52話 忘れさせる
保健室は、まだ明かりがついていた為、片手でドアを開ける。
「どうしたのっ?!」
「すみません、遅くに。この子怪我したみたいで」私の言葉を聞くなり、ベッドのカーテンをさっと開いてくれた。
「ありがとうございます」小さな声で言う理央をベッドに寝ころばせる。足を浮かせてくれているのでシューズを脱がせ、床が汚くならないように置く。
「さっき、陸上を外でしてて、転んだのよね?」
「はい。石ころが曲がり角に溜まってたみたいで足が滑って。いたた」
「わかったわ。ちょっと待ってね」
その後、もう遅い時間なのに、処置をしてくれる。確か、
消毒と湿潤療法の絆創膏を貼ってもらい、軽く足を動かしてみた所、恐らく捻挫だと言う。それを聞いて、理央も家に帰る事が困難だと知り、両親に迎えをお願いしていた。
座る場所も無いだろうからって、迎えが来るまで保健室を開けてもらう。
先生は、その間、夕ご飯をコンビニへ買いに行くと言っていた。
「…………」
「…………よかった、骨折じゃなくて」
「……まだわかりませんけどね」
「相変わらず、かわいくないわね」
「……」唇を中に入れて、目を伏せてしまう。
「あっ、そう言う意味じゃなくてねっ!」
「……わかってます」
「……ふっ、そう」
「ふっ、はいっ」前髪を右手で恥ずかしそうに手で整えている。
ベッドに横向けになっている理央を奥のベッドに座りながら見ていた。
恐らく、こうやって会話するのは三年間なかった。
彼女がウチの高校へやって来たと知ったのは、高校入試の合格発表。
誰もがこの学校へ入れるわけではなかったから見に行った。
高校入試のボーダーラインは四二十点。倍率は、二.二倍。県内の公立高校であれば、トップの進学校。
半分以上の学生が涙を流す。その光景をなんと呼ぶべきだろう。
私もそんな受験戦争を今年度大学入試という形で受けるのだろうと、思いながら見ていた。
そこで、彼女の笑う顔を見て、私はその場を去った。
そして、陸上部を退部した。
最低な、女なのだろう。
「ごめん、理央」
「……えっ……?」パッと私の顔を見てくるので、私もその瞳に目を向ける。
「私、あなたに辛い思いさせた」
「……」
「あの時もそう。私は、自分勝手に動いた。貴方を傷つかせてしまった」
「…………嫌いでした、逃げていく先輩が。走る先輩が好きでした」
「……」
「……走るのをやめてしまった原因を作った私はもっと嫌いでした」
「違う。私が原因なのよ」
「……じゃあ、また走ってくれます?」
その言葉が怖かった。怯えてしまった。目を背けてしまった。逃げてしまいたかった。
また、私を悠々と飛び越えて、走り去っていく彼女に自分の存在意義がなくなってしまうのが恐ろしい。
「……ですよね」
「……」
人は、変わらない。
わかりきっていた事だ。
そう簡単に自分を切り離して考えても、結局は、体が反応して拒絶してしまう。あの時の悔しさを思い出して。
「……もう、忘れます。全部」
「………………」
「先輩に憧れたことも、目指したことも、あの時の思い出も、全て」
「…………」
「それで、先輩に笑顔が戻るなら。また、走り出してくれるなら」
「……」
「安いものです」
「」
「先輩への恋。終わらせてくれますか?」
彼女の問いかけの意味。
それは、きっと嫌いにさせてくれという意味だろう。
私を忘れさせるほどに、辛辣な言葉を待っているのだろう。
三年間を忘れさせて欲しいのだろう。
私は、応えるべきだ。
彼女に、自分勝手な苦しみを与えてしまった、責任を。
「先輩。私の嫌いな所教えてくれませんか?」
「…………」無いよ、そんな所なんて。
「鬱陶しかったですよね?」
「…………」いえ、可愛い後輩だった。
「後ろに付き纏われるの、ウザかったですよね?」
「…………」嬉しかった、自分を認めてくれるようで。
「私の笑顔見るとムカつきましたよね?」
「…………」頑張ろうと、思った。
「先輩が帰るまで一緒に残っていたの、気持ち悪かったですよね?」
「…………」頼もしかった、この部活を引っ張ってもらえると思って。
「橘理央、嫌いですよね?」
「…………」嫌いじゃ無い、嫌いじゃ無い。
素直になれない自分がきらいだ。
彼女が嫌いなんじゃない。
自分が嫌いなんだ。
一番しか生きる意味を見出せない自分が嫌いだ。
自分のプライドが無駄にデカくて嫌いだ。
大切な後輩を避けてしまう自分が嫌いだ。
全部、ぜんぶ、自分が嫌いだから。
自分のせいで……理央を避けてしまっていた。
彼女の顔を見れずに私は俯きながら首を振っていた。
彼女の言葉を否定し、心の中で彼女の好きなところを呟いた。
「なんで…………泣いているんですか? その顔見せないでくださいよ……」
そこで気づいた。
自分が酷く苦しいほどに泣いていることに。
胸が締め付けられた。理央が自分を否定しようとするのを肯定する度に。
あの頃の青春が思い出された。唯一、私に張り合ってきた女の子だった。
今まで、そんな友達はいなかった。
肩を寄せ合って、辛い時も笑える時も、共に過ごすような人は。
私が一番という重荷を忘れさせてくれる時間だった。
学年も違うのに、短い時間だったのに、彼女の頭をぽんぽんと撫でてにっこりと笑う表情に私は、力をもらっていた。
なのに、なぜだろう、どこからだろう、あの時からだろうか……?
ふと彼女がいない時に聞こえてきた仲間からの言葉。
『橘の奴、もうそろそろ睦月先輩抜くんじゃ無い?』
『あぁ〜確かに。てか、橘の成長は凄まじいけど……熊谷先輩が徐々にタイム遅くなっているだけじゃ無い?』
『そっちかっ! はは。 橘にペース合わせているから、自分の実力が出せていないんだろうね』
…………。
その会話が私の奥底に沈めて錆びようとしていたトリガーを引いたように思う。
何をしているんだ、私。
……自分の居場所を守らないと。
……生きる意味ないのに。
……また、必要とされなくなってしまう。
……また、ヒソヒソと笑われてしまう。
……また、ヒソヒソと悲しまれてしまう。
『……睦月先輩?!』
『…………』
『いっ……いつから、そこに?』
『……』
何も言葉を発せずに早めに帰宅した。
次の日から、死ぬほど練習した。
理央に声をかけられても、器用な私は……ずるくて卑怯な私は、うまく誤魔化した。目を逸らした。一緒に走ることをやめた。笑い合うこともやめた。彼女と話すことをやめた。
でも、理央は、そこから速くなった。
逆に私は、遅くなっていった。
そう、逆だった。
私の天井はもうとっくに届いていたのだ。
その天井ギリギリまでのタイムまで伸ばしてくれたのが、理央だったのだ。
それに気づいた時。
ドス黒い何かが私の足を引っ張っていた。
走る毎に足を地面に引きづり込もうとする感覚を覚えた。
そして、わたしは理央にタイムを抜かされた。
「その顔……みっ、見せないでくださいよ! 辛くて、悲しくて、弱そうな熊谷睦月を私に見せないでくださいよっ! 冷徹で嘘笑いが上手なのを続けてくださいよっ」
「…………謝っても謝りきれない」
「謝罪なんていらないですっ!! 私を否定してくださいっ!!」
「ごめん、理央。私が未熟で子供だったから」頭を下げた。彼女が動けないのをいい事に、過去の非道を認めた。
「…………どうしたいんですか……わたしのこと……あたまをおかしくさせたいんですか? わからないんですよ、先輩がやっている行動の全てがッッ!!」
その言葉は山彦みたいに保健室に響き渡った。
「そうだよね、ごめん」
「……もう……どうしたらいいんですか……」布団を手繰り寄せて顔をかがめてしまった。
理央の声が啜り泣く声に切り替わった時、私はどうしたら良いかわからなくなった。誰かに色々とアドバイスしていた癖に、自分のこととなると、頭が回らない。
私は、呆然と理央を見守ることしかできなかった。
触れようと手が伸びるもそんな資格が今の私にはないので手を戻す。
居た堪れない雰囲気に侵されて私は、ベッドから立ち上がった。
もうダメだ。
そんな情けないセリフが脳内を駆け回り、諦めた。
彼女にもう、これ以上、辛くさせてはいけない。
私は、ふらふらと保健室の取っ手に手をかけてスライドさせようとした。
『橘と喧嘩になっても良いです。だから、向き合ってください。泥臭いことも、薄情なことも、自分勝手なことも、包み隠さず言ってみてください。熊谷先輩は、自分の本音を伝える事に臆病になっています。貴方が橘のこと大切にしているその感情も漏れずに伝えてください。これがオレと熊谷睦月との間に結ぶ約束です。
もし、それを実行できなければ、オレは告発します。
熊谷睦月が生徒会長には向いていない、と。
今のオレは、なんだかんだ言って、有名人ですからね。
…………いや、違いますね、そんな脅しじゃ聞き入ってくれないですね。
もし、実行できなければ、橘理央をオレが救います。
そして、橘理央に熊谷睦月という存在を忘れさせます。
だから、だからだからっ。
お願いします。
オレが好きな橘理央でいれるように、ありつづけるように実行してください。
後処理はオレがします。知ってるでしょ? 裏工作や裏回しが得意だって』
なんで、君の約束が役に立つのよ。
なんで、自分の保身よりか、この子に忘れられたく無いって思いが強いのよ。
一番に拘っていたのに、なぜ、橘理央の中に居たいと思うの。
私は、彼女の元へと戻った。
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