっ、帰ってくださいよ。忘れ物したなら、速く持って帰ってくださいっ」

「……違うよ。私は、理央と話がしたいの」

 ミルク色の布団がぎゅっと理央の顔の近くへ集まる。

 篭った声が再び聞こえるのを待ったけど、何も返されないので私から歩み寄る。


「理央と初めて会った時のこと覚えてる?」

「…………おぼえてません」

「私が思いっきり抱きしめて、理央苦しそうだったよね。あれは、ちょ〜偶に出る天然の私なの。あの時は、意気のいい後輩についテンションが高くなって起きた。でも、私がした反応は予想どおりだった」

「…………知らないです。そんなこと」

「私の後についてくる後輩は何人か居たけど、理央はその中でも私に張り合ってきた。いつも隣にいてくれた。私は、そんな日々を生きていく中で理央のことを大切な人と思えるようになっていった。多分、生きてきて初めての関係だったように思う」

「…………嘘です」

「ううん、ほんと。私ってね、厳格な家に生まれた宿命みたいなのを自分で背負っていたんだ。だから、誰よりも一番に拘った。それが自分の生きる意味だった。だけどさ、生きてる瞬間を感じる時があった。その瞬間が理央と一緒に走っている時や一緒に笑う時、一緒に大の字で『つかれたぁ〜』って汗を流す時だった。疲れているのに、姉妹みたいに戯れあっている時間が本当に生きている心地がした」

「…………」

 自分で口にしながら、脳内で理央と過ごした濃密な時間が蘇る。

 奥深くへ閉まったオモチャ箱を開けると何色もの色んな形のしたおもちゃがそこにあった。

 まんまるで青色のボールは、ぴょんぴょんと地面を跳ねる。

 細長い黄色のミニカーは、シュンとカッコよく道を突っ走る。

 中に色々な飲み物がある自動販売機のおもちゃは、部活終わりに飲んだ日々を思い出させた。

 ぶさいくで茶色の狼の模型は、カタカタとミニカーを追い抜いて辿り着くとかたかたと肩を揺らす。

 

 一番を目指すことを忘れて、楽しんだ時間がそこにあった。

 オモチャ箱に入っていたひとときを忘れていた。

 すぐに取り出せた筈なのに、そういった景色をまた歩めるとわかっていたのに。

 私は、大人ぶって、生き方を、大切な人を見誤っていた。


「楽しかったよね、あんな日々は」気づけば私は、あの時みたいに誰の目も気にせず、ベッドの上で大の字になった。アスファルトの上みたいに。

「気持ちよかったよね、あの時に流した汗は」今はもう流すことができなくなった汗とは真反対のものがすーっと私の目から溢れてきた。

「意見がぶつかり合って喧嘩したよね。理央が感覚派だから、私が愚痴愚痴フォームやら呼吸の仕方を説明しても全然覚えてくれなくて」楽しい日々とは違うかもしれないが、思い出す、怒り。でも、そんな些細な事で言い合って喧嘩しても結局はそれを乗り越えて、絆が強くなっていった。


「…………そんな輝いていた日常を私は、壊したんだよね。手放してでも、一番を取ろうとしたんだ、私は、卑怯だから」

 理央には、絶対に言えなかった、自分が抱えていた本音を今から伝える。

「…………」

「理央に一番を取られそうだったから。明確にタイムで抜かれてしまったから。私は……わたしは……貴方の元から去った。そうすることで、自分が安心したかった」

「……」

「でも、そこで気づくべきだった。一時の安心よりもずっとそばに居てくれる安心の方が温かいって。かけがえのない時間だって」

 溢れ出した感情のままに滔々と吐き出した。

 自分の醜くも、理央によって齎された温かい気持ちを全て紡いだ。

 理央の顔は、みなかった。

 今はただ、大の字であの頃みたいに一緒に空を見ながら話していたかったから。

「卑怯です、睦月先輩は」

「知らなかったの? スタートダッシュする時、いつも理央の注意を引いてから走っていたでしょ?」

「はい。ずる賢いなって思ってました。大人げないなっておもいつつ、先輩の背中を追いかけました。……私はそれだけで良かったんです。一緒に走れれば」

「そうだね。それだけで良かったかもね。切磋琢磨しながらお互いの実力を高め合えるそんな関係性で」

「……やっぱり、許すことはできないと思います。でも……わたしは……わたしは……」言葉を途切れさせながら呼吸を荒くさせて、言葉を引っ張り出そうとしている。私はその言葉を急がずに待った。


「熊谷睦月が好きなんです。わたしといる時はいつもより子供っぽい先輩も、ずる賢くて卑怯さからでるウザい笑い方をする先輩も、誰もが先輩の走りに応援を向けられる姿も、疲れて座っている時に頭をポンポンとしてくる罪な先輩も。全部全部、大好きです」


 いつ以来だっただろう、誰かにこんな大好きのエールを貰ったのは。

 初めてかもしれない。

 私の全てを肯定してくれる。

 嫌なところもウザいところも、全部見てくれている。

 そんな安心感。

 

 嬉しい。嬉しい。うれしい。


 感情が滝のように流れてきた。いや、登ってきた。

 滝が下へ向かって落ちてくるのに逆らって登るこいのように止まらなかった。

 

 大丈夫かな、と心で考えるよりも前に浮かんできた言葉。


 


 初めて直面した感情に名前をつけてあげたら、きっとそんな言葉だと思う。


 一番近い言葉だと思う。


 可愛い後輩というよりも、家族ってよりも、妹ってよりも、しっくりくる。


 橘理央の中に私がいてくれ、と思うんだから、そうだよね。

 もう、逃げちゃダメだ。

 向き合わないと、今度こそ、彼女に。

 

 私は、ゆっくりと上半身をあげて理央を覗き込むと、顔を牡丹色に染めていた。ほんとかわいいな、この子。

 なんで、女の子を好きになったんだろ。

 男の子好きになったことがないから?

 まぁ、いいや。

 もう、わたしの目には理央しか映ってないから。


「ありがとう、理央。……私も恋しているんだと思う、理央に」

 素直にありのままにそう伝えた。

 多分、もっとドラマチックでタイミングのいい場所で言ったほうが嬉しいんだと思う。

 でも、そんな留めとくことなんて今の私には出来やしなかった。

 わたしたちは、そんな星の元に生まれたんだろうね。


「……なっ、えっ?! いっいまなんて言いましたぁ!?」

「だから、好きだって、理央のこと」

「ええええっ〜?! 嘘ですっ! いつもの嘘ですぅ!!」

「今、私、理央の嫌いな嘘笑いしてる?」

「……うぅ……してないです」

 理央に近寄り膝を床につけて、恥ずかしがり屋に顔を至近距離で見つめる。

 顔が紅潮して、布団を顔半分まで持ち上げるも潤んだ瞳を私から離さない。

「私も初めてだから……三年もかかってしまったわ」

「……石の上にも三年はキツすぎます」

「ふっ……そうね。長すぎたわよね」

「じゃっ……じゃあ、両想いってことです?」期待感と緊張感をごちゃ混ぜにした声が響くも、私の頭には、なぜか黒のシルエットが映り込んだ。

 じーっ。

 じーっ。

 そんな効果音が聞こえてくるので、理央を見ると、半目で怪しんでいた。


「……そうね、そうなるわね」

「なんですか、今の間っ!! 絶対何か隠していますっ!」

 

 わからなかった感情が理央と向き合って恋だと理解した時、それと同時に真っ黒のシルエットが現れたのだ。

 シルエットは、犬型だった。目の周りを囲むように白のぶちが丸状にあった。

 チラチラと目線でいつも一人の少女の顔を追いつつも、近くにいけば目を逸らす焦ったい野良犬。一人の少女を支えればいいのに、私たちまで気をかけてくれるほどに、ゆとりがある野良犬。

 私と似たような状況で、私と似たように面倒な性格の持ち主。

 

 だから、濃くなってしまった。


 わからなかった、恋という、枠組みに割り込まれてしまった。

 本来は、一人分なのに。

 潜んでいたのだ、きっと今よりも前に。

 透き通ったビーカーのしたに滞留した沈殿物を撹拌かくはん棒でかき混ぜたときみたいに、本当は濃かったのだと知ってしまった。


 彼女への恋心をかき混ぜる渦が、そこにも影響を与えたのだ。


「……理央、私もう一人好きな人がいるの」


 そう告げた時、ピタッと空気が止まった。

 まるで、アニメばっかり見ているのを見かねた親がリモコンでテレビを消すように、当たり前の現象。


 見上げた理央の顔には黒いもや……に包まれていた。


「りっ、りお……?」

「………………………もういっかい聞いていいですか? 次は、慎重に言葉を発してくださいね」

「えっっと、そうね。…………好きな人が理央以外にもうひと、ぶはっ」

 言いかけた瞬間に理央の匂いがする枕が顔に飛んできた。

 

「さっ最低ですっ! いやらしいです! 不純ですっ!!」

「ごっごめん。でもっ、嘘つきたく無かったからっ」

「……だっ、誰ですか、その人」

「……」

「えっ、マジですか?」

「何も言ってないのだけど」

「いえ、言わなくてもわかります。明智先輩ですか?」

「なっ、なんでっ?!」

「……カマかけたんですけど、まさか本当にそうだとは……」

「くぅぅ……」

 今まで色々な恋愛話やドラマを見てきては、優柔不断な主人公やヒロインにイライラしていたのだけど、実際に自分がそうなってしまうとは……。

「分かりました。もう睦月先輩に振り回されるのには慣れてますから」

 理央は笑って見せた。

 強がりだと思ったが、どこか認めてくれるような笑みである。

「理央……」

「それに……明智先輩がライバルなら……楽勝ですから」

「へっ?」

 そういうなり、上半身をあげて口角を上げる。目元は悪戯っ子だ。

「睦月先輩から明智先輩を引っ張り出してやります」

「…………ふっ、貴方たち似ているかもね」

 似たような事を私に言うんだなと思い、つい笑みが溢れる。

「やっやめてくださいっ!! 今日から、あの明智先輩は敵なんですから!!」

「えぇ、頑張って頂戴ね」

「今の表現、ムカつきますぅ!!」

 そこから私たちは笑い合った。

 まるで、三年間凍らされていた心が暖かさで溶けていくように笑みが私から出てくる。ありのままの私をこの子はいつだって受けて入れてくれたのを体が思い出したように。

 笑うと、涙が溢れた。

 笑い泣きする日がまた戻って来るとはね。


 その日は、私たちにとって、大事な日となった。

 おそらく、この世界中の誰よりも笑い合った日だと思う。

 

 笑ったから、かな。

 今まで溜め込んでいた三年分の『ありがとう』も伝えた。

 三年分の『遅くなってごめんね』も伝えた。

 

 そして、三年分の『好きだよ』も伝えた。



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